銀河鉄道の夜@西会津まちめぐり
※この記事は、西会津で上演されたまちめぐり型演劇「銀河鉄道の夜」について2020年11月23日にFacebookに投稿した記事をもとに、大幅に加筆修正したものです。最近から西会津に関わった方々より「西会津での銀河鉄道の夜の演劇を知りたい」との声があり、今回、note用に加筆と構成をし直しました。
2020年11月に、西会津町野沢町内で上演された体験型演劇『銀河鉄道の夜』に参加。これは、2020年6月に西会津国際芸術村で開催された『注文の多い料理店』の第2章。
西会津町ではこれまで同じアーティストチームで3回体験型演劇が上演されている。(2024年3月更新)
このシリーズは、それぞれ西会津町のマチ・ムラ・ヤマの部分で上演された。
マチ 銀河鉄道の夜 2020年10月31日〜11月22日
ムラ 注文の多い料理店 2020年6月28日〜29日
ヤマ ならやま凮土譚 2022年1月〜時期未定継続中
今回は「銀河鉄道の夜」の考察と感想を書いてみようかと思う。
コロナウイルスが蔓延して、マスクが必須の2020年の10月〜11月にコロナ禍でもできる演劇を考えて実行し、イノベーションとも言える地域活性化に取り組んだ作り手の皆さんに敬意を表したい。
なお、書籍『銀河鉄道の夜』を読んだことがない方は、是非ご一読を。
アニメバージョンもおすすめ。今回のまちめぐり演劇は、こちらの世界観が強いように思う。
まちめぐり演劇『銀河鉄道の夜』のチラシ
演劇の内容
野沢駅
出発地はJR磐越西線の野沢駅。
駅舎に入ると、案内人のような人が現れる。今日はよろしくお願いしますと挨拶され、待合室に通される。
私たちは「乗客」と呼ばれ、他の参加者と一緒に待機していた。
待機をしていると、言葉を発しない車掌たちがやってきて、切符の確認をされる。
この間、ラジカセのようなものからアナウンスが流れ、車掌たちは一言も話さない。手の動作で私たちに指示するだけ。
そして車掌に乗車記録ということで、写真を撮られる。
ここから物語はスタート。一気に私たちは町の生の風景と物語としての文化的風景が二重に見える「異郷」に入り込む。
切符を確認されると同時に小型のライトと鈴を渡される。
野沢駅を出発した私たちは、野沢のまちなかの旧街道を歩く。
はらまちベース
最初の目的地は「はらまちベース」。
普段は町の若者が拠点として利用しているこの場所には、「カコの部屋」「ゲンザイの部屋」「ミライの部屋」という3つの部屋があり、それぞれの場所で銀河鉄道の夜をモチーフに演者がダンスをしたり、オブジェが置いてあったり、パフォーマンスをしたり、色々な方法で表現をしていた。
これが何のメタファーが隠されているのかを考えるのが難解だった反面、とても象徴的だった。
代官清水
はらまちベースを出ると、お寺と神社が隣接している通りを歩く。
ここで、乗務員から鈴を鳴らして歩くよう言われる。静かな鈴で、穏やかな音色だった。それは原作で「盲目の無線技師」が使う無線のように感じられた。また、神社とお寺というのは「生」と「死」の象徴であり、原作でタイタニック号と思われる船の沈没とその犠牲者のメタファーなのかもしれない。
次に行った「代官清水」でもそのメタファーは続く。
そこは昔から野沢地区の生活を支えてきたおいしい清水が湧いている場所で、祠もある。
その「水」に関係のある場所で、乗務員たちは帽子を取り、黙祷のような姿勢になった。これもタイタニック号の犠牲者に対する黙祷か、または、原作で「北十字」を通りすぎる時に乗客がお祈りをする場面のメタファーではないかと思った。
鈴を鳴らした神社とお寺がある通りと、代官清水はもしかしたら、2つで1つで原作のタイタニックと思われる船の犠牲者が銀河鉄道に乗ってくるの場面を表していたのではないかと思う。
根本時計店
次に向かったのは、現在「西会津商店」として営業されている旧根本時計店という建物。
ふだんは、西会津の若手移住者がイベントスペースやバーに使っている。
今回の演劇では、「食堂車」として位置付けられていた。
席には指定があり、最初に車掌が撮った乗車記録の写真が飾ってあった。
ここでおいしいご飯をいただく。
本当に、ひと昔前の列車の旅で出てくる食事のようだった。
食事を味わってからは、車掌から到着の案内がある。
ここで一旦旅は終了で、演劇もここで解除になる。
観客である私たちは外に出され、車掌たちが食堂車のカーテンを閉める。
言葉に書いてしまうと、この通りの動きであるのだが、そこには1つ1つの動作から詩的な情緒性を感じた。ぜひこの場面を見ていただきたい。
ちょうど、映画監督でこの演劇では音楽家を務めていた方が動画をアップしている。14:00から見ていただきたい。
遺失物集積所
ここで、車掌が出てくる前に野沢駅で登場した案内人が再度出てきて、私たちを遺失物集積所に案内する。遺失物集積所は、現実世界では蒲生館という場所で、かつては下宿屋で西会津に赴任した学校の先生たちが滞在していた場所だった。
そこではなくしたものを返してもらう(=失ったものを回復する)ことができる。
音楽のアーティストが何かの象徴のように即興音楽を奏でていた。
無造作に置かれたモノの間には、リンゴや胡桃や、昔自分が使っていたかもしれない子供時代を象徴するおもちゃが置いてあった。
これは何を私たちに思い出させようとしているのだろうか。
「集積」するのだから、私たちの日々の暮らしの中で、どこかに置いてきたようなものを取り戻す時間であるのだろうか。
蔵
最後は、現実世界に戻る境界のような「蔵」のカフェでコーヒーを飲む。
現実と虚構の間のような場所で、車掌もいなければ、遺失物もない。
案内人が案内してくれて、演出家やプロデューサー、料理人などこの演劇のスタッフたちと話をすることができた。
ここで、私は物語の世界から解放された感覚を得た。
同時に異郷訪問譚の中にいたのだなと感じた。
今回の演劇を「解剖」してみる
ここからは私が感じ取った感想を書いてみる。
突然だが、私が日常の中で大事にしているテーマの1つに、「日常のものを使って、非日常をつくり出す」ことがある。これは2019年に企画し、NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げていただいた「DEEP集落鬼ごっこ。」でも基礎としていたコンセプトだ。
前回の第1弾『注文の多い料理店』では、芸術村という「建物」全体を使い、屋内で胎内巡りのような体験をしたのに対し、今回はまち巡りだった。街中での演劇を、しかも難解な原作をどうやって表現するのかが非常に気になっていた。
「日常にあるものを使って、非日常をつくり出す」、つまり日常にあるものにアートの力を使って、詩的なメタファーを付与することで見事にその世界観が表現されていた。
1.境界の越え方の違い 平面でなく層
この演劇でも「異郷訪問譚」の構造が取られていたと思う。
まちなかを「異郷」として再構成していたと思う。
異郷訪問譚とは、物語の主人公が異郷に赴き、そこで歓待もしくは試練を受け、異郷の異性と結婚したり、異郷の宝物を与えられたりした後、元の世界に帰り、元の世界の王となる型を持った物語グループの総称である。
異郷とは、異世界、非現実の世界、魔法の世界、神々の世界、非日常が起こる世界とされ、『桃太郎』の鬼ヶ島、『浦島太郎』の竜宮城、ジブリの『千と千尋の神隠し』の油屋の世界などが挙げられる。
異郷訪問譚には、様々なバリエーションがあるが、大きく分けると下記の通りの構造
原作『銀河鉄道の夜』もこの構造であり、ジョバンニが天上(異郷)に旅をして、友人カムパネルラを見送るという試練を経て、現実世界に帰ってくる。
それを演劇では、まちなかをアートの力で異郷に置き換えて現実世界に置き換えをしていた。
その現実から異郷に赴くツールが今回は「列車」「汽車」だった。
文学作品であれば、川端康成の『雪国』、映画であれば『千と千尋の神隠し』、『ハリー・ポッター』が有名。これらの作品では、列車は日常(A)から非日常(A’)に平面的に「境界を越える」ためのツールとして出てくる。
[図1]
そしてこの『銀河鉄道の夜』の原作では、多くの物語が起こる場所が列車の中。登場人物のジョバンニとカムパネルラは、日常の延長線上としての「平面」ではなく、非日常世界(異界)へ旅する「層」を越える移動をしている。
現実世界(A)から星めぐりの世界(B)と移動をする。その後、ジョバンニは現実世界(A)に、カムパネルラは天上(C)に移動をする。[図2][図3]
原作の中では「三次元空間」「四次元空間」という言葉が出てくるが、次元を越える旅、または「層」を越える旅と言えるだろう。
今回の演劇化に際しては、物語の要素を重んじつつ、次元の異なる「層」の構造を持つ物語を、今回の作り手の皆さんが野沢のまちなかという現実世界(三次元空間)で、小説の要素の組み替えをして非日常(四次元空間)を表現をしていた。
2.層の構造のある物語の演劇化
この、「層」の構造を持つ物語の演劇化、そして町巡りが、どのように表現されているかが非常に楽しみだった。「層」を越える物語を現実に表現するには、何か象徴的なものを用いなければならないし、原作の要素をメタファーとして「顕す」必要があるから。
今回の演劇化では、パンフレットにも書かれているように「ここにある記憶を、物語を、旅する。」ことがテーマとなっている。
「あなたのなかにある記憶を旅していただきます。」「この旅で、あなたはなにを思い出しますか。」という問いが作り手から出されている。
今回のまちめぐりで巡った場所は、
・野沢駅
・はらまちベース
・お寺
・熊野神社
・代官清水
・根本時計店
・蒲生館
・駅通り商店街
・旧劇場通り
・蔵
だった。この巡った箇所には、過去の土地の記憶であったり、そこに暮らした人の精神性であったり、町の文化や歴史といったものを感じとることができる。
村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でも、大事なものを喪失した主人公が、自分の過去に関係あった人たちのところに「巡礼」をすることで、再生していく。
今回の演劇でも、まちなかの各場所を回りながら、その場所それぞれの「記憶」に触れることで、自分の内なる記憶を旅して、何かを回復していくことができると感じた。
だから、西会津を知らずに今回参加した人も、どこか懐かしい気分になったのだと思う。
めぐった各場所は、アーティストがメタファーを込めて、現実における生の風景と文化歴史的風景が二重になって見えるようにした。その2つは対応関係にある。
・野沢駅=野沢駅
異界への入り口でもあり境界でもある。現実の世界と異界の両方にあるゲート
・はらまちベース=四次元空間
銀河鉄道が走る「天上」の世界=四次元空間を三次元展開をして表現していた
・代官清水=タイタニック
神社とお寺のある通りと代官清水は、タイタニックの犠牲者へのメタファー
・根本時計店=食堂車
かつてあった時計屋と眼鏡屋という過去の雰囲気や物が残る場所を食堂車として空間づくり
・蒲生館=遺失物集積書
昔、主に教員の下宿宿だった場所。この地区の昔からの写真も残されており、町の変遷を見守ってきた建物で過去に思いを馳せ、未来を考える
・蔵=蔵
この演劇限定でカフェの営業をしている。現実世界に私たちが戻るのを助けてくれる場所。
このように、原作の持つ「層」の構造を、「立体」に置き換え、過去の蓄積と土地の記憶という「舞台」の上で、過去と未来との間で演劇がなされていたのだなと感じた。
結果、野沢という土地でしかできない『銀河鉄道の夜』が出来上がっていった。
3.カコ・ゲンザイ・ミライの部屋
今回の演劇の中で、最も難解だったのが、はらまちベースで展示されていた「カコの部屋」「ゲンザイの部屋」「ミライの部屋」の解釈だった。それぞれの部屋にオブジェクトが置いてあり、演者がパフォーマンスをしている。
その場所の意味、そして展示されているオブジェクトを見ても、なかなか示唆を得られないでいた。
しかし、上演後に、今回の演劇の演出家の方と話す機会があり、3つの部屋は、原作で銀河鉄道が走る「四次元空間」を三次元空間で表現したものであるというお話を聞いた。
そこで思い出したのが、映画『インターステラー』で用いられた次元の考え方だった。『インターステラー』では、「五次元空間」というものが出てくる。「次元」の考え方が物語の重要な要素。それに興味があり、次元について過去に少し勉強したことがある。
(※私は小学校から理科が苦手な文系人間なので、次元についても雑誌Newtonやリサ・ランドールの本を読んだだけ。間違いがあったらご指摘いただきたい)
四次元空間(本当の形は想像できない)を三次元展開したときの図を思い出した。当てはめてみると、それぞれの部屋が過去であり、現在であり、未来として表現されている。[図4][図5]
それぞれの部屋をめぐることで、この演劇全体の構造との相似形を思わずにはいられなかった。演劇の全体がまさに三次元で展開する四次元の物語だったから。
それぞれの部屋に、原作で登場するアイテムがあらゆる方法で展示されていた。
人目につきづらい箇所に、開かれて裏返されて置かれた本のページが、宇宙についての話であったり、リチウムの話であったり、出てくるウェルカムドリンクが「苹果と山のかみさまの葛湯」「シナモン香る微糖ホットミルク」であったり、原作の要素が取り込まれていた。
4.数々のメタファー
前述のように「層」を越える物語を現実に表現するには、メタファーでの表現が重要となってくる。今回は「メタファーのお祭り」ともいうべきほど多くのメタファーがあった。
・そもそも原作の小説自体にもメタファーが多く出てくる。決まった解釈はないそうだが、「牛乳」は銀河、「鳥を捕る男」はこぎつね座、「苹果を配る燈台守」はヘルクレス座を表していると考えられているそう。
・野沢の街中の拠点を、星(銀河の各駅?)のメタファーとして表現されていた。
・町内各所にお祭り用のボンボリが置いてあったが、それは列車から見える無数の星のメタファー?
・神社とお寺の通り、代官清水でのタイタニック号の犠牲者に対する黙祷か、または、原作で「十字架」を通りすぎる時に乗客がお祈りをする場面のメタファー?
・出発地の野沢駅で、足元を照らすライトが配布される。これは、原作の「烏瓜のあかり」のメタファー?
・食堂車(根本時計店)でドヴォルザークが流れてきたが、これは宮沢賢治と東北という地、「時」「内なる思い出」に思いを馳せろというメタファー?
5.時代の変化から考える西会津で上演される意義
今回、西会津でこの演劇が行われる意義は何だろう?と、参加前から考えていた。参加してみて、その意義が見えてきたように思う。
昨今の社会は、成長社会から成熟社会へと変わり、画一化から多様化へ、集中から分散へ、正解がある時代から、正解がない時代へと変化している。[図6]
成長社会で経済が成長する中で、資本主義の外にあり、経済の中でいらないようなもの、例えば、土地の歴史、家の歴史、人情、近所、旅(昔ながらの旅というとらえ方)、自由、故郷、田舎、大家族・・・といったものが価値がないものとして位置付けられていってしまった。
しかし、成長の時代が終わり、社会が成熟していく中で、それまで信じられてきた神話(終身雇用、学歴主義、大企業は倒産しない)といったものが崩れてきている。人々が依りどころとしていた基盤が揺らいでいる時代。
そのような中で、これまで排除されてきた「地域」や「近所」「家族」といったものが見直されてきている。3・11やコロナショックでその傾向が加速しているように思う。
この時代にあって、西会津には、地域も残っており、土地の歴史、家の歴史、人情、近所、故郷、田舎といったものがある。だから西会津に住んでいる人も西会津を好きだと言う方が多いし、外部から来る人も、西会津に愛着を持つのだと思う。現に西会津への移住相談も増えている。
一方で、西会津町野沢は、宿場町であった歴史があり、会津と新潟の通過点で、どこかへ向かう人が立ち寄り、何かを得て旅立っていく場所だった。今回の体験型演劇では、その通過点というものを象徴していたように見受けられる。
そういったことから西会津は土地として「日常のものを使って、非日常をつくり出す」ことに合っていたのではないだろうじゃ。それは、デザインであり、洗練であり、昇華だ。
そのような土地で、街に触れるというのは大変意義のあることなのではないかと感じる。
6.スタートとゴールのズレ
この演劇で興味深かったのは、出発の場所とゴールの場所が異なっていたことだった。
物語論の異郷訪問譚の基本は「行って、同じ場所に帰ってくる」こと。
しかし、今回の演劇では、同じ場所には戻らなかった。野沢駅がスタートで蒲生館(遺失物集積所)がゴール。そこで出発の時になくしていたものを返してもらう(=失ったものを回復する)ことができる。
この蒲生館は昔の野沢地区の写真もたくさんあり、過去の街の記憶を思い出すことができる場所であるというのも興味深い。
スタートとゴールをずらすことで、野沢を通り過ぎ、それぞれの人の目的地に向かっていくことを表現していたのではないだろうか。
今回、このような素晴らしい演劇を作り上げた作り手の皆さま、お疲れ様でした。
再度、映画監督でこの演劇では音楽家を務めていた方が作った銀河鉄道の夜の動画。
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