先生の仕事の何に惹かれるのか
おはようございます。
ヒミツキチ森学園のあおです。
他のオルタナティブスクールのカリキュラムの相談を受けることが増えてきた。
昨日も水曜日のリモートを生かして、そんなお仕事の依頼を受けた。
昨日はさらに、「横浜をつなげる30人」の企画のスタート。
大好きな横浜のためにできることを探したいなぁと思って参加したんだけれど、異業種の皆さんも関心が強いのは、「教育」なんだというのがわかった。自分の想いも丁寧に聞いてもらうことができてなんとなく嬉しかった。
コンサルで相談を受けているうちに、また異業種の方に話しているうちに、ふと思ったことがある。
それは、ボクが先生っていう仕事の何に惹かれているのだろうか、ということ。
今もなおずっと先生を続けているのにはきっと根っこの理由があるはずと、帰りの車の中でゆっくり考えてみた。
答えは出てきてないけど、なんとなく続きを今、考えてみる。
若いときは、自分が貢献できることに夢中になっていた。
こんな自分でも求められる。
先生、先生と慕ってくれる。
一生懸命やると、子どもにいい変化が現れる。
そんなところに惹かれていたと思う。
ただあれから20年が経とうとしている。
先生が置かれている状況も、この20年で変わってきた。
モンスターペアレンツ、先生の労働環境の過酷さ、倍率の低下。
我が国で「先生を目指すこと」は、正直、若い子の憧れではない。
それでもなお、惹かれ続ける理由。
それは近くで寄り添えることなのではないだろうか。
何気ない1シーンがボクにとって心に残ることが多い。
苦手だった「算数」でその子がちょっと前進した。
友達とぶつかりまくってた子が、相手の声を聞く姿が見えた。
わからない問題に自分から挑む表情。
そんな何気ない1シーンに、ボクはたまらなく嬉しくなる。
理論として、
こんなことができるようになる
あんな子どもになる
〜をする
っていうのもある程度大事だけど、
ボクにとっては、子どものそばに寄り添い、小さな成長を愛でることの方が遥かに大事な気がしている。
そんな伸びていく芽が出る瞬間に立ち会えていることを幸せに感じている。
こういう姿がたくさん見られるには?
何を変えていく必要がある?何を変えずに続けていく必要がある?
必要なシステムや考え方は?
そんな探究を続けるのが大好きで、子どもの姿が探究し続ける原動力にもなっているんだ。
それはオルタナティブスクールでも公立の小学校でも変わらなかったこと。
どこの場所にいてもできることだと思う。
そして先生でなくてもできること。
我が子に対しても同じように接している。
先生としての自分と、素での自分を使い分けるのか同一化させるのかというのは、先生の中でもよく議論になるところだ。
でもボクはなるべくおんなじ自分でいたい。
スイッチを切り替えるんじゃなくて、1日を通して同じ自分でいたいんだと思う。
あまり器用ではなく、気持ちのスイッチを切り替えすぎると疲れてしまう。そうやって人生の中でもいくつか休んできた時期がある。
他者に寄り添いながら、きっと自分にも寄り添うパワーを子どもたちからもらっているからだろう、ボクは元気に仕事を続けることができている。
人に寄り添うことは、他者によっかかってもらうこと。
その重みの心地よさに、充実感を感じ続けている。
重みに笑みをこぼし、自分自身を奮い立たせながら、また今日も子どもたちの前に立ちたいと思う。
そばで寄り添うために。
お読みいただきありがとうございました。
今日も良い一日を。
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