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【後編】後輩書記とセンパイ会計、片足の美女に挑む

 電話を終えた後、僕はのどが渇いたので、校内の自販機で冷たい飲み物を二本買った。自販機は玄関の靴箱に近くにある。当然だけど、ここにはたくさんの靴や上履きがある。何で靴を片方盗むのか。それはよくわからないまま、生徒会室に戻った。ふみちゃんのはリクエストされた抹茶入り緑茶だ。僕はアミノ酸飲料にした。
 ガラガラと引き戸を開けると、ふみちゃんはふふふっと微笑んだ。
「数井センパイ、その顔を見ると、ずっと悩んでた感じですね」
「ふみちゃん、えっと――ジョウロウだっけ、女郎だっけ。それって蜘蛛の化け物だったような気がするんだけど、蜘蛛だったら足は八本だよね」
 ごく最近、本屋さんで日本の化け物について図鑑みたいなものを立ち読みしてみたのだ。もっとも新しい眼鏡を買う予定があったので本は買わなかったけれど、蜘蛛の姿をした美しい女の化け物がいたのを何となく思い出したのだ。
 すると、意外にもふみちゃんは驚いた顔をした。冷たいお茶を受け取ると、ひんやり感を気持ち良さそうに楽しんで、座る僕を見ていた。
「数井センパイ、違います。それは女郎蜘蛛(じょろうぐも)のことで、男の命は取りますが、女の靴は取りません」
 なるほど、と軽く返事をする。化け物の危険性が違うと言っているのだろうか。
「そう言えば、片足の女は滝のあたりに出ると言ってたね。現れる場所も違うの?」
 ふみちゃんはまた目を丸くした。普段よりいろいろ化け物について質問をする僕が珍しいみたいだ。まあ、立ち読み程度のにわか知識などすぐ忘れてしまうだろうけど。
「数井センパイ、ちょっと違います。滝に女郎蜘蛛が現れた話はあるんです。有名な演歌にも登場する【浄蓮(じょうれん)の滝】というところで、男が滝のところで休んでいると、無数の糸が足に絡みついてきて滝壺に引き込もうとしたという話です」
 糸で絡めて男を水中に引き込み命を取ろうとする、というのは他にもふみちゃんから聞いたことがあった気がしたが、あれは滝でなく川だったか沼だったか。ただ、この手の話の違いを覚えることに自信がないので、僕は静かに冷たい飲料をのどに流した。
 まだ耳にドドドドドド……という滝の音の余韻が残っている。銀河さんはもう大丈夫だろうか。あれから電話は鳴らなかった。
「滝はそういう話がいろいろあるんだね。足元が危ないからかな」
「そうですね、滝は――過去に貴族や武士や姫が身投げした伝説があるところもあります」
 ふみちゃんはボソリとつぶやいた。何だか銀河さんの旅の無事を危ぶむ言い方だけれど、たぶんそんな意識はないのだろう。まあ、銀河さんなら心配ない。むしろ、身投げを悩む人に出会ったら強引に手を引いてハイキングにしてしまいそうだ。
 と、僕の思ったことを話すと、ふみちゃんは笑った。
「えへへ。銀河さんは、滝の中に現れる不動明王みたいな感じですね」
「不動明王? それは神様だっけ?」
「仏様です。日本諸国の滝壺に不動明王が現れ、あらゆる悪鬼がひれ伏す、という伝承は【滝霊王(たきれいおう)】と名付けられてます。不動明王は剣を持って堂々と座った姿がよく彫刻や絵画にされるんですよ。背中に炎が燃え盛っている強面な仏様です」
 そんな最強クラスの仏様が滝に現れたらビックリするが、仏様の姿は見えないから勝手に想像するだけだろう。ちなみに、滝の水で背中の炎が弱ったりしないのかな、と仏様に対して余計な心配をしたりした。
 剣を構えて悪鬼を屈服させる仏様か。銀河さんは山刀を持っている。何となく勝手に脳内でイメージが重なった。滝の水音を背負いながら仁王立ちしている姿が浮かぶ。たぶんヘソ出し全開のビキニの水着だろうけど。
「ふみちゃん、その滝霊王に頼んで、靴を取り返してもらうことはできないのかな? 滝霊王は全国の滝にいるんだろ?」
 特に根拠のない思い付きだった。どんな滝にも最強の仏様がいるなら、今こそ頼ってみたらどうかと思っただけだ。すると、ふみちゃんの顔つきが少し変わった。ありですね! という激しくやる気に満ちた眼差しを僕に向ける。
「数井センパイ! その作戦やってみましょう!」
 といきなり目を輝かせた。いや、作戦と言われても僕は何をどうすればいいかまったく見当もつかない。文系の女の子に立てられて理系の僕に立てられない作戦があるのだろうか。あるとしたら託すしかない。
「ふみちゃん……何をするの?」
「お母さんに、不動明王の写メを送ってもらいます」
 ごめん、全然わからない。だいたい、ふみちゃん、お前は携帯を家に置いてきたじゃないか。どの端末で実行するのか、考えるまでもなく明白だった。
「……これで?」
「はい、合ってます! 数井センパイ、お母さんに電話していいですか?!」
 もちろん答えはイエスだ。僕はもうすべてを託す以外考えていない。
 ふみちゃんはお母さんに電話して、滝霊王、滝霊王とくり返し、了解を得たようだ。隣りで聞いていて普通の中学生母娘では出てこないすごい会話だった。僕は静かにアミノ酸飲料を飲んでいた。ふみちゃんが僕の携帯からお母さんのアドレスにメールを送ると、五秒くらいのハイスピードでメールが返ってきた。ふみちゃんはガッツポーズをしそうなほど鼻息荒く、携帯画面を僕にかざして見せた。
「数井センパイッ! これが不動明王です!!」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。なるほど、炎を背負い剣を持った厳めしい顔の仏様のプロマイド画像だ。間違いない。そしてこれを銀河さんのメールに送るようふみちゃんに頼まれた。
 もちろんイエスだ。僕たちはもうすべてを不動明王に託す以外ない。
 メールを送った直後、二秒くらいの超スピードで銀河さんが電話をしてきた。
『不動明王くん……だっけ?! これをどうするの?!』
 僕は不動明王くんではない、数井だ。普通の中学生だ。それはいいとして、電話の先でドドドドドド……とまた滝の音がする。加えてシュコシュコシュコと水鉄砲の気圧を溜めるような動作音も聞こえた。靴が片方ないこともあり、滝から離れず待っていたのだろうか。僕ならそんな不気味なことが起きたら滝から離れるのに、銀河さんはどれだけ肝が据わってるんだろう、と感心する。
 僕はふみちゃんに次の指示を求めた。
「銀河さんに、滝霊王を召還するよう言ってください!」
 ごめん、それは僕には荷が重い。即座に諦め、ふみちゃんに携帯をパスした。
「あっ、銀河さん、滝に向かって水鉄砲を撃つわけじゃありません。撃っても不動明王は出ません」
 たぶん銀河さんはただ撃ちたいだけのような気がする。ふみちゃんは指示を続けた。
「不動明王の印の画像も送りました。印とは手を結ぶ形です。図の通りに手を結んで、真言を唱えてください!」
 ふみちゃんが小さい手で不動明王の印を結び、僕がそれを写真に撮った。両手の人差し指を伸ばし指先を重ね、それ以外の指はすべて折り畳む形だった。浣腸みたいに一瞬見えたが、とにかくメールで送るとまた超速で電話が来た。ふみちゃんが出て応対する。
「銀河さん、違います。浣腸ではありません! これが不動明王の印なんです!」
 向こうも同じ勘違いをしたようだ。ふみちゃんは訂正を終えると、さらに指示をする。
「真言は、私がお手本を唱えて録音データを送るので、それを覚えて唱えてください!」
 うおっ、なんて難しい指示なんだ。僕が向こう側だったら、靴の片方くらい諦めて早々と下山する気もするけれど、ここまでふみちゃんと銀河さんが懸命にやっているので、水を差すことはやめた。
 ふみちゃんは僕に携帯の録音ボタンを押すよう言って、眼をつぶり真言を唱えた。
「ノウマク・サーマンダーバーザラダン・センダー・マーカロシャダー・ソワタヤ・ウンダラタ・カンマン」
 目を開けて大きく頷いた。あ、お、終わったのか。僕は録音を止め、すぐにデータを銀河さんにメールした。今度は音声を聴いたからか、少しして電話が来た。
『不動くん……だっけ?』
 だからそんな人はいない。難しい指示が来て銀河さんの心も焦っているようだ。
「銀河さん、完全に違います。落ち着いて。ふみちゃんに代わりますね」
 ふみちゃんは携帯を握って銀河さんに真言をしっかり教え、これを滝に向かって何度も唱えるよう伝えて通話を終えた。最後に「はい、水鉄砲は使いません」と付け加えた。銀河さんはやっぱり撃ちたいんだろうな。それは平穏が戻ったときに好きなだけやって欲しい。今はふみちゃんの言った通りにやりきってもらいたい。それだけでいい。

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