見出し画像

奥村まことの生涯とその設計(村上藍 著)のこと

フェースブックで、修士論文を3年暖めて本が生まれたことを知り、エールを送ったところ送っていただいた。著者の村上さんは、東大を退職した年に日本女子大で住居学科の1年生に建築構造の基礎の授業を非常勤講師として受け持ったときの一人。その後、芸大の大学院に進学し、光井渉研究室に所属、5年前に85歳で亡くなった奥村まことのことを調査研究対象にされたということだ。
 奥村まことは奥村昭雄と二人で生活し設計してきたということがよくわかるし、奥村昭雄についても丁寧に書いていて楽しく読んだ。人のつながりの輪の面白さを発見した。OMソーラーの創始者である奥村昭雄のや奥村まことの名前は、OMソーラーのパンフレットで名前だけ知っていた。パッシブソーラーと言う形で自然環境を取り込んだ住まいということから、OMソーラー普及のための工務店ネットワークを作った小池一三氏を知ったのは、東大で社会文化環境学を始めたときで、建築生産の清家剛(当時助教授)の紹介で3年間オムニバスの演習に来てもらったことがきっかけである。その後も、岡山の銘建工業の集成材工場を見学に連れて行ってもらったり、浜松のOMソーラー(株)の社屋である「地球のたまご」を訪問したり、そして今も小池氏の縁で「住まいマガジンびお」に毎月建物スケッチとエッセーを寄稿させてもらっている。
 資料が多く整理されて残っていたということもあるにしても、丁寧にまとめられていて、読みやすかった。章ごとに「小結」があるのは、論文の名残かもしれないが、本としては、少しうるさいかなとの印象だ。
 ライトが荒野の中にタリアセンで設計活動をしたことと、スケールは違っても木曾御岳奥村設計所というのがイメージでつながる。「町医者のような建築設計や」であると自ら称していたようであるが、いままさに日本の住宅の質を考えると、そんな建築家がもっともっと必要なのだと思うし、それが本書からも見えてくる。
建築家としての奥村昭雄まことが、かなり近い存在になった気がする。多くの図面が写真で載せられているが、図面そのものをさらに見ていくともっと見えるものがあるのかとも想像した。
面白かったのは、「憲法ノート」。結婚にあたって社会主義社会の実現をめざすことを宣言するというのも驚きであるが、その中身がまた、人権の尊重そのもので、ハンナ・アーレントが「人間の条件」を著したのが、1958年で世界が大戦から立ち直ろうとした思いとして通じるものが感じられた。

いいなと思ったら応援しよう!