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「ドイツ文化読本」(坂本貴志著、丸善出版)でドイツを再考

序にまず登場するのが、ベートーベン(1770-1824)の第九である。そして、おわりは、シラー(1759-1805)の「歓喜に寄せる」の詩で結ばれている。これがドイツ文化なのだということを、ロマネスク様式、次いでルネッサンス期から、順序だててたどっている。そしてそこここで多くの建築が具体的に解説されている。
それは、神聖ローマ帝国の時代でもある。1400年代から1800年代まで、戦争や革命があったけど、体制はあまり変わっていない。皇帝に直属する帝国都市と自治権をもつ自由都市が並立していた。(p.14)日本では文化が花開いた安土桃山時代から江戸時代に相当するとも言えるように思うが、絵画はともかく、文学や音楽の世界では圧倒的にドイツであり、それは今も生きている。
ルネッサンスで、まず登場するのが、紀元前のローマの建築家ウィトルーウィウスの再評価というのも、ルネッサンスはローマ回帰だから。(p.23)そして、人文主義の根幹にあるのが、マルティン・ルター(1483-1546)である。教会法の運用がほとんどすべて金銭と権益の移譲を伴うとう、行き過ぎた拝金主義への問題提起だった。これは、今の社会にもあてはまる。建築基準法の運用が、都市計画法をうまく使って、金銭と権益の移譲を伴っているのだ。素晴らしい前川國男の東京海上ビルが壊され、外苑の風致地区に超高層商業ビルの計画を都が容認する現状を、アガンベンの指摘にあるように、経済至上主義がまるで宗教のように振舞っていることの問題と同次元のように思うからだ。我々の建築基本法制定の運動をルターの心意気と勇気づけられた。
プロテスタントとカトリックが1618年から1648年までの三十年戦争が、諸侯の独立性を高め、神聖ローマ帝国の皇帝の地位を衰退させたという。ルネッサンスからバロックへの移行期である。シラーの「ヴァレンシュタイン」が三十年戦争を題材とした戯曲である。
バロックでは、ベラスケスの傑作「ラスメニーナス(女官たち)」(1656年)が解説され、その中心にいるのは、スペインのハプスブルグ家の王女が5歳のときのもので、後にウィーンのハプスブルグ家に嫁ぐことになる。この作品は、バルセロナのピカソ美術館でピカソが習作にして取り組んだ作品群を見た後に、本物をプラド美術館で見たこともあり、印象の強い作品である。
バロックの次は、啓蒙時代ということで、クリスティアン・トマージウス(1655-1728)の「理性学の手引き」(1691)が紹介される。「老若男女、あらゆる人が理性を使って学問を行い、そして互いに幸せになることができる。」(p.111)は、今日の民主主義の基本である。カント(1724-1804)の世界平和の考え方もこういうところからつながっているのだ。シラーはカントの哲学を参考にして美というものの考えを大きく前進させたという。(p.2)ベルリンでのゲーテ(1749‐1832)に続き、マンハイムでシラーの「群盗」(1781年)が大成功を収めたというが、それは自由で公平な市民社会を先取りしたものという。(p.156)
建築については、最後にケルンの大聖堂が紹介されている。1248年に建設が開始され1528年に中断したままだったものが、1842年に再開され1880年に完成したものである。まさにドイツ文化の象徴である。
過去に、1987年にアーヘン、2003年に、レーゲンスブルグ、2007年にワイマールなど、神聖ローマ帝国にちなんだ土地を訪ねたことを思い出しながら読めたことも、ドイツ再考になった。もちろん、ベートーベンのモデルといわれる「ジャン・クリストフ」におけるドラマチックな思考と行動をとも結びつけて、疾風怒涛の時代をドイツ文化の流れで位置づけられたということでもある。

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