私はいつから冬が苦手に

学生時代の私は秋が好きだった。
洛北の、家から大文字の見えるマンションに住んでいた私は、自転車さえあれば行くところに困る事がなかった。秋の紅葉は鮮やかで美しく、おやすみの準備をする山々。冬の山々も静かで美しい。
有名な所では伏見稲荷神社や貴船神社なんかは、私の中では秋のイメージだ。(秋の京都はどこも人で溢れていたが、大抵の場合、山を歩く様な所のほうが空いていた)

春は桜が舞い、大学生の多い京都は若い希望に溢れていき活気に満ちていく。夏は肌の中に沁みるように暑いが、浴衣を着て濃い緑の中を歩けばそれだけで非日常の中に飛び込めた。中心地に行けば、1ヶ月近くは祇園祭がやっているから、街中を歩くだけでハレだった。
そして8月16日、自分の部屋のベランダから一人大文字が灯るのを見ると、後期への心の準備をはじめる。

1年で1番寒い季節に生まれた私は、昔冬が好きだった。
私の育った大阪平野や広島は温暖で降雪が少ない。
適度な朝の寒さは精神を引き締めてくれる。私が子供の頃のスキー場は今よりもずっと華やかなイメージだったし、何よりも誕生日を嫌いになんてなれなかった。冬は毎年、わくわくする季節だった。

4回目の大学3回生の1年間で、私は卒業研究へ進むことができる、落とすことの出来る単位が1科目しかなかった。履修出来る1年の上限が決まっていたのでどこも手を抜けなかったし、試験勉強を1人でやることの困難さを周回遅れで、それも悪い意味で実感していた。大学は間違いなく他者と協力しながら学問をする場所だ。

席の決められていない講義は全て前に座った。ただ過年度生は基本的にやる気がない。学問に向き合うものとしては私も例に漏れず、出来がいいとは到底言えなかった。教授たちもそれを実感していたと思う。
私は化学系の専攻で、同級生はほとんどが院卒でメーカーに就職する。しかし、化学系の研究室は9時から22時までひたすら実験し続けるのが当たり前だった。おそらくそれが日本の化学の強さを支えてる部分もあるのだが、見ているだけでもあまりにもキツく(と言うか、実際に研究室に入ると何度も体調を崩した)院に行く気が萎えていた私は学生時代は卒業したら絶対に文系就職だと思っていた。何故か結局理系職に就いている今の自分は正直奇跡である。

そんな中でも熱心な先生が1人いて、言語学を専攻してらっしゃる先生だったのだが、私のようなどう考えてもダメな学生にも平等に接していただいた。
とにかく課題の量がものすごく一切の欠席を認めないと宣言されていたのだが、時に厳しく、時に励ましていただき完遂した。
私は、忘れていた自学への姿勢を思い出した。先生がいらっしゃらなかったら、どこかで退学していたかも知れない。

しかし、まさにこの年以来、私は冬が決定的に苦手になった。
最初は午後の講義中。視界の周りがモヤモヤと生き物の様に動いていた。講義中ずっと違和感を感じながらも、それ以外は特に異常はないので空きコマで遅めの昼食を取る。
窓際での食事中に、強い光が目に入ったのを覚えている。なんだか頭痛がした。しかし少々の体調不良で休むわけにもいかず、そのまま講義に出た。

そして空きコマの次、くだんの教授の講義中だった。
突然世界が緑色の光に包まれて、それが収まると同時に経験したことのないような吐き気と頭痛が私を襲った。
たまらず席を立ち、死に物狂いでトイレに辿り着くと、緑色の胃液が搾り出されるまで何度も吐いた。30分後に早退をして、気力だけで病院まで辿り着く。
するとなんと「偏頭痛」と言う話。トリプタンと言う1錠1400円もする薬を処方され、病院で2時間眠らされた。
頭痛と吐き気はある程度収まったが、「とにかく部屋を暗くして安静にしてください」と言う医師の言いつけは、どう考えても守るしかなさそうだった。
試験前の時期に1週間まるまる休んでしまった訳だが、講義の時に途中退出した事を謝りに行った際、教授には「どう見てもただならない顔色だった」と不問にしていただいた。
この年は真面目に講義を受けていたので致命的な遅れにはならず、無事に単位を取得し卒業研究に掛かれることになった。

翌年度の1月、私は救急車で病院に運ばれていた。
発作が起こって以後、頻繁に偏頭痛が起こるようになっていた私は、朝自転車で大学に向かっていた。
自転車を段差スロープに乗り上げる時に滑り、そのまま後頭部を強打して気絶したのだ。周りの反応も冷たいものだった。

その翌年も、社会人1年目の時に吹雪の中埠頭で、体が動かない中放射線作業に従事した。これで完全に、冬の死のイメージが固定させられてしまった。

私の父方の祖父が交通事故で亡くなったのも冬なので、匂いに光、肌感覚――冬には嫌な記憶を引き起こすトリガーがあちこちに残ってしまっている。
今の私にとっての8月16日は、楽しい夏の終わり。厳しい冬の準備をはじめる、元気なうちにできることをしておこう、などと考えてしまうようになった日だ。

私はいつから、また冬が好きになれるのだろう。

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