昼と夜と夕暮れどき
私はまごうことなきアラフォーだ。
アラフォーという響きには何故か30代後半というニュアンスが強いが、そちら側ではない。
不思議なことに年々“若くありたい“という気持ちが薄れてくる、と思っていたのだが否、薄れるのではなく“健康でありたい“が頭角を現し、“若くありたい“欲求に優ってくるのだということに最近気がついた。
若くありたい < 健康でありたい
大学時代からの親友は、「人生」という言葉で泣けてくると言う。
元同僚は、命の母を飲み始めたと言う。
私は老眼の進行が激しいと言う。
「40代はもう若くない」と誰かの呪いにかかっているのかもしれないが、身体的・精神的な衰えはやはり否めない。
先日久しぶりに出社する日があり、その夜には会社の年配男性3名との会食が予定されていた。
一方、日中は久しぶりに顔を合わせた女の子2名とランチに行った。1人は22歳新卒、もう1人は30歳転職組4年目というフレッシュさである。
とにかく2人とも元気だ。リモートが続いているせいか、堰を切ったように話だし、箸が進まない。最後には「お腹いっぱいです…」と言って残す始末だ。
「じゃあその唐揚げちょうだい」と昔なら間違いなく言っていたが、このご時世なので我慢した。
リモートワークの良いところや困っているところ、これからやりたい仕事、家族や友達こと、一緒に暮らすペットのこと、ファッションやメイクのこと、とにかく会話があちこちに飛び、2人とも楽しそうにけらけらと笑っている。そして私も久しぶりに声を出して笑った。
彼女たちは、フラットな関係を築くのがとても上手だ。相手が誰であろうと臆さずに、構えずに、その人そのものを見ている感じがとても良い。
「先輩だから」「後輩だから」「上司だから」「部下だから」「男だから」「女だから」などという立場の色眼鏡から生まれる悪しき態度(迎合したり、忖度したり、威張ったり、マウント取ったり)が全くなく、お互いに対する尊敬と興味の上に関係が成り立っているように思える。
外は大雨だったが、まるで小春日和のような心地の良いランチタイムだった。リモートワーク生活にはメリットしか感じない私だが、たまにはこうやってリアルに会うことも大切かもしれない、と思った。
夜はまだ土砂降りだった。
3人の男性は50代前半〜後半で、かれこれ10年以上同じ職場で働く方々だ。
正直なところ、この会食は少々気がすすまなかったが、一方で高級鰻をご馳走になれるというから行かないわけはない。
お店に着くと、美しい着物を来た女性に案内され、重厚感溢れる貸切の部屋に通された。
料理はコースになっており、まずはお酒やソフトドリンクで乾杯した。
最初は会社の業績の話で持ちきりだった。これから先この業界はどうなるのか、会社はどこまで体力があるのか、希望退職が出されたらどうするか。
「aotenちゃんなんかまだ若いから、もし何かあっても副業とかもできるやろうし、やりたいこともまだまだできるやろ」
そうか、彼らから見たら1回り以上歳下の私は40代でも“まだ若い“のだ。
美味しい鰻を食べながら、過去の武勇伝(昔は楽しかった)や、ペットの介護の話(ペットもいよいよシニア)、健康の話(血糖値が高い)、子供の話(教育費が嵩む)、など決して暗い雰囲気ではないものの、昼間とは全く違った会話が繰り広げられた。
お酒が進むにつれ、皆ちょっとしたことで感慨深くなり、ペットの介護や看取る話になんてなろうものなら、ほぼ全員が涙目である。
私はシラフだが家にいる老猫を想い、もちろん涙目だ。
デイ&ナイト、それにしても、すごいギャップだった。
私はどちらの空気感も、遠いようで近かった。
どちらにも馴染んでいた、とも言う。
もしかすると40代は、夕暮れ時のようなグラデーションで、足早に変わりゆく「変化の時間」なのかもしれない。
希望があるようでないようで、未来があるようでないようで、若いようで老いているようでもある。
白髪も生えているようで生えていないようでもある。(生えている)
そして思ったのだ。
“暮れていく“寂しさを感じながらも、しかし、例え夜が来たとて恐れることも塞ぎ込むこともない。
夜にこそ天を仰げば、静かに闇を照らす月と、美しい星の輝きを見つけることができる。
夜には夜の楽しみ方があるのだ。
夕暮れ時を堪能したら、夜を楽しめる人生を私は送りたい。
帰り道みんなと別れた後、そんなことを考えながら1人がら空きの電車に乗り込み、健康のためと立って両足を踏ん張っていた。
兎にも角にも、まずは健康でありたい、である。
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