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(小説)宇宙ステーション・救世主編(十二・六)

(十二・六)ムーンステーション
 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……バビブベブー、こちらはムーンステーション。とは申しましてもここは無人駅にて、月面を吹き過ぎる寂しき風共が交信をば致します、ヒュルヒュル、ヒュー……。さてメシヤ567号殿、遥々大宇宙をば越えてこの太陽系第三惑星の守り星なるムーンステーションまでようこそ、長旅ご苦労さん。それに加えて無事救世主はんも御帰還なされたようで、先ずは何よりのこと。ここムーンステーションは御覧の通り殺風景で特にこれといった特産品もなく、然したるおもてなしも出来はしませぬが、後僅かで第三惑星への旅も終焉。いよいよ大事なるお勤めも控えてられましょう、どうぞ今宵はほんの一時、ごゆるりと疲れをばお取り下さいませませ。そうそう、うさぎ共のダンス位ならお目に掛けて進ぜましょう。
 さて我らムーンステーションとしましても、救世主はんによる第三惑星に対する最後の審判、どうなりますことやら心配でなりません。何しろ彼の星と我々とは、切っても切れない運命共同体。我らが滅びれば彼の星は滅び、彼の星が滅びれば我ら滅びるまではいかなくとも、最愛のパートナーを失くしたようで、心は虚ろなり。例えれば、ただ宇宙の闇に今夜も浮かぶ石ころに過ぎません、なーんてね。メシヤ567号殿、第三惑星に対し一体如何なる裁きをば、執行のご予定ですか。ちょびっとばかしお聞かせ願えますると、有難き幸せ也。以上、バビブベブー。

 ピポピポピー、これはこれはムーンステーション殿、こちらはメシヤ567号。救世主も無事、と言いたいところ、生憎少々頬と胸とにサバイバルナイフの傷をば負ってはおりますが、何とか出張から戻り今は宇宙船の窓辺にてちょびっとロンリネス致しております、はい。で、いよいよ我らメシヤ567号もこうして宇宙の果てより長い長い旅路を経、とうとうやって参りました、ここが終着駅の一歩手前、最後の最後の途中駅なるムーンステーション。と来れば感慨も一入、目指す第三惑星、Yoshiwara駅はもう直ぐ目と鼻の先、じゃーん。
 しかしまあ、ここから見えます第三惑星の美しさと言ったらもう例えようもなし。青き惑星、ブルーライト吉原、正に宇宙の中の歓楽街じゃない楽園、汚れを知らぬ少年の或いは恋する乙女の眼差しにも似て、麗し魅惑のパラダイス。で第三惑星の象徴とも申すべきあの青さ、今迄海の色だとばかり思っておりましたるが、確かに海は海でも涙の海、第三惑星人たちの嘆きの涙の海であったとは、救世主でも知らぬ仏のお富さん。あの美しさ、居心地の良さが何とも悪しき者どもの心をば虜にして止まぬようで、この数千年彼の星は邪悪なる者たちの支配に甘んじて来た模様。その間か弱き第三惑星人たちの心は闇に閉ざされ、奴隷、玩具としていい様にこき使われ、貨幣制度の下、僅かばかりの人参ぶら下げられて、ただただ馬車馬の如くせっせせっせと働き尽くめの生涯であったという。
 さてでは、ムーンステーション殿もご心配の第三惑星に於ける最後の審判に関しまして、救世主なりに本日さっきまで悩みに悩み苦悶致しておりました、はい。単純に悪となれば話は簡単、裁きによってさっさと滅ぼしてしまえばそれで良し。なれどややこしいのが何と言っても必要悪、こいつが悩みの種なりき。誰が言い出したものか必要悪、たかが必要悪、されど必要悪という訳で、その最たるが売春、空間的には吉原と、こうなります。
 がしかし、ここで敢えて先入観念をば切り捨て去りまして、そもそも売春とは悪なのか罪悪か、この点について論じてみたいと存じます。なぜ第三惑星人は売春並びに買春するの。そもそも第三惑星人の男にはまあ女でもそうですが強烈なる性欲の有りて、それをば無償にて満たしてくれる存在あらば、何ら苦労はいりますまい、さっさとメイクラヴ、好きなようにご勝手に愛し合えば良ろし。なれど現実は超厳しくてですね、すべての者に等しくパートナーが見付かるという保障は宇宙の何処にも存在しません。するとどうしても満たされざる者たちが出てくる。俺だって男と生まれて来た以上、死ぬまでに一度位は思う存分女を抱いてみたい。女と一度も寝ずに死ぬなんて余りに侘しい、俺可哀相過ぎ。本人は勿論周囲とて不憫でならない。そこで登場したるが、売春というシステム。世の寂しき殿方を、お金を仲介してではありますが満たして進ぜましょう、と来る。あれっ、だったらそもそも売春が悪いんじゃなくてさ、満たされない男がいること自体が問題なんじゃん。その点どうなのよ。
 はい、では今更ながらそもそもなぜ性欲は有るのか、というか必要なのか。それは世に男と女が存在するから、性欲もある。じゃ男と女が存在すること自体が問題なのね。でもちょっと待った、男と女が存在するって、あんた、そんなこた第三惑星人たちのせいじゃないわな勿論。じゃ誰、誰がわりいの、結局。じゃーん、それは誰あろう、創造主。は、だって創造主が勝手にそんなふうに世の中創っちまったんだからさ、どうしようもないじゃん。
 ではでは、なぜ創造主は男と女を創ったか。はっ、そんなこと知るかよ。でもまあ結論、売春が悪というよりは、創造主あんた自身が悪いんじゃんて言いたい。俺をこんな女にもてねえ男にしやがって、どうしてくれんだよ。ま、それは置いといて、どうして創造主はまじ男と女を創ったんだろ。それはね、一言で言うと、寂しかったからなのさ。はあ、寂しかったから。そうそう、創造主は自分が創り出した宇宙のまん中で、たったのひとりぼっちだった。あれえ、おかしいな、こんな筈じゃ、何かが足りなーい。そう思った創造主は或る日、自分の姿に似せた生きものを創った。ところがそいつには創造主の存在が分からない。で自分と同じように、そいつもひとりぼっちでしょんぼりしていやがる。そこで見るに見かねた創造主は、その生きものをふたつに千切って、片方を男、もう片方を女にしたそうだよ。だから男と女はひとつの命に戻ろうとして、いつの世も互いに互いを激しく求め合い、愛し合うとこういう訳。おっとお喋りが過ぎたかな、ではお後がよろしいようで、はい。
 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、今宵も第三惑星の悪と闇の中に一際眩しく煌めいている、ああ、あれこそが吉原のネオンサイン。このムーンステーションからも鮮やかに見えております。その七色の光は妖しくまた切なくきらきらと瞬いて、その明滅はあたかも第三惑星人たちの儚き命の鼓動にも似、ささやかな営みを照らす仄灯りにも思え、その下で今も繰り広げられたる罪悪の数々を覆い隠すが如き美しさで御座います。しかしながら最早時は来たれり、夜明けが参りましたらいざ参りましょう。夜が明けたなら、今大宇宙の闇の中に降り頻る悲しみの雪の中を。かくして宇宙船は遂にYoshiwara駅まで、後一歩と迫ったのである。ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。

 はっと目を開ける雪、その耳に幽かに聴こえ来るのは、少年の子守唄。
『家の灯り、町の灯り、駅の灯り、ざわめき、犬のなき声、子犬が足に絡み付いてきた、まるで叱られて家出する少年、ひとりぼっち泣きそうな顔こらえて、子犬とふたり……祭りの灯り、いろまちの灯り、ネオンの波に濡れながら、とうとうここまで来てしまった、世界で一番眩しくて、宇宙で一番悲しい場所……とうとう宇宙船はいってしまった、お腹を空かした子犬と桜毒の少女を残して、あんまり眩しかったので、宇宙ステーションと間違えたんだな吉原のネオンサイン、どうせなら奇蹟のひとつでも起こしてゆけばいいのに……』
 今宵けれどその声がムーンステーションより月の光を通って聴こえ来ることを、知りよう筈もない雪である。

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