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鉄橋夜話
夜中に目が覚めた。時刻をみると午前二時。夜中に目が覚めるのは、充分寝たか、心配事があるか、楽しいことが待っているかのどれかだ。既にひと眠りした後で、昨日伝え忘れたことを二つスマホにメモして、今日が休みなことを確認してからまた目を閉じる。遠くを夜汽車が通り過ぎる音が聞こえる。もう汽車ではないのだが、夜電車という言葉はないからやっぱり夜汽車なんだろう。音がするのは鉄橋を渡るときだろうか?だとすればきっとあの橋だな。木の橋とは言っても木橋とはあまり言わないから、鉄橋という言葉はそれが登場したときのインパクトから生まれたものなのかもしれない。実家の近くに、といっても数キロ離れているが、そこそこ大きな一級河川が流れていて、まだ小さい時分にそこに大橋と名の付く立派な鉄橋が掛かった。数百メートルあろうかという橋の断面は底辺の方が短い台形で、中はガランドウになっていた。どうして知っているかというと、橋の端っこの下に点検口のような穴があるのを誰かが見つけてきて、小学生の頃にみんなで探検したからだ。照明は無かったけれど、数十メートルごとの繋ぎ目に数センチの隙間があって、そこから漏れ入ってくる光を頼りに私たちは奥へ奥へと進んだ。隙間の脇に小鳥の巣があるくらいで、あとは継ぎ目に躓かないように気を付けるだけだったのだが、一番奥に着いたとき、そこに人がいたのにはびっくりした。あの人はあそこをねぐらにしていたのだろうか?それから、鉄橋と言えばトレ~イン!のスタンドバイミーだ。数十年前、有楽町の映画館でその映画を一人で観た私は、昔の小説に子守りをしながら銀座から海まで歩く女性の話があったのを思い出して、晴海通りを東に向かった。勝鬨橋から夕暮れの隅田川の河口を眺めていたら、何故か「カタギにならないとな」という思いが浮かんできた。勿論当時○クザだった訳ではないが、多分ずっと今のままでいいとも思っていなかったのだろう。ふと、カタギという言葉と自分の名前の響きが似ていることに気付いて、近くて遠きはカタギと○○○と口ずさみながら坂を下って街に戻った。ああ、玄関に朝刊が届いたようだ。とすると、タイマーでリビングの暖房が付くまであと30分。もう少しウトウトするかな…。