もう一度生きてみた(2023年のストーリー)
社会人になると時の流れは早く、若い頃を懐かしんでは「もしも学生に戻れたら」と、これまでに何度も想像してきました。そんな僕にとって、今年は絶対に忘れられない年になりました。
ちなみに2023年の出来事は↓こちら↓に整理しました。興味のある方はあとでご覧ください(スマホからだと見づらいのでPC推奨)。こんな感じでスプレッドシートを継ぎ足して自分のログとしていけるといいかもですね。
LINEを3月で卒業することは実は1年前に伝えており、十分すぎる準備期間があった僕。その間に後任を自らリファラルで採用し、業務を引き継ぎ、昨年から業務の整理を粛々と進めていた。結果、むちゃくちゃヒマになった。
副業用につくった自分の会社の仕事もあるし、大学の講義もたくさんした。それでもLINEの仕事がないため、週に10時間程度の労働。残業100時間あたりまえだった時期もある会社員生活史上、最高にヒマ。
40日ほどあった有給休暇を去年の年末から使い倒し、とにかくヒマだったので試しにセンター試験(共通テスト)を受けてみた。
あとヒマすぎてセンター翌週に、とある大学院も受けていた。これは面接試験の体験が悪すぎて志望度むちゃくちゃ下がった。エクスペリエンス最低レベル。
とはいえ「大学院だと1年したらすぐに修士論文を書き始めなくちゃだから、やっぱり学部で4年間どっぷり浸かるのがいいな」と思えたいい機会だった。
もちろん2月もヒマだった。
2/2に武蔵野美術大学のクリエイティブイノベーション学科を受けた。学部と大学院を両方受けるちょっぴり迷いがちな珍しいメンズだった。
クリエイティブイノベーション学科は実技試験がなく、英語と現代文だけ。美大に行きたいと思う僕には渡りに船だった。これまた無対策で臨んだが、「あれ…けっこうできたかも…」という感じだった。
それでも、来年に向けての予習として模試代わりに受けていたので、結果は特に期待しないでいた。
入試があってもヒマすぎたので、アクスタをつくるなどしていた。賢明な読者の方はお気づきだろうが、受験を舐めていた。
そして合格発表。
結果は2/18当日に開催される「青田努ディナーショー2023」にて参加者の皆さんと確認することにした。
結果、晴れて補欠2番となり、ここから3/30まで1ヶ月以上「今日、繰り上がり合格が決まるかも or 繰り上がり終了するかも」というハラハラした毎日となった。なんせ、前年も前々年も補欠6番まで繰り上がっている。
「4月以降の仕事を入れていいかどうか判断に困るから、落ちるなら落ちるで早く知りたい」「というか早く落として」という心境だった。
繰り上がり合否を毎日チェックしつつも、LINE社の有給休暇消化中で他にやることもない日々。
沖縄に遊びに行った。ヤンバルクイナ博物館にはヤンバルクイナは1羽しかいなかったけど、楽しかった。
この頃は「よーし、今年は47歳だから47都道府県全部まわるぞ」と考えていた。
3/24には5年半ほど勤めたLINEを退職した。ここで、新たな向かい先の報告などもした。退職エントリとしてはかなり読まれた。
退職時にプレゼントしたアクスタは一部の後輩にたいへん喜ばれた。
その後も繰り上がり状況を1日2回確認する生活が、3/30まで続いた。
結果「補欠1番」までしか繰り上がらず、補欠2番だった僕の受験は終了。
その後、成績開示があった。合格者最低点とは2点差だった。1問の差で僕の人生は大きく変わった。面白い、人生はこうでないと。
当初は実技で美大に入る選択肢を想定していなかった僕は「あと一歩だったから、ちょっとだけ国語と英語を勉強しようか。あとは週に2日くらい働いて週3日くらい遊んで来年また受けるか〜」くらいに考えていた。とてものんきだった。
転機は、その翌日に訪れた。
詳細は↑こちら↑に書いたが、自分の中で蓋をしていた選択肢「実技で美大に入る」という勇気が芽生えた3時間があった。
かくして、「47歳だけど入学させてちょんまげ〜」という美術予備校アタックの日々が始まる。
予備校アタックの顛末は↓こちら↓。
新宿美術学院、河合塾美術研究所、御茶の水美術学院には年齢を理由にメールだけで入学を断られた。
かたや、すいどーばた美術学院には面談の機会をいただき、結果的にとても良かった。魅力的なクラスメイトや先生方に出会えたし、家から自転車で通えて、仕事部屋にも近い。
さて、ここから楽しい地獄が始まる。
①まず美術予備校は週6だった。週5だと思っていたし、そもそも美術予備校に通うことを3/30まで考えていなかった自分は4月以降の仕事をすでに何件か入れてしまっており、その調整がかなり大変だった。
②しかも2月の時点で編集者さんと「ヒマになったので、そろそろ本の執筆始めますね〜」と約束していた。
ヒマじゃなくなっても本は書くわけで、慣れない新生活の最中に200ページ分の執筆と図表作成・ゲラチェックなどは僕の体力・思考力を大胆に削った。
③そもそもくそアウェイ。周囲の多くは18歳。そこに47歳のおっさんが1人ぽつんといる情景を想像してください(おかげさまで1ヶ月経つころには暖かく迎え入れてもらえた)。
④ずぶの初心者。周囲のほとんどは画塾にすでに通っており、勝手が分かっているけど、マジで何からしていいか分からないレベル1の状態を久しぶりに味わった。
デッサンの基本とかマジで分からないので、登校前にデッサン動画を観たり、翌日のモチーフが分かっている場合は入念に予習した。47歳の謎のオッサンが下手なデッサンしていたら、周囲はかける言葉も見つからない。
自分で望んだものの、なかなかの修羅の道だった。でも毎日が新鮮で、真剣で、楽しかった。数年後に感じる「いま思えば夢のような日々だった」のその一日一日だと。
ちなみに10年前は早稲田の大学院(社会人向けの夜間課程)で週4日ほど、Amazonを18時退社して19時の授業開始に間に合うようにダッシュで駆けつけていた。
あの頃の自分よ。いいか、落ち着いて聞け、「お前は10年後は美術予備校生をやっている」。
予備校の授業が本格化。GWは予備校の課題と仕事漬けだった。7月の出版に向けて書籍の執筆・ゲラ確認なども毎朝していた。大学の授業もしていた。
絵はとにかく下手だった。
完全に素人スタートだったので、1日のほとんどを劣等感ベースで過ごす生活が1ヶ月半ほど続いていたが、いきなり初めての上段をいただいた。ちょっと気分的に前進。
予備校のアトリエ内ではアクスタが普及し始めた。
この頃は執筆・仕事・予備校などが集中し、仕事部屋に泊まるなどもしていた。
デッサン・色彩構成は今よりもっと下手で、毎日苦戦していた。先日の上段もブックカバーデザインという受験本番にはあまり関係ない特殊なお題だからな…と大した自信になっておらず、1日の大半は悶々とした時間だった(それも楽しかったけど)。
そんな折、2回目の上段をいただいた。講評の中で「視デらしくないけど、いいと思います」と言われた。
それまでに過去問と合格作品を一切観たことがなかった僕は「視デらしさ」がまったく分かっていなかったけど、支えになった。
とはいえ、珍しくこんな心境になるほどに至ってはいた。思い描いたものを手で描けない壁。
そういえば、話は変わるが今年の出来事として欠かせないことがもう1つ。この頃「髪がふさふさになった」。去年の年末くらいからAGAの薬を飲んでいて効果てきめん。クスリやばい。
さて、後半に突入。
相変わらず画力は下段がデフォルト。中段で喜ぶ状態。
2代目のアクスタはこの頃できあがった。
7/21には著作が発売となった。まだ買っていない人はつべこべ言わずに買ってください。今すぐ。
おかげさまで、ベストセラー1位(カテゴリTOP)。
書籍にするサイン代わりにシールをつくった。持ち物に名前を書く手間が省けて良かった。
7月末でCast a spell(僕の1人会社)も2期目が終了。おかげさまで週1日労働で3000万円達成。まあまあえらい。
8月は夏期講習、真っ盛り。夏期講習は夏休み中の高校生たちが参加するので、アウェイ感が増す。47歳の隣に17歳が座って同じ課題に取り組み、普通に負ける日々が続く。
夏期講習は地方からホテル宿泊して参加している子たちもいて、本当にすごいなと思った。みんな合格してほしい。
相変わらず下段がデフォルトだけど、たまに上段。
2課題立て続けに上段だったので、ついにブレイクしたと思った(気のせいだった)。
8月は書籍の販促のためにYou Tubeのチャンネルなどに何本か出演したりもした。
武蔵美・多摩美の学科(国語・英語)模試を受けるなどもした。この頃になると学科の勉強はしていないけど、29年前の学力で多摩美1位、武蔵美8位ゲット。まあまあえらい。
9月前半は2週間ほどの夏休み。といっても仕事をするチャンスなので、イベント登壇や雑誌のインタビュー対応や研修のお仕事などをした。
よくよく数えたら今年は、登壇・動画系コンテンツ出演・雑誌インタビュー・ラジオなど22本の出演があった。本業と合わせたら100本ほど人前で話す機会があった。
金融系・マーケティング系のほか、『週刊SPA!』さんや『THE21』さんなど、人事系以外の場も増えた。
10月から大学の後期授業が始まるため、週3日18時から講義することになった。17時まで予備校生で、18時から教授。
画力は、デッサンはまだまだ下段、色彩構成は中段に上がることが増えてきたくらい。
翌日の課題が発表されるようになったので、深夜2時くらいまでエスキース(下描きみたいなもの)をして臨むことが増えた。それでも下段になったりする。
武蔵美の基礎デザイン学科の推薦を受けた。落ちた。
でも教授の方々といろいろお話しできたし、自分の今後の課題(今よりももっと大きなテーマを持つこと)にも気づけたから自分なりに一歩前進。通常の入試で合格してやると思いました。
デッサンは相変わらずやばいけど、平面構成は久しぶりに前進感あり。こちらで5回目の上段をいただきました。3ヶ月ぶり(長かった…)。
この頃から、しんどそうにしているクラスメイトが増えてきた感がある。そりゃそうだよね。
僕の場合は
■落ちたら落ちたでネタになる。
■学費も時間もあるのでもう1年くらい普通に大丈夫。
■場は大学でなくても、30年前に追えなかった「描くこと」自体ができていて嬉しい。
■僕の進路にとやかく言う人もいない。
と捉えているのでトータル楽しい。
疲労はあれどMPはオート回復で満タンだし、これまでの努力で自尊感情も自信も自己効力感も十分にある。でも、やはり人生1周目の若者には辛く感じられると思う。
最終的にはライバルにはなるわけだけど、僕はクラスメイト全員が満足のいく結果を得られたらいいなと思っているよ。
僕はクラスメイトたちの努力する姿勢や作品から刺激をもらっている。彼らの頑張りを観客としてアリーナ席からではなく、登場人物として同じステージに立って観ることができている。
その恩返しとして、願わくば「あの時、人生後半戦になっても楽しいことにチャレンジしている大人がいた」ということを今後の人生で思い返して、それが何年後かにクラスメイトたちの人生において何かの糧になったら嬉しいな。
そういえば僕も昔は暗い気持ちだったよ。
冬期講習がスタート。
8日連続なので人権がない。
画力はというと、コツを掴んできたようで一気に上段3回。
あらまぁどうした青田。何が起きた? お前、2週間前の学内コンクール激ヤバだったじゃん。クスリやってる?(AGA以外の)
↑描くの楽しかった。
↑これはオススメしない。黒く潰すだけで膨大な時間がかかった。
↑食べものなので美味しく見えるように描く。
こうなってくると、ついに覚醒した感がある。目覚めちゃったね、おはようございます。この調子で2月から始まる受験本番を迎えたい。
初めて(5/30)の多摩美平面、↓これ↓だったからね。上達したもんだ。
そういえば、今年の元日はこんなことを考えていた。
そして今日、自分に問うてみた。
ALL YESだったよ。
2023年はそんな年だった。
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