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マカロンとシャクナゲ
マカロンを潰して、スタッフ(作者)がおいしくいただいたそうだ。潰してみたかったらしい。
いま、わたしの目の前にふんわりと大きく咲くシャクナゲを見てそのエッセイを思い出した。濃いピンクと黄色、薄いピンクと黄色のシャクナゲは、昨日、よく行く花屋さんが豪勢に包んで下さったものだった。自分の誕生日だったから千円ほどで小さな花束を作って欲しいとお願いしたら、こんなにたくさんの花を使って花束にしてくれた。ゼラニウムの葉が良い香りを部屋に広げる。さわさわと緑を撫でると手が爽やかになる。初めて私の部屋にケイトウが来た。ちゃんと注文したら三千円はゆうに超えるだろうに、年をとっただけでこんな豪華なものが私の部屋にある。部屋の鮮やかさに廊下から入る度に笑みがこぼれる。
シャクナゲは潰さない。
マカロンを潰して食べた人は、その後マカロンに正面から向き合うことが出来たんだろうか。
わたしは、マカロンを食べる度に飛び散った欠片と粉、固くなってぎちりと歯に詰まる感覚、手に持つ儚さを潰す快感を思い出して、ちゃんとマカロンの味一二〇%を感じれないんじゃないんだろか、と心配になる。
勇気とは案外、いっときのことしか見てなくて、人間はその後もエピソードを記憶して生きていくことを忘れがちだ。
わたしは元カレにいい顔したくて雀を食べたことがある。居酒屋のメニューであったのだ。いまだに後悔してやまない。元カレは蛮勇の名の下に自分を傷つけたかっただけなんじゃないかと心配になる。そういうところがあるひとだった。
近所のデパートで北海道物産展をしているらしく、ラベンダーソフトクリームが売っているそうだ。
いつも花を食べようとする人たちに驚く。香りを食べようとする試みはだれが始めたのだろうか。いまだ美味しいと思えたお花の食べ物が少なくて、特にラベンダーなんか身構えてしまう。母がよくラベンダー園で飲んだラベンダーのお茶の話をしてくれて、とてもとても、美味しそうじゃないのだ。精油を流し込み、ずっと鼻奥に香りがいるような気持ちだったそうだ。
ほとんど一度だけ、おいしいと思えたのはピエールエルメのバラのマカロンだった。
嬉野に友人とドライブに行き、ピエールエルメのアフタヌーンティーを食べた。透明なガラスに囲まれた旅館の一角は古いと新しい、和と洋が混ざっていてこれをモダンというのかしらと感心した。
友人とおめかしをして着てきたワンピースの裾をふわりと広げて席についた。白いカーテンと雲のかたちをしたお皿。視界が白と緑で、天界とかそういうのに来たみたいだった。
たくさんの甘いケーキやお菓子のなかに、その薔薇のマカロンはいた。友人が先に食べて、これ薔薇だよ!すっごくおいしいと教えてくれてワクワクした。わたしだって美味しいお花のお菓子を食べたいのだ。赤毛のアンを読んで、ずっと菫の砂糖漬けに憧れていた。
ちょっと後回しにして食べた薔薇のマカロンは本当に美味しかった。小ぶりなのもよかったのか、ふわぁっと広がる薔薇の香りも嫌らしくなくて、二口分なのが惜しくて、でもちょうどよかった。たくさん甘い物があったけれど、驚きもあって一番お気に入りになった。
北海道物産展はいつまでだろうか。ラベンダーソフトを食べようと誘って一緒に来てくれる友人はいるだろうか。母はチラシを見て「うげっ」ていう顔をしていた。同じ顔になっても面白いし、美味しかったらそれでいい。
この勇気はラベンダー畑でよだれを垂らす私が生まれるかもしれないだけだ。ラベンダーで眠れる質ではない。