障害者として生きていく
障害と分かる前の自分
生きづらかった。理由さえ分からなかった。
どうしてみんなと違うんだろう?
でも違いはなんなんだろう。
幼少期〜25歳までの自分
幼少期は人との交流が出来ない
大人しい子供だった。
大人の人から見るといい子で育てやすい。
怖がりは激しいので親元から離れるのが
極端に嫌がるので迷子にならない子。
厳しく育てあげたので悪い事はしない。
別の言い方にすると誰にでもいい顔して
本音で話すことなく舐められやすい人。
虐めと隣り合わせだった。
人から天然、宇宙人、変わってるとは
よく言われて何がどのように?が付き纏う。
職場での仕事の考え方(健常者時代)
高卒で即働き始めて右も左も分からない状態
最初はOLとして働いているが、電話対応出来ない
分からないから質問したいのに出来ない
人より仕事が遅く毎日かなり遅く残業
お金いらないから解放して欲しいが付き纏う
ミスしても隠そうとする、意見意思もない
多発するミスで何回も何回も注意され謝罪
メモを取るが意味が分からない
「分かりました!」と言うが本当の意味は
全く理解出来てなく(あれ?なにこれ?)
(分かりました!と言った手前聞けない)
それが毎日続き異動しても全く同じで
工場はスピードが勝負なので走り回るが
元々おっとりタイプな為、「遅い!早く!」
常に怒涛の声が響き渡っていた。
言葉の裏もほぼ読めず、そのままの意味と
解釈してて「助かる!」を(都合良い人)
が全く分からなかった。
責任感は恐らくあんまりない
ただ毎日行かなきゃいけないとか
今日は怒られません様にとか
そればかりで毎日怒鳴られ怒られていた
ストレス発散でお酒が好きで浴びる様に
飲み歩いていた25歳までは。
自殺衝動
電車で止まると「自殺あったらしいよ、
本当に迷惑だよなぁ!賠償金どうするの?」
電車通勤の時によく聞く言葉
言ってる方は間違いではない
迷惑だな帰れないと言う気持ちは分かる
だが自分はしようとしてた事がある
その日は死にたいとか死ねと言う幻聴
は特になかったと思う
あるとするなら仕事行きたくないぁぐらい
ぼーーーーーとしてた記憶はある
無意識に足が動いて電車に向かっていた
はっと我に帰り(今何した?)
このまま希死念慮と戦いながらすると
本当に自殺すると思い、
初めて精神科に行った。
精神科で障害が分かった日
20歳から自分は薄々発達障害だろうな
10歳から多分これ鬱だろうなとは分かってた
けど精神科に理解がない親元だったので
「行きたい」とは言えず、たまたま離婚したので母は幾分理解があった為
一緒に検査を付き合ってくれた。
診断された障害名は
*うつ病
*自閉スペクトラム症(ASD)
*注意欠陥多動障害(ADHD)
*軽度知的障害
発達障害と鬱は予想通りだった
軽度知的障害とは?普通学校行ったよ?
これが25歳最後の日に分かった事
障害と分かってから
最初に職場の同僚に知らせた
出来ない理由が障害と分かってくれて謝罪
こちらも知らなかったとは故……
薬を飲みながら仕事をしていこう
「ストラテラ」と「抗うつ剤」「抗不安薬」
だが、段々無理になってきた
「ストラテラ」の影響か頭が回らない
体力が大幅に減少、親からも辞めてと言われ
仕事をやっと辞める事が出来た、7年半勤めていた
その時の主治医から就労移行支援や
障害者グループホームを進めてくれた。
発達障害の勉強の日々
有給が溜まっていた為3ヶ月以上消化しつつ
発達障害とはを更に深掘りしていた。
幼少期からのコミュニケーション難しさ
言葉の裏が全く読み取れない
変化に極端に苦手と怖がりがASDの特徴
仕事のミスが多い
頭の中がとっ散らかって上手く出来ない
言ってはいけない事を言ってしまう
気を付けても遅刻してしまうADHDの特徴
小学生1年生レベルの暗算が出来ない
スマホやPCは大丈夫なんだが、
手書きになると極端に漢字が書けない
今も読んでる方は気付くと思うけど
日本語がとっ散らかっている軽度知的障害
今は勉強しまくったお陰である程度の
自分の障害特性がわかる様になった
診断直後は自分とは?の勉強との戦い
就労移行支援と障害者グループホーム
今まで健常者として生きてきたので
障害者と関わる事が少なかった
なんなら偏見の塊ぐらい下に見てた
自分が診断されて障害者と関わり多く
見た目では分からないレベルの障害者
見たら即分かる障害者様々な方々と交流
悩みは同じだった。
[他人と何が違うか分からないけど
なんか出来ない事が多い]
みんな優しかった。苦手な事は得意な人に
そんな発想もなかった。
私が得意な事もたくさん知り得た。
・電卓計算が得意(暗算が苦手)
・PC作業が得意(漢字、計算が苦手)
・シングルタスクが得意
・得意な事には凄く集中出来る
・顔の表情で言いたい事が分かる(HSP)
健常者の時は得意な事はみんな出来る
苦手だけを見ていて自分はダメな人間と
でも今はみんな得意不得意あるから
助け合って生きて行こうねに変わった
母との共依存過干渉過保護が嫌だったので
障害者グループホームに住む事にした
そこでは就労と違う障害者が住んでおり
私が持っていない障害を知り得る事ができ
どう接していけばいいかを学んでいった
障害者として生きて行こう
実は障害は全て軽度である。
軽度発達障害、軽度知的障害
だから一般就労ができるレベル
実際7年半は正社員で働いていた
だけどあの日々は本当にキツくて
もう戻りたくない。
出来ない、分からない事は
はっきり言いたい。
得意な事は伸ばしていきたいと思う様に
障害者雇用で働く様に(現在2社目)
イレギュラーな事が起きると癇癪が出る
気分障害でもあるのでいつ鬱症状で苦しむか
もう普通の誰かの鎧を捨てた。スッキリした。
職場での仕事の考え方(障害者雇用)
現在就職して4ヶ月目のまだひよっこだが
ナビゲーションブック(自分説明書)を配布
直属上司との交換日誌を付けて、
何が分からないかキツいか不満だったり
自分の体調良し悪し、楽しかった事等
分からない事は分からないと言う。
メモを取って「とりあえずやってみます」
優先順位はどれですか?とも言える様に
意思意見をはっきり言える様になった
得意な事は任せてもらう様になった
Excelが得意で関数の再度勉強しながら
今楽しく仕事をしている。
周りの方々の障害特性の理解力や
優しさのは本当に感謝をしている。
最後に
今年33歳障害が分かって7年目となる
生きやすいかと言えば生きにくい
けど健常者だった25歳まではと比べると
まぁだいぶ生きやすくなったなぁとは思う
去年再度知的障害の検査を受けて落ちていて
IQ67、精神年齢は12歳と書いててショック
こんな私でもなんだかんだで生きてるし
ちゃんと仕事してて褒められている。
毎日希死念慮と戦う日々から時たま顔出すが
いつも笑う事ができる様になってきた。
ここで健常者として普通の誰かを演じてたら
多分ここまで生きてないだろう。
自分の選択肢は絶対間違えてない
母との関係も良くなりつつある。
こんな駄文最後まで見てくれて
ありがとうございます。
マイナビさんの面白いので久々執筆しました。
今、もしかして自分発達障害?怖いって方も
こんな風に生きてるぜと
参考して頂けると幸いです。
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