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#58 作文

 小学校の1,2年を過ごした村の分校では、国語の時間はいつも作文か劇の練習だった。本当のことを書くのは、いつも少し恥ずかしかった。3年の時に書かされた読書感想文で、読む人はこの本のことを知らないかもと思って粗筋も分かるように書いたらすごく長くなって、それを読んだ女の先生に「なにこれ?」と呆れられた。
 中学の時はビートルズに夢中で、繰り返し読んでいた文庫本のビートルズ詩集の余白にもろ中二病的な詩を書いていた。国語の教科書をもらうと、最初に小説だけ読んだ。他の文章には全く興味がなくて、仕事で仕方なく書いてるんだろうと思っていた。ギターを弾き始めた。
 高校に入ると同級生にY君という優秀で繊細な子がいて、「将来は小説家になりたい」というので、そういうことを思ったり言ったりするの有りなんだ!と新鮮な気持ちで聞いた。見よう見まねで唄を作り始めた。
 学生の頃は、もっぱら日々の気付きを唄にしてギターをかき鳴らしていた。中二病に毛の生えた麻疹のようなものだったけど、今でもたまにその頃のテープを聴くと、写真のアルバムより鮮やかに当時のことが甦る。
 社会人になった独身時代、正月の度に何か書けないかと思って白い原稿用紙に向かってみた。が、結局1行も書けなかったので、とりあえず生きてみようと思った。
 そう思った理由の一つが鴎外で、留学先のドイツから戻った20代で「舞姫」等を発表した鴎外は、その後40代半ばで軍医総監になるまでほとんど小説を発表していない(きっと忙しかったのだ)。レベルは全く違うものの、学生時代の麻疹は終わったけれど、生きていればそのうちまた何か書けるかもと思った私は楽天家なのか単なる能天気だったのか?
 その後のことは以前のnoteにも書いたので省略するけれど、30位からポツポツと書き始めた雑文をコロナの間に還暦記念でまとめたものが金曜noteになった。我ながら、飽きっぽい割にデータ魔なところが幸いした。(これも前回書いたけど)雑文を書き始めた頃、こんな風に自分の書いたものを読んでもらえる環境が出来るなんて思いもよらなかった。長生きはしてみるものだ(一体お前いくつなんだ?)。
 
 

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