見出し画像

子どもの幸せはママがつくることを、気づくまで【離婚するために「フリーランス」を選んだ話】 自己紹介 vo.1

はじめまして! 和歌山取材ライターのikeari(いけあり)と申します。

「ikeari(いけあり)」は私のペンネーム、「AOY CREATE(あおいくりえいと)」が屋号です。

私が、離婚をするためにフリーランスを選び、ロゴデザイナー・ライターを始め、「"ママ"の力になりたい」、そう決意するまでのお話です。


1度目の家出

27歳の、クリスマスイブ。それは、私がプロポーズをされた日。
その後すぐ、妊娠が発覚した。

そして、3週間後。私は、その子を流産した。

子どもとして、まだ何も出来上がっていない。

けれど、
喪失感で打ちのめされていた。

「血が出ている」

急いで病院に向かい、検査をするために下着を脱いだとき、ボタボタっと血の塊が落ちていった。

まるでその子が出てきてしまったようで、その場で泣き崩れ、涙が止まらなくなった。

あの絶望感は、今でも忘れられない。
命が自分の中から、こぼれ落ちていくような感覚だった。

プロポーズの1カ月後、入籍。

流産を経て「ここから妊娠できます」というタイミングで、すぐに妊娠した。
とても嬉しかった。

元々喧嘩が多かったカップル。
結婚してすぐ、喧嘩は更に増えた。

"気遣いできる人"だった夫から出た言葉は
「なんで家族に気を遣わなあかんねん。」

ずっと一緒にいたい、そう思った「きっかけ」の人間性が、崩れた。

ここからは、とてもありがちな流れ。
「子どもが産まれたら、変わるかもしれない」

何も変わらなかった。

「新しい環境になれば変わるかもしれない」

家を建てても、何も変わらなかった。
「離婚するなら、建築した家に住む前だ。それなら、ギリギリ新築として売れる。」

そう思い、生後半年の子どもを抱きかかえ、一度目の家出。
話し合いを何度も重ね、

「変わるから」

その言葉を信じ、新築の家に住んだ。

結果、

もちろん、変わらなかった。笑


離婚を決めた日

今思えば、本当にバカだったと思う。
どこに、信じる要素があったんだろう。

それでも、

「離婚したらどうなるか分からない」

という気持ち。金銭的に、不安な気持ち。

私が離婚を諦めたのは、確実に「不安」が原因だった。
毎日、子どもと二人だけの生活。

ガルガル期と呼ばれる、出産に伴うホルモンバランスの崩れで、変な潔癖症になった。

外から帰ってくる、夫が汚く見えて仕方なかった。
手を洗ったとしても、子どもに触れてほしくなかった。

そして、ふと気が付く。
夫だけではない。
誰にも、子どもに触れてほしくない。

信頼している自分の母にも、祖母にも、病院の先生にさえ。

ただ、子どもと2人きりの日々も、辛かった。

毎日、ずっと一緒。

目を離した瞬間、子どもの息が止まってしまうかもしれない。

初めての子育てに不安がいっぱいで、いつも張り詰めていて。
誰かに預けたいと思い、実母に預けても、「触って欲しくない」という気持ちが生まれてしまう。

全然、心が休まらない。

大好きな子どもと一緒にいても、休まらない。

ひとりの時間を作っても、子どもが気になり休まらない。

いつも、イライラしていた。
夜は、大嫌いな夫が隣にいる。

気が狂いそうだった。
二度と、帰って来てほしくない。

「警察から、『旦那さんに不幸が』という電話が来ないかな。」

そんな妄想ばかりして、そんな妄想ばかりするしかない自分を、どんどん嫌いになっていった。

辛くて辛くて、どうしようもなかった。

その頃、ふと思う。

「この辛さと不安、どちらが大きいんだろう。」

不安で、離婚をとどまった。
とどまった離婚は、辛くて仕方ない。

あれ、もしかして、「不安」より「辛い」方が大きいんじゃない。

それなら、「不安」な離婚を選んだ方がいいんじゃないか。

離婚に向けて、大きく進んだ瞬間だった。


在宅ワークの模索

この頃になると、子どもも長く昼寝をしてくれた。
1時間~2時間、集中して考える時間を、やっと持ち始めることができる頃だった。

不安な原因は、なんだろう。

住む場所?
ー賃貸なんて、いくらでもある。
 ……賃貸を借りたらいくらかかる?

現状「育休中」なこと?
ー復職てし、子どもと一緒にいられる時間はあるのかな。
 家に帰って家事をして、子どもと向き合う時間まで、あるのかな。

親権が取れるだろうか。
ー夫は、絶対に親権を譲らない。
 稼いでいない状態で、親権なんて取れるのかな。

不安は、無限に出てきた。

共通していたのは、
どれも「お金」と「時間」の不安だったこと。

どうすれば、「お金」と「時間」の問題を、解決できるんだろう。

その答えが、「在宅で働くこと」だった。
家で働けば、子どもと向き合う時間がたくさんある。
しかも、お金を稼げる。

全部、解決するじゃない。
「私、天才じゃない?」
その想いで、在宅で働く方法を調べ始めた。


ロゴデザイナー、始めました

「私には、何ができるだろう。」
唯一思いついた、私の、他の人とは違うところ。

それは、「イラストレーターが、使えること。」

でも、圧倒的に、指示を受けてその通り修正する、オペレーターの経験の方が長い。
デザインの学校も出ていない。

私は、チラシやパンフレットなど、構成が関わるデザインに苦手意識が強かった。
ただ、そこで、思い出した。

私が未経験で、デザイン会社に入社できたきっかけ。

それが、「ロゴデザイン」だった。

当時、そもそもデザインが未経験だから、実績はゼロ。

でも、どんな力を持っているかを見せる「ポートフォリオ」持参は面接に必須。
実在しない会社のDMや、チラシを作った。
どれを見たときも、デザイン会社社員の反応は薄かった。

その中で、唯一興味を持ってもらえたモノ。
それが、私自身のロゴデザインだった。

「まっすぐで明るい性格を、ヒマワリとして表現しました」

「ヒマワリの葉っぱは、ハート型に似ています」

「この3つの点は、〇〇を表現していて……」

デザインに、想いと理由をのせること。
企画力。

その評価が、採用に繋がった。

「チラシは、作れないかもしれない。
でも、ロゴデザインなら、作れるかもしれない。」
2019年、夏。

「得意を売り買いココナラ」で、ロゴデザインを出品し始めた。
今では、修正無制限11万円で提供しているロゴデザイン。

当時、修正無制限で、5000円。
そこからココナラ手数料を引かれて、3650円。
時給で考えたら、680円程度。

初めて、自分だけの力で稼いだお金だった。

初めてのお客様は、わたしと同じ、育休中の女性だった。

「同じく育休中で頑張っている、そんな女性に頼みたかった」
「私の想いをたくさん汲み取ってくれた」
「ずっと大切にしたい、ロゴになった」

お客様からいただく、とても嬉しい言葉の数々。

その日から、私はロゴデザイナーになった。


ライターのきっかけは「経費」

ロゴデザイナーとして活動し始めると同時に、「フリーランス」について調べ始めた。

正確には違うけれど、

感覚的に、社会人の場合
【額面給料】×0.1=税金

フリーランスの場合
【売上-経費】×0.1=税金
となるイメージ。つまり、経費が多ければ、払う税金が減る。

意味のない経費を使うのは違うけど、経費には【家事按分】という、家計で使った分・仕事で使った分を分けて経費に計上できる仕組みがある。
仕組みが分かり、思うこと。

「これ、家庭でかかる費用を少しでも按分できる方がいいのでは?」
そう思い、家計簿を見直し。

我が家で圧倒的にかかっているお金。
それは、車やガソリン、高速代。

和歌山県という田舎に住んでいることもあり、節約することもできない費用。
「車関連の費用を経費にできればアツい!」

そう思ったけど、現状、ロゴデザイナーとして仕事をし、しかもココナラ経由の完全オンライン。
リアルな場に赴く仕事がない。

「車関連を経費にできる仕事を追加したらいいんだ!」

そう思いつき、私自身、ほかにどんなことができるのかを考え始めた。
ここで活きるのは、短いながらも、ロゴデザイナーの経験。

わたしは、人の心を読み取るのが得意なようだ。
そして、わたし自身、熱い思いを持っている人が大好きだ。

それを、ロゴという形に昇華することが得意なようだ。

わたしはきっと、
人の想いが大好きで、それを形におこすことが得意なんだ。

ロゴデザインは、それをロゴにする。
別の形で人の想いをおこせないかな。

そう思ったとき、
「ライターだ!」
と、閃いた。

合法的に(笑)、人の熱い想いを聞けて、車で取材に行くから車を経費にできて、しかも「取材に行ってくる」その言葉の響きが格好良い。

うん。理想の、格好いいママだ。

さらに、わたしは本が大好きだった。

中学生の頃、本の貸し出しカードは1年間で両面を埋めて10枚を超え、カードを並べてライオンの立て髪を作ったほど。
200冊超。とにかくたくさん読んだ。

考えれば考えるほど、ライターしかないと思った。

そして、2019年9月。

期間としては、ロゴデザイナーになってから1ヶ月足らずだったかも。
「クラウドワークス」というクラウドソーシングサイトで検索。

【和歌山 取材】で調べると、1件該当があった。

「未経験だけど納期守ります」応募したらすぐにお返事が来て、テストライティングをすることになった。

500円かな。

リライトという、ある程度の形になっている記事をルールに沿って書き直す作業。

時給換算したら恐ろしくなるほど、何時間もかかって文章を作った。

結果は合格。
インバウンド向けに記事や旅行プランを発信している「THE GATE」というメディア。

一眼レフカメラもない状態の合格で、急いでレンズがセットになった10万円のカメラを買った。
一番初めのライターの仕事が、取材ライターの仕事。

それは、「川湯温泉」の取材記事。
いまも、記事が残っている。

当時、娘は9ヶ月。
母と娘と私、3人で現地に赴いた。

取材の最中は、私1人、娘と母は車でお留守番。

取材も記事も、問題なく進行し、納品できた。

最初のライターとしての仕事が取材ライターで、子どもを連れて仕事をやってのけたこと。

これが、私の「働く」という常識をかなりぶち壊した。

仕事の楽しさ。
子どもは、仕事の障害ではない。
一緒に協力して楽しめるものかも。
(ちなみに、母も温泉で楽しんだ。笑)

そして娘の離乳食が始まり、卵アレルギーがあることがわかった。

娘には申し訳ないけど、「ラッキー!」と思った。
これで、育休中の会社に復職しなくていい。
保育園に預けられないんだもの。

9月中に会社を辞め、翌々月の2019年11月7日。

わたしは個人事業主になった。


「順調」を壊したコロナ

子どもの離乳食が始まり、卒乳した頃、「娘に誰も触れてほしくない変な潔癖症」=「ガルガル期」が、おさまっていた。

夫が娘に触れても、汚いと思わなくなっていた。
むしろ、娘が1歳になる前でも、娘を夫に預け、ひとり東京で外泊する程、子どもを預けることに抵抗のない人間だった。
元々、私はこういう人間だった。
やっぱり、「自分がどれだけ辛くても、誰にも子どもに触ってほしくない」、そんな状態が異常だったのだと思う。

ホルモンバランスの崩れは、なめちゃいけない。
別人になってしまうほど、乱れて、周りはもちろん、当の本人も辛く、しんどい。

ただ、ガルガル期が終わっても、相変わらず、夫が嫌いだった。

ガルガル期ではなくなったことで、ガルガル期のせいではなく、本心から離婚したいことがわかった。

「そうだろうな」とは思っていたけれど、少し残念でもあった。

ホルモンのせいではなくて、本当に夫が嫌いだった。

再度、別れを決意した。
離婚できるよう財力の安定・時間を手に入れることを目指し、ロゴデザインやライターとして、毎月5〜10万稼げるようになった。

全部、順調に進んでいると思ってた。
「このまま少しずつ増やしていこう」

そう思った矢先、

2020年2月、日本をコロナがおそった。

メインの収入になっていたインバウンド系のメディアは、コロナの影響を大きく受け、お仕事そのものがなくなった。

住宅系メディアも決まっていたけど、「コロナでお宅拝見が不可」となり、決まっていた話も消えた。

「今まで、離婚に向けて積み上げてきたものは一体なんだったんだろう。」

しばらく、売り上げが月2万円程度になった。

それに加え、娘にも少しずつ自我が生まれ、わがままが増え、仕事に費やすことができる時間も減った。
「もう、ライターはできないのかな。」

この頃にはもう、取材ライターのお仕事が大好きになっていた。


コロナなんかで終われない

大好きになった、ライターの仕事。
諦めきれず、ほかのメディアをたくさん探した。

ライターの業務委託に関する面談の際、今まで書いていた記事の実績を見せることが多い。

私は、インバウンド向け記事の実績を見せた。

その結果、新しいメディアでお仕事をさせていただけることになった。

取材はなくて、単価も安かったけど、まとめ記事を「ikeari」という名前で書くようになった。

なんとか、ライターという仕事を繋ぐことができた。

お取引が消えてしまったインバウンド向けの記事も、
なにひとつ、無駄ではなかったんだ。
心からそう思った。

取材ライターとして、後退を見せた。
でも、コロナは、悪いことだけではなかった。

日本に、テレワークの波が来た。

和歌山の中小企業には、ほとんど関係なかったかも。
だけど、フリーランスには関係大アリ。

大体のメディアは、東京や大阪といった都会にある。
田舎に遊びに行きたい都会の人向けに、田舎ライターと都会メディアが繋がりやすくなった。

ほかにも、予想していない影響があった。

ロゴの売り上げが、ぐぐんと増えた。


子どもの幸せは、ママの幸せがつくってる

ロゴデザインの売り上げ。
在宅勤務になった人が増えて、「この機会に」と起業に挑戦する人が増え、自ずと販売件数が増えた。

ロゴのお仕事は、女性のお客様に愛された。

育児中の女性が8割。

ロゴの雰囲気と事業規模を合わせるために、私はいつも、お客さまご自身のことを、たくさん聞く。

・なぜ起業しようと思いましたか?
・ゴールはどういう状態ですか?
子育て女性の多くの「きっかけ」や「ゴール」には、家庭が関係していた。

「子どもと一緒の時間を作るために、自宅で働きたいと思った」

「いつか離婚するために、夫にバレずに自立したい」

などなど。

自分のほしい未来を実現するために、一歩踏み出した人たち。
もちろん、みんな、不安もある。

だけど、自分が「こうなりたい!」と決めた未来に向かって、歩こうと決めて、実際に歩いている人たち。

「夜泣きの連続で寝不足なんです」
といい疲れながらも、活き活きしている。

本当に「素敵だな」と思った。

その頃から、娘の交流の場が必要だと思って、ママ友と繋がった。

そのママ友たちは、口々にマイナスな言葉をこぼしていく。

「旦那が嫌いだ・鬱陶しい」

「でも私なんて何もできないし」

「パートで適当に稼ぐしかない」

「芸能人は見た目がいいから結婚した後もかわいくていいよね」

体だけが疲れ切っているわけではない。
心も疲れ切って、考える力もなくなって、人を恨んで羨んで。
自分自身と赤の他人を比べて、勝手に自分で自分を下げて。

「私なんて」が口癖になってる。

一番の味方である自分自身を、とにかく大切にしていない。

そういうお母さんは、みんな何より子どもを大切にしている。

でも、自分のイライラが消えなくて、余裕がなくなって、子どもにあたってしまって、さらに自分を責めていく。
そんなの、あんまりじゃない。

自分より子どもを大切にしている、自分のすべてを捧げている、「母」という存在が、一番傷ついて、一番蔑ろにされている。
それも、自分自身の手で。

対して、ロゴデザインのお客さま。

ママ友とおなじ、育児中の女性。

でも、自分を自分で満たして、キラキラしている。

両極端な育児中の女性と日々接するなかで、わたしは、大切なことに気がついた。

自分を一番大切にすることは、子どもを後回しにすることと、イコールではない。
自分を大切にするから、余裕が生まれて、子どもをもっと大切にできるんだ。

まずは、自分自身を満たすこと。

それが、「母」を活き活きさせて、子どもが余裕のなさから生まれる
歪みを受けずに、その子らしく育つことができる。

余裕が生まれれば、夫を嫌いな家庭にも、きっと答えが出る。

お金があれば、「お金を抜きにした夫」を見て、一緒にいるか決められる。
家事を手伝わないことが理由なら、その家事をお金で外注したとき、「家事が関係ない夫」を見て、その先を決められる。
それによって、嫌いな部分が消える夫婦もあるだろう。
逆に、必要な部分が消えて、「嫌い」しか残らない夫婦もいるだろう。
でもそれは、夫婦関係が既に終わっている夫婦。

子どもが愛されて育ち、「仕方ない」を消すためにも、女性が、お金も時間も心の余裕も生まれるよう、支えていきたい。

「女性が『やってみたい』ことを支援していきたい」
そう思った。

女性が自分自身を知り、知ることができた自分自身を満たし、大切にすることができたら、きっと、自分を大切に愛せる。
そして、子どもをまっすぐ愛せる。

自分を責めずに、子どもをまっすぐ見つめられる。

もっと、「自分を知る」=「自己理解」を深めてほしい。

自分を知ったとき、きっと、本当の望みと、どうすれば満たされるかわかる。
自分で自分を満たせたとき、きっと、心からの笑顔で、子どもと優しく手をつないでる。

そんな未来を、一緒に作っていきたい。

自分自身を見つめたとき、「私は家庭を守っていきたい」それが一番の望みなら、それがいい。

ただ、「主婦がいい」と思っている方で、自信をもって主婦をしている人を、私はまだ見たことがない。

家庭を守る難しさを語るのに、なぜそれに自信を持たないんだろう。
難しいことをこなしている、自分自身を誇りに思わないんだろう。
人と比べることなく、自分自身の「本当にしたいこと」を、見つけて欲しい。

それが『創業』なら、フリーランスを5年続け、たくさんの創業女性のロゴを作ってきた、私が支えたい。
そんなサービスを作りたい。

その想いを抱き続け、2023年12月、「創業サブスク」というサービスを作りました。
(作ったものの、まだ売れてないw)

その間、離婚し、借金をし、イヤイヤ期を乗り越え、たくさんの出来事がありました。

「創業サブスク」というサービスをつくり、「女性を支えたい」その想いに、一区切りをつけて。

ママが幸せになることで、まっすぐ愛を受けて育つ子どもを増やしたい

そんな想いの根幹。
「子どもを、直接幸せにしに行く」。
2025年7月提供開始を目指す、

価値観の積み重ねで「やりたい」が分かる!
振り返り付き体験記録アプリ「ミツケルンジャー」

について、次のnoteで語っていこうと思います。


いいなと思ったら応援しよう!