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(小説)宇宙ステーション・救世主編(八・四)

(八・四)冥王星ステーション
 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……永き宇宙の旅を続け遥かなる銀河を渡って来たメシヤ567号も、遂に太陽系へと突入。ところがその途端メシヤ567号は大雪に見舞われる、といっても太陽系宇宙空間に降り頻る雪は無色透明なり、従って目には見えない。更にこの雪の元素は、太陽系に無数に存在するかなしみである。かなしみであるが故に透明で、それはそれは美しき結晶となる。かなしみが存在するが故に太陽系には常に透明なる雪が降り頻り、それによって太陽系は今日に至るまで太陽のエネルギーによる爆発即ち滅亡と消滅から免れているのである。ちなみに第三惑星に降る雪は、かなしみが液体化即ち涙化したものである。
 冥王星ステーションは太陽系の入り口(※冥王星は2006年以降、惑星でなくなり、太陽系外縁天体って扱いになったとかいう話です。あしからず)。冥土と現世との境界であり、心象界と現象界との境界でもあり、夢と現または夢と現実とのはざ間でもあり、死と生との間を静かに流れ続ける河でもある、即ち別名三途の川。この境界を模したものが、彼の有名なドラえもんのどこでもドアであることは意外に知られていない。第三惑星人から見れば、この世の終わり、人生の出口であり、同時にあの世の始まり或いは死の入り口でもある。
 ま、兎に角高次元なるあの世から、この世と呼ばれる時空間的制約に拘束されたる低次元なる野蛮世界へと下生しなければ、メシヤ567号は第三惑星には辿り付けないということを意味する。
 で、このメシヤ567号、実はわざわざ、ちんたらちんたら宇宙を旅せずとも、第三惑星になど一瞬にして移動詰まりテレポーテーション出来るのである。がなぜそうしなかったかというと、Yoshiwara駅のメシヤ567号を受け入れる態勢が整う為に、第三惑星に於ける時間の経過を必要とした為、わざと時間稼ぎをして待っていたという訳である。
 そんなこんなでいよいよメシヤ567号が冥王星ステーションに停泊する今宵は、メシヤ567号にとってこれからしばし留守にする冥土への別れの夜でもある。今宵、冥王星ステーションにも雪が降り頻る。雪の元素がかなしみであることは前述の通りであるが、ではこのかなしみの正体は何であるかと申せば、それは三途の川に捨てられ蓄積されたるかなしみである。第三惑星人たちが死に際し冥土へ旅立つ前に泣く泣く捨ててゆくという。そんなことを知ってか知らでか降り頻る雪を眺めつつ、今宵はほろ苦き酒を酌み交わすメシヤ567号の乗組員たちである。

 バビブベブー、こちらは冥王星ステーション。メシヤ567号殿に告ぐ、長旅御苦労さん。しかしながら聞けばそなた、三途の川をば渡られるという。何を好んでこの永遠の静けさに守られたる死の世界から、わざわざあのようなざわめき騒々しき野蛮な生の世界などへ行かれんとされるや。まっこと変わった方々と申すより他ありません。果たして何故なるか、ちょっと好奇心からお尋ね致す、差し支えなければお答え頂戴。以上、バビブベブー。

 ピポピポピー、これはこれは冥王星ステーション殿、お尋ねも御尤も、こちらはメシヤ567号。ただ今生憎救世主は席をば外しておりまして、失礼致します。成る程わたくし共も変わり者とは重々自覚承知しておりまするが、何しろ兎に角第三惑星にいかななりまっせんけん。しかも目指すはYoshiwara駅、どれ程にか重きかなしみの荷を背負う覚悟で参らねばなりますまい。

 バビブベブー、なぜにそげな悲壮感いっぱいのお心で、こちらは冥王星ステーション。メシヤ567号殿、更に詳しき事情をば是非ともお聴かせ願い奉り候。

 ピポピポピー、話せば長いことながら、冥王星ステーション殿、こちらはメシヤ567号。実は我ら第三惑星特にYoshiwaraに於ける売春についての裁き即ち最後の審判をば執行、下さねばならぬので御座いまして、ええ、売春、その最後の審判。はあ、確かに今更裁くまでもなく売春は悪、ええ、そりゃもう充分承知しております。がしかし果たして本当に悪なのかと、ふとそんな疑問も湧くので御座います。世には必要悪なーんて便利な言葉もありますから、ここで今一度原点に立ち帰りまして、売春が何故悪であるかを再検証してみたいと存じます。
 では早速、売春とは言わずと知れた春を売る、即ち金銭やら物品と引き換えに我が肉体をば好きにさせることであります。で肉体とは何か、一見本人の所有物の如く思われ、ならば本人同意なら何にも悪になどならないのではないかとも思い勝ちですが然にあらず。なぜなら肉体とは生命であり、神或いは宇宙、母なる自然が与えたるもの。それが証拠に肉体は宇宙を模してつくられておりますから、ひとつの命はひとつの宇宙。ならば肉体とは如何にも神聖なる神の器であります。それをよりによって金銭や物品を得んとして他人の欲望の的として差し出すとは、けしからん、何たることかとこうなります。ところが第三惑星人たちにはこの辺のモラルが著しく欠如致しておりまして、自他に関わらず肉体をば軽んじ、粗末に扱う傾向が御座います。
 ま、それはそれで良いとしまして、ここに見逃せないのが、売春に絡んで起こる様々なる悲劇、性犯罪で御座います。例えば、金銭に困ったか弱き婦女を無理強いさせる、集団で襲う、小児を対象とする、欲望を満たしたら用済みと殺してしまう、その他、残忍、暴力、変態的グロテスクなるプレイを行う等々、まったく神聖なる生命の尊厳、自由、誇り、夢、輝き、美しさをば踏み躙る蛮行の数々であります。それに加え売春により得た金銭が、マフィア等裏組織の資金源になっているのも大きな問題。
 とまあこうしてみますと矢張り、売春は悪なりと結論付ける方がどうやら妥当のようではあります。がしかしここに悩ましいのがYoshiwaraの如き遊郭に見られる、第三惑星人特有のわびさびと申すもので御座います。例えば、気の早いネオン点りし夕暮れの遊郭街を背中丸め歩くひとり者の侘しさ、近所のコンビニで漫画などをば立ち読みしている出勤前のすっぴんの娼婦共、見るも耐えない素顔を必死に隠す高齢娼婦の厚化粧、アスファルトの路地に響く男娼の力強きハイヒールの靴音。また夜ともなれば更に妖しくネオンは毒々しく燃え上がりて、飛んで火に入る夏の虫よろしく海千山千ベテラン娼婦の胸に抱かれて童貞をば捨てゆくうぶな青年の涙やら、娼婦稼業もすっかり板についた娘がひと仕事終え、気だるげにくゆらす煙草の煙。また更に混沌として堕落した遊郭街にも昇り来る朝陽の眩しさ、そりゃもう美しゅうてなりません。
 はてさて、ざっと以上で御座いまするが、如何なるものか、いかが致すべしや。まっこと悩ましく、頭痛の種で御座います。

 バビブベブー、それはそれはお迷いも御尤も、こちらは冥王星ステーション。メシヤ567号殿、わたくし共よりお伝え出来る言葉と申せば、まあ充分に悔いの残らぬようお悩みなさい、お悩みなさい、遠慮せず幾夜となくお気の済むまで、この三途の川の岸辺に佇みお過ごし下され、どうぞごゆるりと。

 ピポピポピー、かたじけなくも勿体ない、冥王星ステーション殿、こちらはメシヤ567号。さりとてYoshiwara駅にはひとりの娘がおりまして、大変なる危機をもう間近に控えており、のんびりと迷おてることも許されざる状況で御座いますれば、我々は予定通り、今宵が明けましたならば、また太陽系の旅路へと戻る所存なり。

 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、かくして宇宙船は一星一星、Yoshiwara駅へと近付くのであった。ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。

 少年の空想が途絶える。目を閉じていると、ざわめきが聴こえる、ビルの周りを今も取り囲むマスコミ、野次馬たちの喧騒が。恐る恐る雪が目を開けるも、もう宇宙駅に子犬と少年の姿はない。その代わり喧騒に混じって少年の歌う声が聴こえてくる、少年の子守唄が。
『……もう灯りは消してもいいだろう、みんな眠りについたから、宇宙船もかえってはこないだろう……もしもあの宇宙船が、きみを助けにくる夢を今夜見たならば、きみはいってしまうかい、この悲しき宇宙ステーションを残して』
 カーテンの隙間から僅かに光の明滅が見える。なんやろ、もしかしてと覗くと、そこには思った通り、蛍。二匹の蛍が宇宙駅の窓に留まっている。
「にいさん」
 雪は蛍に向かって囁き掛ける。すると驚いたように子守唄は止み、蛍は二匹共さっと何処へとも知れず飛び去る。今も子犬と少年の息遣いが宇宙駅の何処かでしている気がしてならない雪である。

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