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人間は理由を求める生き物だ

人は高潔さを求めるのと同時に、他者への加害も本能的に求めているのではないかと俺は思っている。

汚い生き方よりは綺麗な生き方が出来るならその方がいい、悪辣な人間になるよりは優しい人間になりたい。

でも、人が生き物である以上他者への攻撃がしたくてたまらない時がある。

「自分にそんな異常な衝動があるなんて決めつけるな! お前がそうだから、他人もそうだと思っているだけだろう!!」

って否定したくなるかもしれないけど、でもそこに正当っぽい怒りの要素が転がっていたらどうだろうか?

例えばクラスでイジメがあって、イジメの被害者が不登校になり、それが問題になってクラスとしても無視しきれずに「解決しなきゃいけないフェイズ」に移ったとする。

その時、イジメ加害者に対する鬱憤が溜まりクラスのみんなが総攻撃した時に君は義憤に駆られずにいられるだろうか?

でもそれはその時、そういう状況だったから加害者叩きをしたくなったのでは?

確かにそれはそうなんだけど
SNSにどうしようもないヤツがいて、犯罪者としても裁かれない救いようのない悪党がいるとする。
そんなヤツに怒りを抱いた経験、無い?

SNSではなく、お昼時にやっているワイドショー……政治家とか芸能タレントの不祥事、子供が犠牲になるニュースとか不祥事に呆れを通り越して怒りを抱いたことは無い?


少なくとも俺はある、俺にはそういう経験がある。
高校生くらいの頃に2ちゃんねるで祭りに参加した事もあるくらいだし、昔のアカウントで攻撃的なリプライを送った事もある。


でも、そういう自分が抱いた怒りって「なんか違うな」と思うようになったんだ。
何か決定的な出来事が起こったわけじゃなく、単純にどうしようもなくバカバカしくなったから。


自分が抱いている怒りって、行き場を無くした自分の中の可燃性の感情を無理矢理燃やして他人に投げつけているにすぎない。
そもそも、実際に起きた悲劇や傷ついた人を酒の肴にして食い物にしているだけなんじゃないか?
そう考えた途端に全部がバカらしくなった、というのが経緯。

さて、人間は怒りに弱いという話だけど……人間って心のどこかで怒る理由を求めていると思う。
いや、怒りというよりは『暴力を振るう理由』が正しいか?

日本って国では──というか、どこの国でも一方的に暴力を振るうことは犯罪とされていることだろう。でも、武器や拳による暴力でなく言葉による暴力って線引きするにはあまりに曖昧だ。

そうなると、インターネットにおける人間と人間の距離感って非常に絶妙でさ。殴り逃げすることが出来るんだよ。

擁護する人間のいない悪党を相手に、一方的に殴りつけてその場から立ち去る。やった事はほとんどないけどとんでもない快楽だと思うよ。
しかも相手が悪党なんだから正義の旗印の下に合法的に暴力が振るえるんだ。

で、一度経験してしまうと病みつきになって今度は炎上ネタを探し始める。
意識的に探している人はそうそういないと思いたいけど、トレンドとかで話題になっているものに飛び込んで火元を見つけたらそこにいる人間を殴りつける。

自分は悪くない、悪者なんだから裁かれて当然。
そういうロジックでハマっていく……という、そんな単純な話でも無いと思うけどね。

過去に起きたトラウマが刺激されるから攻撃的になる人とか、推しに関する話題だと豹変する人とか、色んなケースがあるでしょ。

でも、もしこの記事を読んで「やっちゃってるかもなあ」と思った人は、少しずつ他者への攻撃をやめてほしいなと思う。

絶対、そんな事をしても誰も喜ばないし報われないからさ。

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