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掌の音楽

 久しぶりにCDを聴こうと思ってトレイに乗せたら空回りして読み取ってもらえなかった。たぶんピックアップが壊れたのだろう。経験的に、この部品は使用頻度に拘わらず数年でイカれるみたいだ。確か糸井重里さんだったかがバイクが壊れたときに、愛するというのは用が無くても触ることなのかもしれないというようなことを書いていた気がする。すまない、しばらくこのCDプレーヤーには触っていなかった。修理に出せば直るだろうとは思いながら、その手間と使用頻度を考えると直ぐには行動に移せない自分がいた。
 中学の美術の授業で理想の自分の部屋を描いてみようみたいなのがあった時、迷わず立派なオーディオセットがある屋根裏部屋を描いた。東京で一人暮らしを始めてから、少しずつパーツを買い足していって一通り揃ったときはうれしかったな。当時の音源はレコードだったから、アンプもチューナーもカセットデッキもみんなレコードプレーヤーに合わせた大きさだった。それが証拠に、音源がCDになるとオーディオの機材も全てCDサイズになったではないか。狭い日本には有難い話だが、やっぱり同じ図柄でもCDジャケットとレコードジャケットでは存在感が全然違うんだよなあ。
 でどうしたかだけど、年末に雪国に住む友人が念願の薪ストーブハウスを建てて、音楽はスマホの音源をブルートゥーススピーカーで流していると話していたのを思い出した。ネットを開いてみると、ピンからキリまで選り取り見取り。スピーカーが2つないとステレオにならないよなあと思いながらも、気軽にどこにでも持ち運べる気軽さを優先して選んだのが冒頭写真のものだ。鳴らしてみると、コンパクトながらしっかりとした音質。何より感激したのが、掌に載せて鳴らすと音の振動が直に伝わってくることだ。太鼓や打ち上げ花火の音が胸やお腹に響くように、掌で音が生まれていることが肌で感じられる。かと言って音が割れるようなこともなく、どういう仕組みか、高音と低音では音の震え方(場所?)も違う。まるで掌にかわいい生き物がいて音楽を奏でているみたいなのだ。今のお気に入りは、偶々ネットに流れてきた寺井創(ハジメ)さんの演奏する無伴奏チェロ組曲。あの重厚なオーディオセットがスマホと掌のスピーカーに置き換わるまでの時の流れに思いを馳せながら、深くやわらかなチェロの響きに身を委ねる春待ちの夜?(何スマしてんだか…)
https://youtu.be/avIvbJ-lUB8?si=wcE63Nyi0FVBqtaj


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