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軽いが悪いか

 久しぶりに太宰のお伽草子「カチカチ山」を再読した。太宰曰く、命からがら逃げた狸には正当防衛的な面もある一方で、兎の仕返しは執拗で残酷で男らしくない。これは美しい乙女に懸想した野暮な醜男の物語なのだと。確かにそう言われて読んでみると説得力がある。物語の最後、泥舟と共に沈む狸の「惚れたが悪いか!」の一言が心に残る。ネットの青空文庫でアっという間に読めるので、よろしかったら是非。
 話は変わるが、私は自分の書く文章を軽いと思っている。人から言われたこともある。自他共に認めるというやつだ。「軽い」という言葉には二面性があって、よく言えば軽やか、リズミカル、軽快なといった感じ。敷衍すれば明るさや爽やかさといったものにも通じるかもしれない。一方で、ネガティブに捉えれば「軽い」は軽薄な、底の浅い、薄っぺらで奥行きのないといった感じだろうか。正に文は人を表す、私の浅薄なものの見方や来し方が図らずも滲み出ているといったところだ。しかし、それを素直に認めてなお、敢えて私は軽さを目指したいと思う。何となれば、誰もわざわざ重苦しい話など読みたくはないだろうと思うからだ(私が書くものの話です)。どこの馬の骨か分からない素人の文章であれば猶のこと。
 ついでにお伝えしておくと、毎朝Xにアップしている写真も同じだ。元々、朝の散歩の途中に道端で咲いている草花を撮り始めたもので、素人なのはnoteと共通。カメラもフルサイズでもなければAPS-Cですらない。でも、もし一人でも朝に私の写真を見てニヤっとかニコっとかして、今日も一日がんばるかあとか思って頂けたら最高だ。写真だけでは心許ないので言葉も添えている。偶にでも合わせ技で一本になれば、これまた本望というものだ。
 写真をアップするようになってから丸3年が過ぎた。noteの方は2年半。マンネリを感じたり何もネタが浮かばなかったりしながらも、何とか続けていられるのは毎日見て反応を返して下さる皆さんのお陰だ。勿論、皆さんの文章や写真や情報からたくさんの刺激を頂いてもいる。始めた頃、こんなにたくさんの方々と繋がれる日が来ようとは夢にも思わなかった。この場をお借りして御礼を申し上げたい。あれ?私は何を書いているんだろう?引退の挨拶か?いやいや、今日は自分の文章は軽いけどカチカチ山の狸の言を借りて「軽いが悪いか?」という開き直りをしようと思っていたはずだ。それなのに、今日に限って何かちょっと重くない?
 

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