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とんぼ

 明け方、目を覚ましたら虫の合唱輪唱がすごい。目を閉じていると原っぱで野宿しているみたいだ。窓から流れてくる空気もひんやりとして、夏が峠を越えたことを実感する。起き出して散歩に出てみれば、丁度雲間から太陽が顔を出したところで、いつの間にか日の出が夏至の頃より30分以上も遅くなっている。道端では、野生のニラが白い蕾を開き始めた。虫が付いて今年は駄目かと思っていた百合も思いの外きれいに咲いて、虫も百合も上手く自然と共生しているようだ。
 birdfilmさんのnoteを読んでとんぼのことを思い出した。お盆の頃に現れるとんぼは精霊(しょうりょう)とんぼと呼ばれて、先祖の霊を背負ってくると言われているらしい。亡くなった人が何かに姿を変えて会いに来てくれる話もよく耳にするけれど、私の場合はとんぼだった。
 友人からメールでもたらされた彼女の訃報は、文字通り寝耳に水で全くリアリティがなかった。何言ってんの?そんなことある訳ないじゃん、何かの間違いでしょ?本当だった…。自分が(多分他の人も)知らなかっただけで、彼女はしばらく前から闘病生活を送っていたらしい。どうして気付かなかったのだろう?その年の夏、珍しく久しぶりに彼女からメールで暑中見舞いのカードが届いた。趣味のいい彼女にしては、どこかのテンプレートからそのまま持ってきたようなデザインにちょっと違和感があったのに、うれしさが勝ってそのことをスルーしてしまっていた。慌てて見直してみたけれど、カードは既に表示期間が切れていて、アルバムをひっくり返してみても、不思議なことに彼女が写っている写真は一枚もなかった。
 葬儀は遠い西の街で行われた。すぐにでも飛んで行きたかったけれど、丁度その頃会社が無くなってもおかしくないようなことが起こって、私は大事な協議で北に向かわなければならなかった。アクセルを踏んで車を出そうとしたとき、一匹のとんぼが運転席側のドアミラーに留まった。すぐに飛び去るだろうと思ったが、車を前に出しても動かない。以前、友人のYが亡くなった時、蛙になって挨拶に来てくれたと奥さんが話していたことを思い出した。彼女が来てくれたのか!しばらくそのとんぼを眺めながら、来てくれたお礼と行けないお詫びを伝えて、いつか会いに行くことを約束した。
 その後も、たま~に思い出したようにとんぼは来てくれる。写真を撮っているカメラに留まったり、一日ゆっくりと庭で遊んでいたり…。他のとんぼとは動きが違うのでそう感じるのだけど、傍からすればただの勝手な思い込みに見えるだろう。別にそれで構わない、誰に迷惑をかける訳でもないし。大切なのは、何かを縁(よすが)として、人が人を想うことだから。

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