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ゴスを着ていた頃のはなし。
今日はまたゴス時代の思い出話を。
バンギャ達が集まってなにをしていたのか、あまり知らない人も多いと思う。
けど、たぶんしていた事そのものは普通の人と変わらない。ちょっとファッションが派手だっただけで。
少し前に編集者さんが他界された時にも、とても懐かしさと寂しさを感じたけれど、当時はKERAの全盛期だった。
KERAショップも各所に出来たりしていて、大手のラバーソールが高くて買えない学生などにはかなり助かるショップだったのではないか。
そういう雑誌ではよく取り上げられていた、お茶会なんかがあったりした。
あれは基本的にロリータの集まりがメインだったので、自分には無縁だった。
それでも、お茶会や集会がなくても、個人間でふたりでお茶をしたり、人によっては公園の芝生でピクニックしたりしていた子もいた。楠本まきのKISSxxxxに出てくるかめのちゃんみたいだね。
集会はファッションジャンルや同じバンドのファンという何かしらの繋がりを持って集まり、プリクラを撮ったりカラオケに行ったり、そのジャンルのショップへ行ったりした。
こうして書いてみると、ライブの日とあまり変わらないか。
集会は楽しかったけれど、自分の場合はまだ社交的でなかった事もあり、結局そこで本当に仲良くなれた人はいなかったかな。
刹那的なものだったと思う。それはそれで良い思い出だ。一緒の会場で同じライブを見たその場だけの関係、のようなもの。
どうしてあんな格好をしていたのかと訊かれたら、とても自然に好きだったからでしかないし、厨二病と言われたらその通りなんだろう。
今はもう然程したいとは思わないけれど、当時、素顔が解らないようなフルメイクをして顔を作り、血のようなネイルを塗り、網タイツやガーターやコルセットや手袋、ピアスやリング、ベルトや革に、薔薇や羽根をゴテゴテに付けて厚底を履いていく面倒な手順が、装備を付けていくようで楽しかった。実際のところ、どう見ても歩く武器だったわけだけれど。集まればまるで派手な葬列。黒いカーニバル。
ロリータであれば付けるものは更に多く、パニエやドロワーズ、ニーソックスやヘッドドレス、ミニハット、ボンネット、コサージュ、リボン、フリルやレース、花の可愛らしいものばかりだった。
リボンや安全ピンやチェーンを引っ掛けたり、擦り切れたようなダメージ生地をさらに破ってしまったり、結ぶところの多い編み上げ服で身体を締め上げたりしながら、それでも楽しかった。バンギャは絶対安全ピンを持ち歩いていたな。あまり安全ではなかったが。
ただ好きだったから、楽しかったから、好きなバンドの影響で、違う自分になれるから、それぞれいろんな理由があったと思うけれど、その頃にジャンルに多大な影響を与えていたのはmana様や嶽本野ばらだった。
彼等の言う、ただのファッションではなく、これは思想だ、と言うのは大袈裟に聞こえるけれど、本当にそういうものの取り巻いていた世界だった。
行き場なく馴染めない世界や拘束への、あれは戦闘服だった。そしてそれを纏う為の、耽美主義という言葉がそこでは当たり前に通っていた。
体型維持や肌のことや、立ち居振る舞いから話す言葉まで気を遣っているような人も居たし、あの世界では、出逢う人たちの容姿や服装を褒めるのはごく普通の挨拶みたいなものだった。好きなバンドや作家が居るのは当たり前で、感受性が強かった。
彼女達のバッグから出てくるものは、バンドグッズや好きなブランドやアンティーク風のデザインのものばかりで、鏡ひとつ取っても、その人の個性が反映されていた。
一番感受性が強い時期にそこで過ごした自分は、その世界を出てみたら外の世界ではあまり人が他人を褒める事は無いんだなという事に驚いた。
そして美術展へ行ったといえば崇高な趣味と言われ、文学を読むといえば冷やかされた。クラシックを聴きに行けばまるで凄い人みたいな嘲笑がある。
もちろん凄いのは製作者や演奏者であって、こちらはチケットや本を買っただけだ。どれも飲みに行ったりするよりも安く、頻度も低い。とくべつ詳しくも無い。こういう言われ方をするのは疑問だった。
あまり言わない方がいいようだと学んだのは近年だ。恥と感じるからではなく、面倒だからだ。勿論、好意的に受け止めてくれる人も居るけれど、その個人差はなんとなく普段の会話で察する事が出来る程度にはなった。
余談だが、街を歩いているとゴスロリ、甘ロリ、クラロリのジャンルに関わらずロリータ全般はお年寄りからよく褒められていた。他国の方に写真を撮られる事は想像に難くないが、ご年配の方ほど優しく温かく見て下さっていたことが意外だった。お人形に憧れた世代のあの方達には、本当に可愛らしい夢のようなお嬢さんが歩いているように見えたのだろう。
そんなゴスファッションで過ごしていた日々は、好きな音楽や言葉で頭がいっぱいで、本屋へ行けば文学の並ぶ棚で随分と時間を潰せた。
それからエドワードゴーリーの絵本や、タカトの画集、寺山修司の詩集、球体関節人形の写真集や、鉱石の図鑑、バンドの雑誌、ゴスロリバイブルに夜想。そんなものを物色して。
街角にあった小さな店には、本当に狭くて通路みたいな店舗の中にTHE GABRIEL CHELSEAがあり、街中の公園の通りには赤毛のアンみたいにクラシックな佇まいのJANE MARPLE、デパートの裏にはCOMME des GARÇONSが、それからいつでも憧れの場所だったVivienne Westwood、地下にある小さな店にはalice auaaやBLACK PEACE NOWがあった。どの店の店員さんも、皆の憧れだった。
この中で当時のままの場所に今も残っているのはCOMME des GARÇONSだけかな?
大きな鳥居のある通りには、黒羽が通っていて紹介してくれた古本屋があり、店主の方は郷土史やアンダーグラウンド文化に詳しく(この表現が的確かが解らない。店主さんの深い知識の範囲に対し自分のその方面の造詣が浅く正しい表現が見つけられない)いろんな話を教えて頂いた。
京極堂のような方だねと黒羽と言っていたけれど、それも今にして思えば礼を欠いた表現だったのかもしれない。とても強い力を持った演劇や音楽の活動もされている。
※黒羽についてはこちらの記事で。
学生時代から時々通っていて、コロナ禍の前にも足を運んでいたけれど、今はそうもいかず。派手な格好で通っていたにも関わらず温かく迎えて下さっていた。イベントにお声がけ下さったり、長いことお世話になっている。
店舗の雰囲気や、夜想や銀星倶楽部などが並ぶ本棚がとても好きだった。写真を撮らせて貰っておけば良かった。この古書店で買って読んだ本は多い。
そんな古本屋へ立ち寄って、公園の穏やかな緑を散歩して少し写真を撮りあったりして、駅の近くの蔦に呑まれたピザ屋でジブリのようなピザを食べるのが、黒羽とのルートだった。
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時にはKISSxxxxのミカミがバイトしていたようなエスニックショップを覗いてみたり。そこで買った革のトランクは未だに使っている。
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![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47777012/picture_pc_dab8564b158c1f136f0db07973e75423.jpeg)
海へ行ったこともあった。
黒羽とは特に、いつも音楽や本や映画、そんな作られた世界の中に居て、映画のような風景や会話を見つけて笑い合うような日々だった。
些細な瞬間に持ち出す作品の一節が必ず通じる事の貴重さを、ただ楽しさで消費していたけれど、当たり前にしていた会話や共有していた風景の一瞬一瞬が、もう帰らない。彼女も自分も街も環境も、変わっていく。
もっと今のようなスマホや一眼で写真が撮れていたら、もっとブログに書いておけばと、これを書いて改めて思った。
記憶は残像のようで、細部から輪郭を無くしていく。黒羽との関係は長く、その分だけデジタル機器も古ければ自分の頭も幼くて、記録が少ない。
けれど曖昧にしてしまった時のフィルタが、より夢物語のように自分の中に残っているのかもしれない。時々、本当にあった事だったのか、わからなくなる。
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