忌み地 第一章 結花子⑦
土曜日の早朝、最寄りの駅で壱央と待ち合わせた。約束通りの時間に現れたのは、ごく平凡な風貌で温厚そうな三十代半ばの男だった。結花子はもっと根暗な人物を考えていただけに内心驚いた。自意識過剰気味に霊が視える、あそこにいるとでも言いそうな人物像とはかけ離れていたからだ。
「初めまして、赤崎壱央です」
律儀にもう一度自己紹介してきたので、結花子もそれに倣った。
「赤崎さんがいれば、安心ですね」
壱央と呼び捨てにしていた亜美も、本人を前にすると改まった態度で話しかけた。
「壱央でいいですよ。あだ名みたいになってますし。じゃあ、行きましょうか」
三人は、結花子の車に乗り込むと、途中、亜美と入れ替わりながら運転した。道中、無言でいるわけにもいかなかったので、結花子は積極的に壱央に話しかけた。
「壱央さんのご出身って、沖縄なんですって?」
「沖縄の宮古島なんですよ。よく混同されますけど」
「宮古島にはその……、ユタって言う人がたくさんいるんですか」
「宮古島にたくさんいるかどうか僕は知りませんけど、ユタの知り合いや親族はいますよ」
「そもそもユタってなんなんですか?」
怪訝そうに結花子は訊ねた。
「おばあさんがユタって言ってましたけど、イタコと同じお仕事をされるんですか?」
「ユタはイタコとは違います。ユタはなんでもします。口寄せも占いもお祓いも霊を鎮めることもなんでも」
「壱央さんはユタじゃないんでしょう? それなのにどうしてユタみたいなことをしてるんですか」
「僕は祖母の血を一番強く引いてる身内になるんです。それもあって僕はユタになれる素質があるらしいんですけど、実際に祖母によく力を試されてましたね」
「試されるって?」
「霊のいる道を歩かされて、悪いものといいものを見極めさせられたり、儀式に一緒に連れていかれたりとか。道すがら霊を見ては、それはなんだとか言われるんですよ。それにちゃんと答えなきゃいけない。答えるためにはどんな霊でも見ないといけなくて、それが怖かった覚えがあります」
「今も怖いですか?」
「怖くないって言ったら嘘になりますけど、昔ほどじゃないですよ」
ならよかった、と結花子はほっとした。あの家が怖いと言われて帰られたらせっかくここまで来てもらった甲斐がない。
「視ないとわからないって言ってましたけど」
「祖母なら視なくても遠隔でわかりますが、僕は直接この目で確かめないとわからないんです。だからユタになれないんですけどね」
「どういう意味ですか?」
「目はごまかされるからですよ。心眼で視ないと騙されちゃうんです」
「騙す……」
「霊は、霊でなくても、装うことがあるんです。本質を嗅ぎ取られないために皮を被るんです。人にもいるでしょう?」
それを聞いて、結花子は夫を思い出した。付き合い始めた当初と結婚後の姿。あまりにも違いすぎて、結花子は何度も陰で泣いた。
車は昼頃になって安達野村落に戻ってきた。村落から少し離れた谷地に井野家がある。車を敷地内に停めたとき、家の中から夫が出てきた。二日しか経ってないのに、記憶にある夫よりも頬がこけて目が落ちくぼんでいる。具合が悪いのはわかっていたが、一緒に暮らしているときには気付かなかった。
「結花子!」
怒鳴られると思って体を縮こまらせたが、意外にも夫は優しい声音で結花子に話しかけた。
「心配したんだぞ? おなかの子にもしものことがあったらどうする?」
人目もあるから結花子はまず謝って、車から降りてきた壱央を友人だと紹介した。夫は訝しそうな目つきを一瞬見せたが、すぐに機嫌の良さそうな笑顔を浮かべた。どうも亜美の彼氏か何かだと思ったようだ。まさか家を霊視してもらうために連れて来たとは言いづらかったので、二人にはばらさないようにお願いしておいたのが良かった。
「どうも、結花子の夫の寿晶です」
壱央が軽く頭を下げて挨拶する。
「結花子、上がってもらって」
二人は薄暗い家の中に、夫と結花子を先頭にして入っていった。亜美が部屋全体を見回して、結花子に耳打ちした。
「こんなに暗かったっけ?」
「いつも暗いよ」
「そりゃ、日本家屋だし照明も暗いから仕方ないだろう?」
確かに夫の言うとおりだ。それでも八畳の部屋を蛍光灯で照らせば充分明るいはずなのに、明かりが部屋の隅にまで届かない。それで、結花子が不安を感じる陰が部屋の四隅に出来るのだ。他の二人も陰が気になっているのか、結花子は横目で盗み見た。
亜美はさっさと居間に荷物を置き、壱央といえば雪見障子の向こう側、廊下をジッと見つめている。
「どうしました?」
壱央にはすでに何か見えているのかと、結花子は期待した。
「この向こうが仏間ですか?」
まだ何も言ってないのに仏間の方角がわかるのかと、結花子は内心驚く。慌てて仏間に案内するために障子を開いた。雪見障子を開けるとコの字の廊下が見える。真正面にはカビが生えたふすまが締め切られている。
「ご挨拶していいですか?」
壱央が夫に訊ねた。夫が気安く応諾したのを見て、結花子はそこはかとなく違和感を感じた。仏間に他人を入れるのを嫌がると思ったからだ。ふすまを開けると、掃除をしていなかったためかカビの臭気に襲われて、結花子は鼻を押さえた。たった二日掃除していなかっただけでこんなにも酷くなるとは、思いも寄らなかった。確かに義母の葬儀のあとあまりのカビの酷さに辟易したことを思い出すと、こういうこともありえる。
壱央がためらいなくカビ臭い仏間に足を踏み入れる。結花子は電灯を付けようと思いつつ、入れずに突っ立っていた。亜美が結花子の横を通り仏間に入って、電灯の紐を引いた。パチリと言う音がして、チカチカと瞬いてから蛍光灯が付いた。薄暗い部屋の中を頼りない明かりが照らし出す。仏壇の黒と金色の飾りが電灯の光を照り返すが、なぜか余計に暗さを感じさせる。間接照明のような明るさだ。
壱央の視線が床の間に移る。床の間にはぎっしりと数多くの日本人形が並んでいる。亜美が気味悪そうにつぶやいた。
「いつ見ても気持ち悪いね」
「そうか? 人形は子供の守り神なんだぞ」
結花子の背後から、夫が声をかけてきた。
「何体あるんですか?」
壱央の言葉に夫が答える。
「四十体くらいだね。桐塑で出来たものもあれば、木彫りの素朴なものもあるな。おひな様や五月人形みたいな感じに扱ってたんじゃないかな」
「そうですね。人形っておっしゃるとおり、子供の安全健康祈願のためのものが多いですから。昔は子供も病気になりやすくて幼いうちに亡くなることだってありましたから」
壱央が夫に相づちを打つ。
気を良くした夫が居間に二人を誘って、結花子にお茶を入れるように言った。
仏間から離れられることで結花子の不安も和らぐ。壱央と亜美が買った土産の茶菓子を添えて、お茶を居間に運んだ。壱央が夫と話しているのを見て、夫に警戒心を与えない外見で良かったと思った。まさか、平凡な彼に霊を視る能力があるのだと説明したくない。そんなことになれば、夫がどんな態度を取るか想像できる。
結花子が夕食の買い物に行っている間に、三人はすっかり打ち解け合ったように見えた。夕食が済んでから、寝室の隣の部屋に壱央を案内して、結花子と亜美は居間で寝ることにした。
「寝る前に仏間を見たいんですけど」
壱央の言葉に結花子は身を固くする。チラリと夫を見るが、気にしてない様子で亜美と話をしている。
壱央と一緒に仏間に入り、床の間を前にして正座する壱央に、結花子は訊ねた。
「何かわかったんですか?」
壱央は人形を見てから廊下に耳を澄ませるように首をかしげた。
「大まかなことは」
「それで?」
「この家、確かに子供がいます。幼い子供です。たぶん、日本人形に憑いている霊でしょうが、この家の座敷童のような存在になっています。いたずらはしても、実際に害はないですよ」
結花子はなんと言っていいかわからず、軽く頷いた。でも、と反論したかったが、霊が見えない結花子に反論することなど出来ない。壱央が座敷童というならば、それを信じるしかない。
「僕はもう少しここにいます」
壱央に言われて、結花子は廊下に出て雪見障子を開こうとした。そのとき、亜美の声で、「おなかの子……もっと心配して……」と聞こえた。少し声を荒げているのがわかる。何のことだろうと聞き入っていると、「子供は……」と夫が答えている。二人して、結花子の話をしているのだろうか。今回の家出で亜美が夫を責めているのか、そう思うと亜美に対して申し訳なく感じる。いつまでも盗み聞き出来ないので、何事もなかったようにして障子を開けた。