白井晟一入門とノアビル
松涛美術館で開館40周年の白井晟一入門展を見てきた。布野修司さんのFBで、昨年来の展覧会が松涛美術館で開催されていることを知って、行きたいと思っていた。車で、飯倉の交差点を通るたびに、月一の「住まいマガジンびお」のために次はノアビルをスケッチしようと思っていた。
すると、NHKのEテレの日曜美術館で白井晟一をやるというので、日曜の朝9時から見た。若い映画監督がスーツ姿で、主に、佐世保の親和銀行の建物を紹介していた。ノアビルについても冒頭で模型も含めての紹介があった。
終わってすぐに、飯倉に出向いて、交差点の東京タワーよりの外れからスケッチした。黒のボールペンで黒い面の表現が難しいし、何より、手前の交差点内の交通標識の林立に加え、警察の車やバリケードが邪魔であったが、なんとか描き終えて、簡単なエッセーも書いた。まもなく、「住まいマガジンびお」にもまちの中の建築スケッチとして現れる。
せっかくなので、30日までという展覧会を見なくてはと松涛美術館を訪れた。建物全体が楕円のモチーフであるが、住宅街の中にうまく沿っている。中央の吹き抜けと池がおもしろい。地下1階は、1階の通路からも眺められるゆったりとした空間。2階もソファや書などがアレンジされていて落ち着いた空間になっている。松涛美術館の模型は、きれいな設計模型と竣工模型があるが、他の建物の模型や図面も見られるかと期待して行ったら無かった。その代わりに「白井晟一入門」(青幻舎)(2021年11月)を求めることができた。
冒頭に白井昱磨氏のノアビルと親和銀行の建物についての紹介があって、改めて建築家としての心意気に感動した。「住まいマガジンびお」のエッセーにも書いたのであるが、1974年は、竹中工務店に就職して東京の設計部への配属が決まっての2年目。ノアビルの竣工前に工事中のところを見せてもらったり、茨城キリスト教大学の「サンタ・キアラ館」では、設計のお手伝いや現場打合せの経験も思いだしたりして、当時の白井晟一の設計思想に触れる機会があったのかも知れなかったことを残念に思った。
もっとも、当時の自分は建築というものへの考えが大してあるわけでもなく、話を聞いても半分も理解したなかったろうと思う。白井が飯倉の丘の上にノアビルを設計したということは、町の中に新しい建築を生み出したことであり、それは、たとえ商業ビルであったとしても公共性を伴うということだという。ノア地蔵が壁に埋め込まれていることや、入口横に白井の意図に反して、施主が強引に窓が開けたことの意味をどのように考えるか。
もちろん、実現しなかった2つの原爆堂を設計したことの心なども、建築家としてのまちの構成要素を設計する精神さえ響いてくる。ドイツ哲学を学んだ白井が意識していたハンナ・アーレントのことも、当時の自分には響かなかったが今は、より一層わかる気がするのである。
円形よりも楕円形の方が人間的な形に思われる。もちろん、円弧を見せられれば、それが楕円の一部か円の一部かはほとんどわからないが、楕円を設計のモチーフにすることで可能となる空間の表現は、ふだんの四角い部屋の中で生活しているものにとって、設計者が仕組むことのできる空間のワクワク感でもあるように想像できる。
白井晟一という人間と、30代のときにほんの少し触れあったのであるが、こうして40年の年を経て、他人の紹介する記事であったり、彼の作品を通してであったりするが、建築とは何かについて、今だったらいろいろお話もできたように思うし、何よりも、建築基本法制定の意味をご理解いただけたのではないかと思ったりしたのだ。
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