日記#4 新入生の季節
今日家族と昼食をサイゼリアに食べに行った。正確には、一つ目のサイゼリアが混んでいて、別のサイゼリアに行った。なぜサイゼリアにそこまでこだわったかは分からない。サイゼ大好き。
一つ目のサイゼリアが混んでいたのは、おそらく入学式を終えたか数日たつのか、真新しい制服に身を包む高校生の集団が割拠していたからだろう。
私は、集団で群れて店の前に行くような連中はあまり好かない。いや、集団でも統率というか、目的意識のハッキリしている集団なら構わないのだ。例えば、何か大きなことが終わってその打ち上げ~とか。しかし、新入生の集団はそれに該当しない。新しい環境で孤立しないために集団に群れようとする。そういう類の非生産的なものは嫌いだ。クラスの親睦が深まってきて、体育祭の打ち上げ、とかは全然いいと思う。私も呼んでいただければ参加したい。体育祭実行委員長を務めていたりもするので、体育祭の打ち上げは何かしらの形で出たいなーとは思う。まあまだ少し先の話だが。
話が脱線した。自ずと時が経てば一緒にいる人間は決まってくるものだ。部活仲間でもクラスメイトでも。そうなってからいけばいい。わざわざ初っ端から大所帯で動くやつらの気が知れない。薄くて浅い関係性の構築に着手するのは結構なこと、というか私もやりはするのだが、よくもまあこんな早い時期にと一種の感銘すら受ける。
駅のホームも似たような状態になりやすい。何をそんなに大勢で帰路に就こうとするのか。帰路で会話する規模なんてせいぜい5、6人がMAXではないか。部活動などの集団行動でさえ、今は一斉に移動すると邪魔だからいくつかの班に分けるのが鉄則である。
断言できるが、10人でかえって会話したという印象が残るのは3人程度ではないだろうか。なら最初から少数で落ち着いて話せばいいのに、なんて思う。しかし、人はだれしも新たな環境で一人浮くのが怖いのかもしれない。
わが校はあまり新歓の類が活発じゃない。生徒会役員も兼任させてもらっている身なので、本当は上に打診すべきだったのだろうが、人への興味が薄いがゆえに、気づくのが遅れた。もう入学式終わったし、明日始業式だし無理がある。それにこのご時世、あまり大勢が集まるような場も推奨されていない現実がある。いや、逃げでしかないか。
もうひとつ、最近思うことは、大学生の入学式のスーツ姿ってクッソ痛々しいと思ってしまう。一部だけなのだろうか。スーツは働く人間の戦闘服のようなものだと想像する。戦っている人間が着ているものはなんだってカッコイイ。しかし、大学生の入学式はなぜか知らないが無駄にカッコつけようとしている輩が駅で溢れかえっている。髪型ばっちり決めて、着崩して、みたいな。意図的に、「おしゃれでしょ?」って顔してるのが痛い。
まず大学に受かれって話ではあるが、スーツを着ることには激しく抵抗がある。着るならせめてエレカシの宮本さんみたいなスーツか、刑事Yの反乱の賀来賢人みたいなのがいい。そして宮本さんみたいに音楽ぶちかましながら壇上でスーツ脱いでやりたいね。
それか、ジーンズパーカーで。どれだけ浮こうが曲げたくない信念もある。カッコイイ、スーツの着方ならまだいいが、昨今のあのダサい感じは嫌だ。おしゃれなど無知だが、痛いダサいと思うことはしたくない。
それが許されるくらいBIGになって入学すれば問題ないね。
待ってて京大!