性教育/雨月日記
性教育
何の関係の話だったか、女の友達と話していて「人間にも発情期を復活させて欲しい」などという旨の事を言ったが、それは完全な平和の為の発明的な考えであるわけもなくて、どちらかと言えば、終身刑の囚人が苦しまぎれに思い付いた陳腐な脱獄の方法に似ていると思ってしまって欲しい。僕は男だから、と言うと言い訳になってしまうけれども、性に関しての牢屋に自分を含め、沢山のオスがいつでも囚われているような気がしてならないところがある。毎日の満たされない欲求が、他人から機会を与えられるか、自ら強引にでも作り出した時に、叛乱的な芸術のように醜悪な様相を呈してしまうという事に、僕は詩人としても、いち男子としても「残念」な気持ちに捕われてしまうことがある。ある時期にしか、こういった気分にならなくて済むのなら、男子はその手を精水にも悪にも愚作にも染めることなく、温和に過ごせるのではないかという浅はかな考えからだったが、それを聞いた友達は「そんな事になってしまったら、その時期に色めき立った男どもが一斉に街に押し寄せて、それこそとんでもない事になるんじゃないのか」と言った。なるほど、それはそうかもしれないと、僕は思ったのだがそれよりも、大概の人間の誕生日が近く或いは重なってしまう事になるという事を、僕は可笑しな発見をしたように思い付いたのである。そうなると例えば、他のある種の動物は誕生日というものに差異がないということになるわけで、なるほど動物にはあまり性格に大きな違いはないように思われたり、この種族は性格がみなおっとりしているというのも、つまりは誕生日が似通っているからという風に言えなくもない。そうなってしまえば、人間たちの性格というものがたとえば、二月生まれの変わり者の誰それのように皆同じになるという事になれば、大層まとまりのない無茶苦茶な世の中が出来上がるという事にもなりかねないが、それでもそこはここまで群集で進化してきた人間であるのだから、もっとも集団行動に適した性格の形になっていくのだろう。ちょっとした争いや諍いはあるにしろ、殆どの人間が同じような行動をするのだから、突然変異でもなければ平和な世の中になるのではなかろうか。僕は、それはそれで詰まらないことだと思いながら、結局は男と女の区別さえもなくなってしまえばいいとも思っている。似たような性別の者同士が、何となく愛し合い、気分次第で性交して、曖昧に子孫を孕み、少しばかり繁栄しながら、気付いたら絶滅してしまっていたとそういう風になってもいいと思う。お天気もまったくはっきりしなくなって、太陽や月も、面倒くさそうに顔を出したり、ぐうたらその顔を引っ込めたりすればいい事だ。それで昼と夜の境もなくなって、皆々、起きながら眠っていればそれで良い。そうなれば、進化をしなくなった人間は、いずれ堕落し、滅びてゆく。そんな中で僕は一人、考えたり詩を書いたり、愛人たちと清純な愛撫を交わしたり、こっそりと地下室に隠したお気に入りの少女と性交したりする。そのうちに、人間が滅亡しそうになったら、少女の手を取り動物たちのいる世界に出発するのだ。そうして、書き溜めた詩篇を法典にしながら、夢にまで見た世界の初代の国王として生きるのだ。