青苧トンネル出口案件
本日も上越青苧座にお越しくださり
ありがとうございます。
ノリと勢いでnotoを初めてまだ一週間にならないのですが
「スキ」とか「フォロー」とか「みなさんに届いています」とか
とーーーっても嬉しいですね。
❤️やフォロー、本当にありがとうございます。
とても励みになっております🎶
さてさて
まるでトンネルの出口と入り口を同時に掘っているかのようだと思ったと
前回書いたのですが
入り口はもちろん青苧を育てること
そして出口は世の中の皆さんに使っていただくこと。
使っていただけるようなものを作るにはどうばすれば良いのか。
ざっくり言って、ここ
私が欲しいと思うものしか作れないなと思ったのです。
好きなことしかできない
好きなものしか持ちたくない性分ですので
そういう結論に至るわけですが、
我が家の民泊のお客様にもちょいちょいおられるのですが
世の中にご自身で生み出したものを送り出している方が軒並みおっしゃるのは
「売れるもの」ってやっぱりみなさんが「好きなもの」なんですね。
お話を伺っていたらやはりそこは外せなくって。
だよねだよね、と思いながら
自分の進んできた道をこれでよし!と念押ししたりするのですが。
出口戦略なんて思っちゃいませんが
その「青苧でつくりたい好きなもの」を少しだけご紹介してみます。
青苧は昔、鈴緒に使われていた
鈴緒(すずお)ってご存知でしょうか?
神社に行くとぶら下がっている鈴がくっついている太い縄のことです。
あれは神様につながるパイプ的な役割をしているという話を聞いたことがあるのですが、昔から伝統的に大麻や苧で作られていたそうなのです。
もちろん麻や苧がそこらへんに沢山あったから
強くて便利だからという側面もあったでしょうけれど、
それならフキでもハスでも繊維が取れれば何でもいいんじゃないの?とそういうわけにはいかなかった訳があったと思います。
きっとそこは感受性の高い日本人のこと
目に見えない何かを知っていたんじゃないでしょうか。
大麻や苧を使う理由。
大麻は今現在も神社ではお祓いやお札などとして使われていますので
なんとなく理解できるところだと思うのですが
苧は?あんまりイメージがないですね。
謙信公の時代
謙信公が川中島に何回も行けたのは
青苧/越後上布と米・塩のおかげだと言う話です。
(佐渡金山の金による収益は養子の景勝さんの時代からです)
越後青苧座から終点は天王寺の青苧座へ
そこからお公家さんや神社の宮司さんやお殿様や大名などの衣装として
重宝がられ流通していたと聞きます。
布といえば麻苧絹と言う時代が江戸時代まで続いていますので
日本全国津々浦々普通に日常生活に浸透していたと思われます。
それほど当たり前にあったものですから
その「よさ」もみんな知っていたと思われます。
神社に鈴緒に使われているのも
「よきこと・好ましいこと」があったのだと思います。
ご神事にも使われているくらいですから
鈴緒に近いもの
例えばしめ縄のようなものだったり小さなお守りだったり
何か作れないかなと思った訳です。
そこでネット検索しておりますと何やら美しい輝きを放つ
大麻飾りなるもものの存在を見つけました。
大麻飾りはヒモが命!
その美しいヒモの結びかた〜飾りの作り方を知りたくて
弟子入りしました!
(弟子という言い方はしておりませんが)
そして晴れて大麻飾り職人として作品作りができるようになりましたので
それも青苧に活かしていきたいと思っています
続く
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