ふんばるってなに?
テーマは、うさぎの学校。
うさぎの子どもたちと先生が学校で朝の会をやっているところです(^▽^)
2時間かけてつくりました!
私はたまに、友人と折り紙を折ります。
もちろんこれは、大学の課題でもなければ、つくって誰かにほめられるわけでもないです。
だから、
なんのために折り紙を折っているの?
と聞かれたらうまく答えられません。
ですが、
「今この瞬間に一生懸命折っているんだ!」
という事実には、どんな質問もかなわないだろうなあと思います。
でも、この折り紙の話に関わらず、
なんのためにこれをやっているんだろう?
私はなにをしたいんだろう?
と考えることはよくあります。
そして、そうやって前に進まなきゃと一生懸命悩んでいるのは、
「がんばっている」という証だとも思います。
なぜなら、がんばるとは、今より前進するために、努力することだから。
でも!
そうすると今より前進するために、自分の行動の意味を自己分析して、その「先」の目的を見つけなくてはなりません。
だから、意味や目的が見えなくなったとき、
「私はなんのためにこれをやっているんだ」
そして最後には、
「なんのために生きているんだ」
と、前進どころか、自分が生きていることそのものもよく分からなくなって、私はふらふらしてしまいます。
「がんばる」ことはすてきだけど、その中で意味や目的を追い求めすぎると、つらくなるときがある。
だから私は、「がんばる」と一緒に「ふんばる」ことも大切にしています。
ふんばるとは、今の状態を保つために、努力すること。
つまり、「今」を見ること、「今」を転ばぬように必死にもがいて持ちこたえること。
これは、「今」を生きるすべての人に当てはまります。
みんな持ちこたえています。
がんばるも
ふんばるも
同じ「努力」。
もしその人が意味を見出せていなくても、目的を持てていなくても、みんなふんばっている。
だから、誰しもが努力している。
すべての人が、その人のもつ意味や目的だけでなく、
「今」ここに生きているという
「ふんばっている努力」を認め合えるようになれればいいなあと思っています。
あおぴー