ドキュメンタリー映画「スズさん」
映画はもう3年以上見ていないか。昭和のくらし博物館の小泉和子さんから案内いただいて、横浜シネマリンで見てきた。100人ほどの定員の映画館、30人ほどの我々世代の観客であった。登場人物としては、ほとんど小泉和子さんひとり。87歳の生活史研究者として、このような形で昭和の暮らしを記録に残すことは、とても意味があって、今後も若い人たちに暮らすことの意味を伝えたいとの気持ちが理解できた気がする。
明治生まれの普通の女性が、手仕事をみごとにこなす。そんな母を和子さんは、嬉しそうに語る。母(スズさん)のナレーションと和子さんの語りが、頭の中で少し交錯したりもした。昭和26年に金融公庫融資で建てた木造2階建ては、今は、昭和のくらし博物館になっていているが、随所に東京都の設計技師であった父の設計の工夫が凝らしてあって、それも和子さんのご自慢。だからこそ頑張って建物を残そうとしたのだ。
以前の催しで、1945年5月29日の横浜の空襲の中を、二人の妹を連れて逃げまわった話を直接に聴いたことがあるが、いっそうリアルであった。米軍の爆撃機の映像とからめて、イラストも添えて見せられると、改めて戦時下に生きた人々の生活を思う。延焼防止のために住んでいる家が取り壊され、大人の都合による2度の学童疎開を体験するが、それらの理不尽さを淡々と語る。
小生の父も、昭和26年に金融公庫融資で、4人家族のために馬込に家を建てた。箪笥を階段下にはめ込みにして部屋を広く使えるようにしたとかの工夫の話を思い出す。わが母が、どれだけ着物を使いまわしたかは定かでないが、洗い張りの板の存在は記憶している。スズさんより10歳くらい年下の専業主婦ということになるが、岐阜市での空襲も経験しており、重なるところが少なくない。映画が見られたら、感ずるところも多かろうが、施設にいてそれはかなわない。
家電製品により生活は便利になり、住宅の素材もほとんどが工業製品で構成されるようになって、「貧しくも心豊かな昭和のくらし」というキャッチフレーズの豊かさを感じにくくなっている時代でもある。道具や写真や80歳になってからのスズさんの家事の手仕事の映像も再整理されていて、貴重なドキュメンタリーが日々の生活の大切さを語りかけている。