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小説詩集3「脳とすましたコンピューター」~ある画家による肖像~

脳内システムが音もなくショートした。
個室の中に言葉が見当たらない。
どこへ行ったのか。
探せば探すほど見当たらない。
こんなに真っ白な部屋ではなかったのだ。
私は、力をふりしぼって絞り出す

言葉が消えている。

私の知らないうちに、あまりにも極秘に。
感染病のように他のシステムもショートし始める。
なぜ、あるじである私に指示も仰がずに、まして伝達なしに消えてゆくのか。

やはり、私はあるじではなかったのか。

私が、私の中にほとんど存在しなくなると、私の所有物だったものがすべてあるじを失いただのゴミとなる。
かわいそうに、モノたちよ、生活の友たちよ。

走馬灯はもは私には回らない。
そのかわり夢のようなまぼろしが私を包んでゆく。
走馬灯は残された者たちのものだ。
本当に回っているようだ。

私には、すでにほとんどのことが解らないからもう何も感じない。
ただ、これまでの責任感だけがわずかに心の習性を形づくっている。
その責任感がうっすらと虚勢をはる一方、私はうすら寒い寂しさと不安を感じる。
だから、もう誰から手を握られても拒まない。
たった一人で、どんな時もたった一人で乗り越えてきたのだったのに。

白い服を着た娘たちが、私を横にし何やら管をいじくって帰ってゆく。
仕方なく私はただそれを見送った。

午後3時、再び白い服の娘がやってきて、私の腕の何かに光線をあてて帰って行った。
3時はお茶の時間だった。
勤め先では当然3時のお茶出しは女のしごとだった。
初めはいやだったが、慣れてしまえば当たり前のことだった。
仕事をやめてからも3時はなにがしかの時間の区切りだった。

私は思い切って部屋をでて、エレベーターにのって、廊下をみどりの線に沿ってあるく。
そうして病院内のコンビニにふらりと入る。
たいして美味しそうな物も見つけられないけれど、終わりがこんなに早く来るなら、計画などせずに好きな物を好きなだけ買えばよかったと思う。
でも、終わりなんか分からなかったのだから仕方がないか。

新米の店員が脳天越しに古株にどやされている。
「さっき教えたじゃない」とか、「何度いわせるの」とか。
新米の脳天を見てみると、彼女のキャパはいかにも小さい。
だから、一つずつ覚えるしかないのだ。
悪気とか、怠惰とかは存在しない。
そのかわり、その脳天の別な場所にはアドビが入っているのだ。
全く使われることもなく、知られることもなく。

新米がレジのパソコンの機能を知らないように、新米の頭脳のプログラムを古株も新米自身も知らなかったのだ。
本当のスーパーコンピューターはコンビニに持ち込まれ、どやされ、いやしめられ、さげすまれているうちに自分が何者だったのかもわからなくなる。
そうしてただの役立たずだと思い込んで、早くゴミ捨て場へでもぶち込まれたいと念願するようになる。

私もイライラしたことがあったなあと思う。あの子や、あの部下、みんなバカかと思ってどやした。
彼らのコンピューターの仕組みも知らずに。
でも、もう彼らとも会うことはない。
また、彼らに言葉をかけるすべも今は無い。

私はエレベーターで再びのぼり、そしてさらに階段を使って屋上に出てみる。
何か懐かしい匂いに誘われたのだ。
ドアを開けると、風がそよと吹きわたり私の白髪をそよがせた。
私はゆっくりと柵のところまで歩み寄る。
灰色の世界の中に懐かしい景色が広がる。
ああ、私の青春は、私の生活はここにあったのだと心から思い出す。
あの道、あの家、あのビル、あの緑。
何もかもがいとおしい。
長い時間私は、ここで一生懸命歯を食いしばり、時に笑い、うれしくほめられ、映画をみ、本を探して読みふけり、池のほとりで桜が散る中を歩いたのだった。

やさしい光に照らされて、歩いたこともあったのだ。
電車に揺られて大学へ通い、電車に揺られて会社に向かう。
はっきりとした文字と数字をならべ、時間どおりに仕事を終えることを旨とした。
ひと付き合いは悪くもなく、よくもなく程々だった。
おかしなものには近づかず、まっとうな暮らしをした。
立派な邸宅に住むこともなかったけれど、私は、私を好きだったし、私の生活も好きだった。
ああ、この匂い、この町も懐かしく、そうしてもうすぐここを離れることになるかと思うとその懐かしさで胸が引き裂かれる。

ありがとう、愛しい街、愛しい生活、私の生命。
私はぐるりと見まわして、最後の別れを告げる。
自然と涙がほほを伝う。
誰かが、ほほをぬぐう感触がする。
私は素直に癒されて安心する。
心配しないでもいいのだと悟る。

階段を下り、私は私の病棟へと戻る。
ナースセンターで、白い服の娘たちがパソコンの端末でバーコードを読み取っている。
まるでコンビニみたいだと首をふる。

私は部屋に戻ってベッドに入る。
姪が私の手をなでる。
甥が私の顔を覗く。
私と同じように年老いた姉が私の足をさする。
私は今までそうしたことは一切なかったが、思いっきり彼らに体を撫でまわさせる。
体が少しあたたまり、彼らの肌のあたたまるのが分かる。

こんどは順番に姪が、甥が、姉が、私の手を強く握りしめ、さすり、頬ずりする。
私は、その私の手をみつめる。
腕には何かひらひらとしたものがついていて、それはよくよく見ると、縦の線がせっせとひいてあるバーコードで、バーコード頭だと揶揄したこともあったなあなどと思い出しながら、それでいて、やはりコンビニでもあるまいしという味気なさも感じながら、私はいよいよ気づく。
私の前途に、すでに先にいっている父や、母や、幼かった姉や、青春なかばにいってしまった年の近い妹がもうそこで私をまっていることを。

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