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「忘れてやらない」について(ミニコラム)(ぼっち・ざ・ろっく!)

1.はじめに

みなさんは『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品をご存じでしょうか?
私はこのアニメに出会ってから、一日の思考の20%をぼっち・ざ・ろっく!(以下、ぼざろ)に託しています。
アニメは誇張なく10週は見ました。

この記事を読むような方はすでにご存じだと思いますので、概略だけ紹介します。
ぼっち・ざ・ろっく!は「はまじあき」さんの漫画作品で「まんがタイムきらら」に掲載されています。
2022年秋にアニメ化され、爆発的なヒットを遂げており、今期の覇権であったといっても過言ではないでしょう。

さて、このアニメは女子高生4人がバンド活動をするという、かつての「けいおん!(かきふらい)」を思い出させる作品です。
「けいおん!」をご存じの方はイメージが付くと思うのですが、アニメ化に伴い、多くの楽曲がこの世に発表されました。

その中で今回は1曲ご紹介できればと思います。
基本的には厳密な歌詞解釈というよりは、私がこの曲を聞いていたら、こういう風に感じましたよという感想文です。

2.「忘れてやらない」

今回ご紹介するのはアニメ12話の劇中歌として発表された「忘れてやらない」です。
まず、公式からの曲のリンクと歌詞を引用します。

ぜんぶ天気のせいでいいよ
この気まずさも倦怠感も
太陽は隠れながら知らんぷり

ガタゴト揺れる満員電車
すれ違うのは準急列車
輪郭のない雲の表情を探してみる

「作者の気持ちを答えなさい」
いったいなにが 正解なんだい?
予定調和のシナリオ踏み抜いて

青い春なんてもんは
僕には似合わないんだ
それでも知ってるから 一度しかない瞬間は
儚さを孕んでる
絶対忘れてやらないよ
いつか死ぬまで何回だって
こんなこともあったって 笑ってやんのさ

狭い教室 真空状態
少年たちは青春全開
キリトリ線で区切れた僕の世界

嫌いな僕の劣等感と 
他人と違う優越感と
せめぎあう絶妙な感情 
いったい なにやってんだ

「わかるわかる、同じ気持ちさ」
ホントにそう思っていますか?
たじろぐ僕の気も知らないで

誰かが始める今日は
僕には終わりの今日さ
繰り返す足踏みに 未来からの呼び声が
響いてる「進めよ」と
運命や奇跡なんてものは
きっと僕にはもったいないや
なんとなくの一歩を 踏み出すだけさ

オトナほどクサってもいなくて
コドモほど天才じゃないが
僕は今 人生の中間だ

風においてかれそうで
必死に喰らいついてる
いつもの鐘の音も 窓際に積んだ埃も
教室の匂いだって
絶対忘れてやらないよ
いつか死ぬまで何回だって
こんなこともあったって 笑ってやんのさ

「忘れてやらない」作詞:ZAQより引用

3.「忘れてやらない」について
私はぼざろの曲の中で「あのバンド」と「忘れてやらない」という曲が頭ひとつ抜けて好きだ。

忘れてやらないの歌詞にある
『嫌いな僕の劣等感と 他人と違う優越感と
 せめぎあう絶妙な感情 いったい なにやってんだ』
『誰か始める今日は 僕には終わりの今日さ』
『風においてかれそうで 必死に喰らいついてる』
あたりが絶妙に感情に刺さる。

『誰かが始める今日は〜』の箇所は、作品のメタ的に見れば9話の「江ノ島エスカー」でのたこせんを食べただけで満足してしまった自分を自虐的に書いただろうなと思う。

これは僕の経験談なんだけど、意味もなく5時過ぎまで起きて、そこから家族から逃げるように布団に隠れたことを思い出す。
朝日に抵抗するように意味もなく起きて、誰かが起きて学校だったり、会社だったりに行って、今日という日を始めている。
他の人は学校に行っているのに、僕はなにもせずに漫然と自室にいる。
そういう焦燥感とか、孤独感とか、そういうごちゃごちゃしているのを「忘れてやらない」と聞いていると思い出す。

僕にとって中学校は、みんなと同じ学校じゃなくて、いわゆるフリースクールだった。
僕にとっての『いつもの鐘の音も 窓際に積んだ埃も 教室の匂いだって』いうのは、みんなが行った学校じゃなくて、自室から「ああ、今は2時間目かな」と頭の中で流れるチャイムだ。

また、社会人になって必死にくらいついた教員時代を思い出す。
劣等感と優越感が入り混じりながら、必死に社会に喰らい付いて、いいことも悪いことが入り混じりながら、なんとなく一歩ずつ積み重ねていった。

『いつもの鐘の音も 窓際に積んだ埃も 教室の匂い』からは本当に色々なことを思い出す。
僕は働きすぎて、自分をコントロールできなくて、体を壊して教員を辞めてしまった。
だけれど、俺の中に確かに生きている。

この曲のいいところはリフレインされる『絶対忘れてやらないよ』というフレーズだ。
この劣等感まみれのフレーズから、それでも『笑ってやんのさ』という肯定感が非常に味を出している。力強い。ニーチェのようなものを感じさせる。

僕は学校というものから、こう思う。
生徒というのは卒業した後にいろいろな人生を送っていく。

大学生になるかもしれないし、社会人になるかもしれない。
もしかしたら、教員を志す人もいるかもしれないし、結婚する人もいるかもしれない。
僕にはコントロールできないけれど、引きこもる人もいるかもしれないし、法を犯してしまう人だっているかもしれない。

それでも、わずかな期間だが、間違いなく、一緒の時を過ごす・過ごしたはずだ。

一緒に文化祭でアカペラを二人で歌ったし、一緒にオープンスクールの台本を考えたし、一緒に山だって登って、海にだって行った。
一緒の場所で飯を食べて、一緒の場所で話し合いをして何かを作っていた。
時には混乱を極めることもあったし、激しい風にだって揺さぶられた。

それでも、あの景色は、あの情熱は、あの心の近さは、俺にとっては本物だったはずだ。
今はもう過ぎ去ったかもしれないが、確かにそこにはあったはずだ。

こうして、道のない道を手探りで進んでいきながら、無我夢中になって、道で出会ったものに向かい合っていたはずだ。
確かに俺は道を進むことを急ぎすぎたかもしれない。風が強すぎること、雨が激しすぎることに文句を言ったかもしれない。

先陣を切る人がいなくて、文句を言いながら、ひたすら走っていたかもしれない。
俺はまだまだ子供だったかもしれない、何も物事を知らなかったかもしれない。

それもだって、お互い様のはずだ。
あの感情、あの信頼、あの愛情。
あの協働、あの連帯、あの創造。
そういうものがあったはずだ。それが何も残さないなんてことがあるんだろうか。

俺の言葉、俺の情熱、俺たちの時間。
俺たちの言葉、俺たちの情熱、俺たちの風。
他人に何が残るかなんては、俺には決してコントロールできない。

だけど、今、この俺に燻っている、整理されていない、判別されていないものは、確かに残っている。


だから、忘れてやんないんだ。

4.最後に

たまにどうしようもなく走りたくなる。
耳には結束バンドの音楽が流れている。
ドラムの音と一緒に走るペースを上げていく。

「あのバンド」が「忘れてやらない」が俺の何か不明瞭なものをかき乱して浄化させていく。
「Distortion!! 」が、前借りしているこの命を使い切らなきゃと、わけもなく走り出させる。

音楽を言葉をかき鳴らすんだ。


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