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後輩書記とセンパイ会計、 軽音の合戦に挑む

 

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば小泉八雲に日本の怪談を伝授するほどの親友にだってなれただろう。ふみちゃんは小学校時代、小泉八雲の書いた『怪談』が日本語に翻訳された本を出版社別に読み比べるほどの上級者だったらしい。もともと『怪談』の内容は日本の妖怪で、それを小泉八雲が英語の本にして、その上で日本語に翻訳された本を読む時点でかなり回りくどいと思うのだが、ふみちゃんはそれを楽しむ度量に満ちているようだ。ちなみに、小泉八雲――本名ラフカディオ・ハーンの名前は何となく聞き覚えがあって、ふみちゃんいわく、ギリシャ生まれで、アイルランド人の父とギリシャ人の母を持ち、日本に渡って英語教師を仕事にして日本に帰化したという経歴を聞くと、まったくややこしくて溜め息が出そうだった。
 生徒会室で、そんなふみちゃんから預かった琵琶という日本の古い弦楽器のバチがなくなってしまい困惑している一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの和楽知らずで、数学が得意な理屈屋で、文化祭のために眼鏡に装飾をしているところだった。
 十月二十八日、開架中学の文化祭『開架フェスタ』の二日目、最終日である。この日のために、生徒会もいろいろ準備をしてきたが、生徒会長の屋城世界さんが言い出した企画が「ギタパク☆グランプリ」だった。世界さんはすごい名前だが、性別は男だ。陸上部のエースであり、秋が深まっても日焼けが薄くならない本格の健康スポーツマンである。
 で、ギタパクというのは、口パクのギター版で、ギターを持ちながらギターを弾かずにパフォーマンスをする企画である。つまり、エアギターだ。と、世界さんは一方的に僕たちに説明した。テレビでは口パクのアイドルを何百人と見かけるけれど、みんなが部活やクラスのしっかりした出し物を発表する中で、口パク的な企画をやろうと生徒会から言い出して押し切った世界さんは、生まれながらの大物である。
「数井くん、眼鏡はバッチリ?」
 女子副会長の英淋さんがクレープをもぐもぐ食べながら生徒会室に入ってきて、散らかった室内にひとりの僕に話しかけた。イチゴと生クリームの甘い匂いがする。英淋さんはクレープの入ったほかほかのビニール袋をさげている。何個入っているのだろうか。ずっしりとミルフィーユみたいに大量に入っていて、見るだけではカウント不能だった。
「……英淋さん、それ、全部クレープですか?」
「うん。弟たちに買って欲しいってねだられちゃって」
 英淋さんは楽しそうに答える。家族想いで世話好きな性格の人だ。
「弟が文化祭に来てるんですか?」
 一般の人も遊びに来れるオープンな文化祭だった。
「その予定だったんだけど、私が学校来た後、弟たちから電話が来て、一番下の弟が熱出して面倒見るからみんな来れないって言われたの。だから持って帰ろうと思って」
「えっ、それだけクレープ買っちゃった後に?」
「ううん、電話はその前だよ」
 僕は首をかしげた。
「……冷めますよ?」
「大丈夫だって。冷めても美味しいって、売ってる子に言われたから平気だよ。数井くんは眼鏡かけてるけど、心配性なんだね」
「いや……というか、眼鏡は――ほとんど関係ないですけど」
 そんな感じだった。ちなみに、僕は今日ギタパクの司会をすることになっていたので、多少はインパクトを出そうと思い、眼鏡にキラキラのシールを貼ったりモールで飾ったりしていたのだ。
 甘い匂いが部屋に充満する。小腹の空く時間だった。たぶん僕の物欲しそうな表情を見てか、多めに買ったからと言って英淋さんが焼きたてクレープを僕にも一個くれた。英淋さんは僕と同じ学年だが、留学経験があるので一歳年上である。バナナの詰まった温かいクレープをありがたく受け取り、手にした大きな琵琶を壁に立てかけ、かぶりつく。バナナがぬるっと口の中に飛び込んだ。
「で、いま持ってる変な楽器は、数井くんの私物なの? 三味線よりずっと大きいね」
 英淋さんは僕のそばのイスに座り、興味深そうに琵琶を眺めた。クレープのクリームが唇の端に少し付いている。
「これ、ふみちゃんの家で保管されてる楽器らしいですよ。琵琶って言います」
 胴の丸い木製の弦楽器だ。バチは今ちょっとどこかへ消えているが。ちなみにふみちゃんの家は神社だった。
「……ビワ? それって、果物じゃなくて?」
 英淋さんは留学中に向こうで日本文化に詳しくなったそうで、知っていると思っていたが、古い和楽器までは守備範囲でなかったようだ。僕は少し得意げな顔をして今日ふみちゃんに聞いたことをそのまま英淋さんに話した。琵琶はペルシャが起源と言われ、中国を経由して日本には奈良時代以前に入ってきたという。大陸ではビバやピーパーなどと呼ばれ、日本で琵琶という呼称になった、と。
「えっ。じゃあ、果物のビワは?」
「この琵琶に似てるからじゃないですか? たぶんこっちが先ですよ。琵琶は古い和歌や絵巻物にも出てくるそうですし」
 これもふみちゃんの受け入りだ。ふみちゃんはもっと正確に和歌集や絵巻物の名前を言っていたが、それはさすがに覚えきれない。
 英淋さんはイスから立ち、琵琶の前にしゃがみこんで楽しそうに表面を指で撫でる。ふみちゃんのお父さんが今日のためにきれいに掃除したとかで、汚れは一切なかった。
「じゃあ、琵琶湖は? どっちが先?」
「楽器のほうみたいです。『形が琵琶に似てるから琵琶湖にしよう』っていう記録が古い書物にあるそうです」
 英淋さんは琵琶を見ながら笑った。
「何か――この二個並んだ三日月みたいな模様、困った顔みたいだね」
 最初ふみちゃんから渡されたときはそんなふうに感じなかったが、確かに言われると、琵琶の胴体の上部、弦の両サイドに八の字まゆ毛みたいな模様が刻んである。この模様は貝殻で出来ているのかな。薄くて硬いきれいな材質だった。
「これ、数井くんがギタパクで弾くの?」
「英淋さん、違います。ふみちゃんですよ」
「でも……ふみちゃんくらいの大きさあるよね」
 琵琶は何種類かあるそうだが、これは少し小さめで平家琵琶と言い、長さ八十センチほどらしい。確かに今朝、世界さんと僕が打合せしている生徒会室に、ふみちゃんが大きな布に包んだこれを抱えて入ってきた瞬間、ボクシングのサンドバッグか抱き枕を持って来たかと思った。世界さんなんか「何だそれは。ムーミンの寝袋か? 隣りに突撃するしゃもじか?」とまったく意味不明な問いをしたくらいだ。ふみちゃんはいつも通り「屋城センパイ、違います」と言い返したけれど。
 琵琶の説明が終わると、英淋さんは僕に素朴なことを聞いた。
「へぇー。すごいけど、ふみちゃん、何でギターじゃなくてこれ持って来たの?」
 それは僕だって知りたい。ギタパクのことを家族に話したらお父さんのスイッチが入り、毎晩丹念に磨いてくれて、調律も完璧にしてくれたそうだ。今日、弾かないのに。とにかく古代日本から受け継がれる魂の重みは感じる。子が子なら親も親のようだ。
 ――それよりも、バチが見つからない。
 まあ、弾かないからいいか。後で帰る前に一緒に探せばいいだろう。

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