今はうさぎの女の子が2匹、7歳のはなと4歳のすずが我が家にいます。 10年以上前に我が家にいた、ぱんとねね。 ぱんはわずか4歳で亡くなり、ねねは11歳まで生きてくれました。 ねねに対しては色々懺悔したいことがありますが、そのひとつがこまめにケージの掃除をしてあげられなかったことでした。 私が妊娠して子供が産まれるまでは、ほぼ毎日ケージは掃除していました。 しかし出産後、ねねのケージの掃除は夫に任せきりになり、その夫はちょこちょこ掃除をサボるようになりました。
雪子に無視されるようになって、小学生の時の集団無視のトラウマがあった私は、普通に接してくれていた他の友人に対しても、次第に疎外感が生まれた。 雪子と私は同じ吹奏楽部だったが、パート楽器が違うのと、他クラスのふっちや美香が変わらず仲良くしてくれていたので、放課後の部活の時間はとても気持ちが楽だった。 そしてフルートの小島さんという子が仲良くしてくれるようになった。 小島さんは同じクラスだったもののあまり接点がなく、部活が一緒になったことで仲良くするきっかけになった。
中学生になって数か月、小学5年生のあの悪夢が再び到来した。 新しいクラスの教室での座席は出席番号順で、自然と自分の前後と仲良くなることが多いと思う。 私も前の席の小川雪子と仲良くなった。 その雪子の前の席が上田さんといい、上田さんは私とは接点がなかったが、私の小学6年生のクラスメートで唯一同じクラスになった沢口さんと仲が良く、自然とグループができた。 上田さん、雪子、沢口さん、沢口さんの前の席の坂田さん、雪子の小学生からの友人である津田さん、そして私だった。 1学
小学6年生の夏前、急に右足太ももに痛だるさが出るようになり、最終的には強い痛み止めを坐薬で入れても、抑えられない激痛に発展した。 かかりつけの診療所では原因がわからず、大学病院を紹介され母親に連れられ受診した。 下半身は下着だけの状態で、何枚も何枚もレントゲンを撮られ続ける。怖いと言うより恥ずかしい気持ちが強かった。 レントゲンがあがってきて、主治医・喜志の診察を受けた。 子供相手なんだから、もうすこし愛想良くできないのだろうか。 そう思えるほど仏頂面の先生だ
我が家のはなとすずは、三か月に1度はどちらかが獣医さんにかかっています。 はなは迎えた頃は近所の獣医さんで診てもらっていました。 ただ血尿が出た時に、「ガンだった場合うちでは手術することはできないので、詳しいお医者さんを紹介します」と、エキゾチック外来がある、よりうさぎ医療に詳しい獣医さんを紹介していただきました。 我が家は関西ですが、十数年前にねねが骨折した時は、片道2時間近くかけて、鶴見区にあるクウ動物病院で診てもらいました。 それほど、うさぎを専門的に
うさぎを飼育するためのケージ。 おうちというよりお部屋の感覚でしょうか。 はなもすずも、ケージは自分だけのテリトリーという意識があって、特に後輩のすずはその意識を強く感じます。 はながすずのケージのそばを通るだけで、飛びかかろうとしていた時期もありましたが、はなのほうが学習したのか、はながあまり近寄らなくなりました。 逆にすずは自分が部屋んぽ中に、はなのケージに近寄ってドアや、ドアの鍵代わりのナスカンにアゴすりすりをしています。(はなだけドアをがちゃがちゃして開けて
うさぎさんの食器。 それはもう色々試しました。 初代ぱんを迎えたのは1990年代後半ですが、使っていたのはこちら。 平たくて重いのですが、ぱんには野菜入れとして使っていました。 ねねもこれの色違いを使っていましたが、ねねも野菜入れとして使っていて、後に牧草入れになっていました。(入れると言うより盛っていた?) ねねが晩年使っていた食器がこれ。 ぱんの物よりも底が深くて、底と側面の角がくっきりしています。 はなはお迎え当初はこのお皿をペレット用の食器として
クラスの女子ほぼ全員に無視されるという状況は、ある日突然終わりを告げた。 首謀者であるゴリが話しかけてきたのだ。 それを合図にしたように、ひろみも会話してくれるようになった。 ほっとはしたが、喜んだり嬉しいという感情はわかなかった。 どうしてゴリが私を許す気になったのかは数十年経った今でさえわからないが、その後ゴリと二人で下校する機会があった時、ゴリがこう言った。 「なんであんなことになってたんだろうねえ」 その時のゴリの恋愛対象はすでにこうきではなくなっていて
小学五年生の頃、宿泊訓練の翌日から突然、クラスの女子ほぼ全員に無視された。 朝一緒に登校していた花子とひろみも同じクラスだったので、花子は露骨に、もう一人のひろみは申し訳なさそうに、会話をしてくれなくなった。 教室でも女子のほぼ全員が、私との会話を避け、話しかけても聞こえなかったふりをするのだ。 首謀者が「ゴリ」と呼ばれていた小島ひろ子であるということは、すぐにわかった。 ゴリは五年生の時に転入してきた子で、立派な家に住んでいて、明るい子だったのですぐ人気者にな
うさぎの食事。 昔、小学校で飼われてたウサギはキャベツとかニンジン食べてましたよね。 ネコなら魚、うさぎと言えばにんじんのイメージ。 ネコが「魚しか勝たん!」とかではないように、うさぎもにんじんが大好き! にんじんあげてればOK!ではないのです。 飼いうさぎのごはんは、牧草主食にペレットがおかずです。 20世紀末のうさぎの飼育書には「ペレットをメインに野菜を与えましょう」みたいなことが書かれていて、野菜の例にさつまいもを書いていた本もあったくらいです。食パンやお
我が家には2匹のうさぎがいます。 どちらもネザーランドドワーフの女の子で7歳のはなはブルーオター、4歳のすずはブラックオターです。 2匹ともおなじペットショップ出身で、血統書もありません。 1.6㎏前後がベスト体重なので、いわゆるトゥルードワーフではなく、フォースドワーフなのだろうといった感じです。 はなは生後48日で迎えました。 一緒にケージに入っていた他の仔ウサギを踏みながら走り回り、迎えた当日に用意したケージの中ですぐにもぐもぐご飯を食べ、ごくごく水を飲み
2023年になりました。 私は卯年です。 だからではないけどうさぎが大好きで、かれこれ合計17年飼育しています。二代目を11歳で亡くしてからは、二度とあの喪失感は乗り越えられないと思って飼わずにいました。 けれどもその後父を亡くし、その喪失感でふっきれたのか、その年の暮れに三代目となる仔うさぎを迎えました。 名前は「はな」と名付けました。 はなはすくすく育ち、その後4匹目の「すず」を迎えました。 すずは1歳すぎまでペットショップで売れ残っていた女の子でした。