抑止力としての親の因果が子に報い

今から23年前の2000年3月さんが小学6年生の時に父親の大山清隆死刑囚は、保険金目当てに妻の博美さんを自宅の風呂で殺害しました。殺害当日の夜、“家族で夜釣りに行き、海で溺れ死んだ”ように見せかけるため、大山清隆死刑囚は何も知らないさんを連れて車で港へ。助手席に博美さんの遺体をのせ、さんには「母親は寝ている」と説明していました。その後、海で母親の遺体が見つかり溺死とされますが、その2年後、さんが中学2年の時に父親が逮捕されます。その時初めて母親が殺されていたことを知ったといいます。

悲惨な話だ。

2011年、最高裁で父親の死刑が確定しました。さんが働きだすと、勤務先に「人殺しの息子だ」という電話が入って解雇されてしまうなど、世間のバッシングは止みませんでした。今は、風俗業界で働いていますが心から安心できる場所はないといいます。

親の因果が子に報いた。

この記事のコメントに

刑務所で勤務しているときに、受刑者から自分の犯した犯罪で家族が苦労していることが最もつらいという話を何度も聞いた。

というのがあった。
被害者家族が苦労してることには頭がいかないわけである。
こういうのを見るとやはり親の因果が子に報いていかないと確率的には低い反省には繋がらんだろうなと思うわけである。(まあ繋がらんと思うが)

加害者及び加害者家族を救うリソースよりは被害者家族へのリソースに回されてほしいという気持ちになるのである。

なお今回は加害者家族であり被害者家族でもあるのでイーブンとして扱う感じになるだろうか。

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