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日記 茉莉が見ていた景色。

 10月20日(日)

 6時半起床。快晴。早番勤務。
 朝食、いちごジャムのトースト、ソイラテ。映画『青い車』サントラ聴きながら出勤。永遠に今の気候がいい。
 バスのなかで森茉莉『紅茶と薔薇の日々』読む。愛してやまない食べものについてイキイキと綴られた文章は、あけすけで面白くて愛おしい。でもそれだけではなくて、森茉莉の文章って美しいんだな、と思う。茉莉がかつて見ていたであろう光景が私の眼にも浮かんで、想像して、じんわりと切なくなる。かつて確かに存在していた、でも今は失われた景色。幼いころに見上げた空。父からの手紙に挟まれた白い菫の押し花。お嬢様育ちの茉莉のもとにも、戦争の暗い影は降りかかる‥‥‥。

 子供の頃住んでいた千駄木町の家の裏に、白い木蓮の大木があった。春になると真白な木蓮の大きな花が、空を蔽って、咲いた。その下に立って上を見上げると、空が暗くなるほど、真白い、大きな花で一杯で、ところどころに晴れた水色の空が、硝子のかけらのように、光っていた。その空を蔽う白い花々の群は一寸、恐ろしいように思われるほど暗く、白かった。小さな私はよく、その下に立って、白く暗い、花に蔽われた空を見上げた。

 戦後父の三十三回忌があった。その日私は兄と並んで親族席についていたが、ふと見ると兄の足元に萌え出たという形容そっくりの、薄緑の美男桂の芽——芽といっても既う蔓を延ばし、柔かな葉をつけていた——が出ていた。私はその時、私の幸福だった幼時にも、離婚当時の暗い日々の中でも、裏門から玄関までの四つ目垣を、もくもくと蔽っていた美男桂の、みずみずとした青い、ゆたかな塊を、幻のように想い浮べた。そうしてそれと一緒に、焼いてしまったいろいろなもの、父の手紙なぞをも、想い浮かべたので、あった。

十九日の夜、私は下車坂から上野の山を越えて、千駄木の家に行った。そうして闇の中で、日本橋の空が紅く燃え、その中に松坂屋の建物が亡霊のように立っているのを、見た。その時私は、どれだけつづくかしれない哀しみの旅に出る、最初の一歩を踏み出したのだと、想っていたので、あった。私は立止まり、深い感慨に、撃たれた。それは私の「東京」への愛惜で、あった。

森茉莉『紅茶と薔薇の日々』


 勤務。平穏無事。楽しみにしていた『九龍ジェネリックロマンス』新刊、明日発売だった。崖っぷち状態の巨人ファンの同僚が、万が一CSを勝ち上がったとしても日本シリーズでソフトバンクにボコボコにされることが分かりきっているからつらい、と嘆いていた。そんなことないよ〜、とは言えなかった。ソフトバンク怖いよねえ、と一緒におののく。

 帰宅。郵便受けに選挙券が入っていた。スマホのカレンダーに『選挙』と入力する。
 夫作の夕飯。トンテキ(きのこクリームソースかけ)、トマトきゅうりサラダ、あまりもののコンビニおでん(大根、卵、牛すじ)、玉ねぎスープ。トンテキのソースがとても美味しかった。マッシュルームが高かったからと代わりに使ったエリンギが大正解。野菜が高い昨今、きのこは我らの強い味方。CSを観ながらもりもり食べる。1点リードで迎えた9回、大勢がランナーを出しながらもなんとか踏ん張って巨人薄氷の勝利。まだまだ野球が楽しめてうらやましい。弱者に楽しむ権利はない。巨人ファンの同僚によかったねのLINE。大勢、試合を盛り上げなくていいのよ!という気持ち、痛いぐらい分かる。

 熱いコーヒーにマシュマロをふたつ入れてみた。なんか面白い味。たぶんもうやらない。寝る前、小学生のころ狂ったようにハマっていたロマサガ3のビューネイとの戦闘シーンのBGMを聴いて、懐かしさと格好よさに心が震えた。

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