小説詩集4「ありそなリンゴの話」
本社から、人手が足りないのでと言われて、3か月間配置換えとなった。
あら左遷かしらと思ったのは、朝の通勤時。
ホームの向こうの車両は満員だったけれど、私が乗る方はガラガラだった。
その職場は、小さくはなかったけれど圧倒的に女性が少なかった。
だから私たちは必然的に昼食は一緒で、ちょっとしたピクニック気分を楽しんだ。
たまたま、名前に共通点があったのでなおさら打ち解けるのが早かった。
私は寒椿の椿で、同僚は撫子さんとアネモネさんだった。
そしていつも英会話の話で盛り上がった。
私たちはステップアップしたかったのだ。
そのためにはぜひとも英語力が必要だというのが共通の見解で、学習法を交換し合った。
だから私たちはとても仲良くなったわけで、左遷なんていう考えは見当違い、やっぱりいろんなところに配置されるのは必要な事なんだと思いなおしてた。
あのリンゴが出現するまでは。
「知り合いからね、リンゴたくさん頂いて」
だからお裾分けどうぞ、って撫子さんがリンゴを袋に入れて持ってきてくれた。
撫子さんはシングルマザーでお子さんを通しての付き合いもあって、交際範囲が広かった。
「あらありがとうございます」
と言って目を輝かせたアネモネさんは、両親が海外勤務なので弟の面倒をよくみているよきお姉さんだった。
もちろん私もリンゴ入りの袋を受け取って、家で両親と美味しくいただいた。
その翌日思いもよらない事態が起きた。
「頂いたリンゴでリンゴジャムを作ってきたの。どうぞ」
ってアネモネさんが撫子さんに差し出した。
撫子さんの顔が一瞬ピクリとしたけれど、あらそんなことよかったのに、って言って瓶詰になったリンゴジャムを受け取った。
翌日、撫子さんが、昨日はどうもありがとうって言って、
「昨日のリンゴジャムにラム酒を入れてシャーベットを作ってみたの」
ってガラスのタッパーに入ったそれを差し出した。
アネモネさんは嬉しそうに受け取った。
これで一件落着と私はホットした。
なのに翌日アネモネさんが、
「昨日はありがとうございました。あのシャーベットを溶かして煮詰めてパイに包んで、アップルパイを作ってみたの」
と言ってケーキ箱を差し出した。
撫子さんの目元がまたピクリとしたので私は怯えた。
でもこれでやっと終わったのだと思った。
それなのに翌日撫子さんが、
「昨日のアップルパイの上のパイをとって、タルトタタンにしてみたの」
と言って差し出した。
アネモネさんは嬉しそうにそれを受け取った。
さすがにここまで来たら完成形と私は思った。
それなのに翌日。
「タルトタタンを八等分にして衣をつけて天ぷらにしてみたの」
と言ってアネモネさんが撫子さんにそれを差し出した。
撫子さんは、悟られまいとしていたけれどやっぱり目元がピクピクしてた。
もうこのころになると英語でステップアップするんだとか、どうやってネイティブ的発音にするんだとかいう話も上の空になっていた。
だから翌日撫子さんが、
「昨日いただいたタルトタタンの天ぷらにパン粉をつけてフライにしてみたの、どうぞ」
「うわーありがとうございます」
ってアネモネさんが言うのを、もうやめて、っていう気持ちで見ていた。
そんな私の気も知らないでアネモネさんは、今日卵買って帰ろうって言う。
もしかして次ぎは、、、って思ったのも取り越し苦労で、私は翌日から本社勤務に戻った。
だから、タルトタタンのフライ丼になったかどうかはわからない。
私の日常は戻ったけれど、ときどき仕事の合間に窓辺に立って、今日は雲一つないなって思いながら、流れてきた雲を、あらリンゴの形に見えると思ったりする。
すると、あのリンゴの料理が今も形を変えて2人の間を行ったり来たりしているのではないかと思って怖くなる。
2人きりしかいない姉弟にリンゴをたんとあげた撫子さんが悪かったのか、2人っきりだけどなんだって作れるんだっていうアネモネさんの気概がいけなかったのか、私の頭の中で今もリンゴが行ったり来たりする。