
偉大な母のドキュメンタリー映画
『母と娘 - 完全な夜はない』(2023年製作/89分/フランス・ジョージア合作)監督:ラナ・ゴゴベリゼ
ラナ・ゴゴベリゼ監督が95歳にして、ソヴィエト体制下における母ヌツァとの日々を語った作品。ヌツァはスターリン時代に家族を粛清され、自らも10年間流刑された。厳しい時代を生きた母へのオマージュ。今年のベルリン国際映画祭に正式出品された。
副題はアポリネール(エリュアールだったみたい)の詩で「明けない夜はない」というような意味でスターリン時代にソ連の最初の女性監督というヌツァ・ゴゴベリゼは長編劇映画完成後に粛清にあって流刑、父は死刑、友人の詩人も自殺。
その家に娘の映画監督(ラナ・ゴゴベリゼ)はいたのだが、小学生時代にユゴーの詩を朗読する役を与えられながら父は死刑で母は流刑という両親の娘には朗読させられないと言われその学校を転校する。そうした監督だからか詩心あふれるドキュメンタリーになっていた。
ヌツァ・ゴゴベリゼの映画はほとんど1930年代だから映画の初期の無声映画で、手法的にソ連映画の最先端の映像技術を感じられる。その映像はシュルレリスム的映像表現のようでもあり興味深い。次はヌツァ・ゴゴベリゼの映画を観たいと思ってしまった。
そんな母との別れなのか出会いなのか古い映像のボケた写真から始まる語りは、彼女が映画を撮りに行く母親に置いていかれ大泣きしていたときに、老人が子供を泣きっぱなしにするほどの用事があるのか?という問いからはじまっていく。それは彼女の母が映画監督であり、その娘である自分も映画監督になり、さらに娘も映画監督になった自負のようなものがあるのかもしれない。その問いかけは副題のアポリネールの言葉とも通じるのかもしれない。
さらにソ連の粛清という歴史があり、その悲劇の中で生き続けた母がいて、彼女のフィルムライブラリーを発見して、ヌツァ・ゴゴベリゼの再評価まで勝ち取った映画監督の自伝的なメタ映画となっている。母を語ることは自身の人生も語ることでもあり、そこに面白さもあったと思う。幾分ロマン的ではあるが(例えば彼女のデビュー作と母のデビュー作が同じ教会で撮ったものとか、母が撮ったスタジオで映画を撮ったとか、そういう事実があったにしても物語的に語っている)音楽も『太陽に灼かれて』のテーマがくり返し流れるなどメロドラマ的な作りにはなっていると思うがそれは演出だと思えば上手い映画作りだと思う。
また母の映画だけではなく、自身の映画も取り上げる(それは母親をテーマとしたフェミニズム映画だから仕方がないのだが)。その中で映像をくり返し映し出す手法(時間を一瞬戻すことでためらいを表現する)などの映像技術も披露していた。
それと沈黙の海というようなシーンで父が処刑された後に母が海に入水するようなシーンがあったりして、感情を高める。そうしたエピソードの入れ方が上手いのでドキュメンタリーでも退屈せずに感動する映画になっていた。

『ウジュムリ』ヌツァ・ゴゴベリゼ監督(1934年/白黒/56分/原題:Uzhmuri)
ソ連邦初の女性監督による長篇劇映画。完成後、ヌツァは粛清され、作品も押収されて近年まで存在すら確認できなかった。西ジョージアの湿地帯で中央政府の啓蒙政策、水路建設の人々と土着の住民の軋轢を描く。ギア・カンチェリの音楽が入った新版。
ソ連の環境破壊映画か。沼地化した湿地帯に落ちていく牛の映像は、イメージとして強烈だった。粛清される人々の暗示でもあるという。けっこう観るのが体力のいる作品で後半寝てしまった。

『ブバ』ヌツァ・ゴゴベリゼ監督(1930年/白黒/39分/原題:Buba)
コーカサスのラチャ地方の大自然のなかで、村人の厳しい労働と四季折々の暮らしを描いたドキュメンタリー。幼子の描写や村人たちの群舞に、斬新なモンタージュを用い、彼女の傑出した才能を感じさせる。「ウジュムリ」と同じく近年発見された。
ヌツァ・ゴゴベリゼのデビュー作でソ連の意向に沿ったプロパガンダ映画。水力発電所がもたらす未来図なのだが、貧しいコーカサス地方の現実と大自然に囲まれた村人の生き生きした姿も画いている。『ウジュムリ』の序章という感じの映画か?

『金の糸』ラナ・ゴゴベリゼ監督(2019年/カラー・白黒/89分/原題:Okros dzapi)
作家エレネは娘夫婦と暮らし、79歳の誕生日を迎えた。そこへ娘の姑のミランダが引っ越してくる。彼女はソ連時代、政府高官だった。またかつての恋人アルチルから数十年ぶりに電話があり、3人の記憶が重ねられ、過去の困難な時代が浮き彫りにされる。
以前観た映画で感想がnoteにあった。
ただ付け加えるとすれば、ヒロインの作家が書いている本は、先日観た映画『母と娘 - 完全な夜はない』の原作『思い出されることを思い出されるままに:映画監督ラナ・ゴゴベリゼ自伝』であり、映画の中では「野の花」と呼ばれていたのだが、この本にも興味を持った。
『金の糸』は作家としての道を閉ざされた映画監督の娘の自伝的映画であり、そのことは再見して理解出来た。パンで作った人形は粛清された人々であり、それを缶に収める。しかしこの映画のテーマとしてあるのは「許し」という問題で、それはロシア正教に繋がっているのかもしれない。政府高官だった姑(娘の義理の母)と同居することで、次第に理解し合うという感じが「金の糸」のテーマなのだろう。だが政府高官だったボケ老人の悲劇という側面も強いかもしれない。車椅子の元彼は喜劇的人物として、悲喜劇を金の糸で継いだ映画となっている。
廃墟での牛のイメージは『ウジュムリ』からの引用だ。