「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ、高橋義孝訳)読後感

 「ドイツ文化読本」の延長で、直接に味わうのであれば、何か読まなくてはと思って選んだのが、「若きウェルテルの悩み」(新潮文庫)である。1749年生まれのゲーテ25歳のときの作品で一躍有名になったのだという。
 内容は、全体が、だいたい友人ウィルヘルムへの手紙の形をとっている。許嫁のいるロッテへの思慕を募らせ、やがては自殺という結末を迎えるのである。そのほとんど最初の手紙1771年5月10日(p.8)の中で、「喜び」が綴られており、それが「ドイツ文化読本」(P.169)に引用されている部分である。自然の中に居ることを感じている喜びで、現代でこそ大切にすべき喜びの心のように感じられる。ベートーベン4歳のときに書かれたということになるが、後の交響曲「田園」に通じる心と思った。
 より直接的な表現としても、8月18日(p.85)のところでは、幸福について思索している。「渓流はたぎり落ち、脚下に河が流れ、森と山とが鳴り響くとき、ぼくは大地の底深いところでそれらがたがいにはたらき合い創造し合うのを見、地上には、大空の下で生きとしいけるものの群れがうごめき、すべてのものが実にさまざまの姿をもってこの世界をうずめており、人間も小さな家の中に寄り合って安楽な生活を営み、そこに根をおろして、自分なりに自分たちが広大な世界の支配者だと思っている。哀れな愚者よ。」そこでとどまっていたら、今日の気候危機などという状況は生まれなかったろう。人を愛するという心がこのような世界観をもたらすのだろうか。
 より具体的には、翌1772年9月15日のところで、牧師館のくるみの木が伐り倒されたことに対して「気が狂いそうだ」と書いている。(p.139)「あの枝ぶりのすばらしさ、すがすがしさ。あれを大昔に植えた尊敬すべき坊さんたちの追憶。・・・あの木陰に立つとぼくはいつもおごそかにその人を思い出す。」青田の庭のコナラの木を隣家から、枝が張り出しているから何とかせよ言われ、伐ってしまったことを思い出す。「枯葉がゴミになる」という人間には、「木の葉のお陰で、われわれは呼吸ができているのに」と答えることにしている。
 解説にていねいなゲーテの生涯が記されている。多感な少年時代から、神聖ローマ帝国のフランクフルト、ライプチッヒと移り住み、恋多き青年となる。フランス領シュトラースブルクで法律を学ぶが、ドイツを発見したという。外国に行って、初めて自分の国を知るという面がある。30歳で、ワイマルに呼ばれ大臣として、学芸文化の中心地で政治にもかかわった。
 そんなゲーテの若かりし頃の感情ばかりの高ぶりが物語となってはいるものの、若い新鮮な心の描写は、200年経っても色あせない。そして自然の中で生きていることの描写は、おそらくは、20代で読んでどこまで感じられたかとも。

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