見出し画像

運命と自由意志

 先日の「豆と小鳥」で「すべてのことは運命で決まっている」というような話が出ていて…。確かにそういうことはあるかもしれないなとは思う。昔、新宿の交差点で事故ったことがあって、家に帰るのにいくつもの経路があったのに、その日その時にその道を選んで、一分一秒違わずその交差点に入らなければ出会うことのなかった車にぶつかるのを運命と言わずして何と呼べばいいだろう?でも後になって考えてみると、それが直接の原因ではなかったにせよ、その後東京を離れることになったのは自分の人生にとって結果オーライだったなと今振り返って思う。そこまで含めての運命とか。
 運命と自由意志というと決まって思い出すのは芥川龍之介のことで、確か芥川は「侏儒の言葉」の中で「妻と結婚したのは運命だが、要求通りに着物や帯を買わないのは私の自由意志だ」みたいなことを書いていたはずだ。私も自分の力ではどうにもならない運命の力の存在は認めながら、やっぱりそれだけだとちょっとつまらないなというのが本音のところで、そう思うようになった原体験が中学を卒業した時にあった。当時憎からず思っていた彼女と私は別々の高校に進学が決まって、何も言わなかったけれど卒業式の日に淋しそうな目をしていた彼女に、私は一大決心をして手紙を書いた(当時はスマホもLineもなかったのだ)。その後毎日郵便屋さんを待つ私の心境は正に Please Mister Postman そのものだった。何日か経って諦めかけた頃、返信を受け取った時の天にも昇るような気持ちと言ったら!15の春に菜の花の咲く田んぼを歩きながら、私は自分で変えられる運命があることを学んだのだった。
 かと思えば、未だに意志だったのか運命だったのか分からないようなこともある。その頃気になっていた彼女とは何度かデートをしたことがあったのだけれど、彼女が他の男性とも会っていることを知った私は(そっちの方が先だったし勿論彼女の自由なんだけど)、何となく気持ちを測りかねて彼女を誘うのを止めた。しばらくして、ある夜偶々近くまで来たという連絡をもらって私の住む街で彼女と会ったことがある。話が弾んで、気が付くと時刻は終電を過ぎていたが、まだ若かった私に一度決めたことを翻す心の柔らかさは無かった。駅の北口でタクシーを待つ間、ふと会話が途切れた刹那の彼女の笑顔を今でも覚えている。恋愛に於いて、タイミングと運命は時に同義なのかもしれない。先日、久しぶりに駅を訪れたら、今では南口からもタクシーが出るようになっていた。 


いいなと思ったら応援しよう!