(小説)宇宙ステーション・救世主編(十・三)
(十・三)子犬と少年
宇宙駅の窓辺に佇み、改めて吉原の夜の街を眺める雪。一瞬チカッと何かが光った気がして、さっとその場所に目をやる。そこは隣のビルの屋上、看板も何もなく普段はまっ暗。なのに何でやろと思った時、ふとあの霧下の顔が脳裏に浮かび、不吉な予感に襲われる。ほんま、気色悪、雪は窓のカーテンを閉め、お節の様子を見に宇宙駅から事務所へと移動する。
その時、隣りのビルの屋上で一体何が起こっていたか。実は早速闇の組織、霧下の命を受けたひとりの殺し屋、通称ゴルゴダ一号がそこに侵入し、雪のいる宇宙駅の様子を窺っていたのである。しかも雪が夢から覚め窓辺に立った時、既に雪へと目標を定めライフル銃を構えていた。ところがその時、突然ひとつの小さな光が何処からともなく降ってきたかと思うや光は直ぐに消え、その代わりライフル銃の銃口の前に、なぜか子犬を胸に抱いたひとりの少年が立っていたのである。
はあ、何だ。吃驚仰天のゴルゴダ一号、訳が分からず、
「こら、くそガキ、そこ退け。邪魔すんじゃねっつうの」
しっしっと少年を追っ払う。ところが少年はけろっとした顔で動こうとしない。
「おじさん、こんなとこで何してるの。これ、何」
ライフルの銃口に自らの指を差し込む少年。
「おい、何してんだよ、死にてえのか、てめえ。とっとと退かねえと、ぶっ殺すぞ」
「いいよ、おじさん、やってみて」
はあ。子犬の頭を撫でながら、にっこりと微笑む少年。
なっにーっ、と頭に血が上ったゴルゴダ一号、子供だろうと容赦しねえと銃を構える。
「坊主、ほんとにいいのか、脳天ぶっ飛ぶぞ」
しかし微動だにしない少年。あほか、こいつ。遊びだと思っているのか、ほんとにいかれてんのか。いずれにしろ、こんなガキ相手にしたところでしょうがない。やーめたと退散を決めるゴルゴダ一号、とっとと道具をしまうと一目散に姿を消す。その姿を見送った少年も、子犬と共に何処かへすっと消えてゆく。
しかし簡単に引き下がる訳にはいかないのが、殺し屋。暗殺に失敗すれば、自分の身が危ない。失敗など許される筈もなく、有るのは生か死かのどっちか。だから何度でもトライするゴルゴダ一号。エデンの東は雪とお節の二人切りだし、暇な雪はいつも宇宙駅の窓辺でぼんやりと物思いに耽っていたりするから、隙だらけ。狙おうと思えばいつだってやれる筈である。なのに上手くいかない、なぜか。いつも少年に妨害されるのである。ライフルを構えた瞬間、必ず光が現われ、気付いたら目の前に子犬を抱いた少年が立っている。
おかしい、どういう訳だ。このガキ、一体何者、なぜ俺の仕事の邪魔をするのだ。目の前の少年に問うても、ただ笑っているだけ。では仕方がないと、ゴルゴダ一号は遂に意を決し、少年へとライフル銃の引き金を引く。
「女の前に、お前からだ」
バババババーン。
ところがところが銃弾が当たらない、なぜなら少年の体を通り抜けてゆくのである。これには唖然のゴルゴダ一号、
「ぎゃあーーっ、てめえ化け物かあ」
敢え無く降参。絶叫しながら尻尾を巻いて、少年の前から退散したとさ。
それでも諦めないのが、闇の組織。次にピストルの名手であるゴルゴダ二号、それでも駄目なら包丁の魔術師ゴルゴダ三号まで送り込んで雪の暗殺を謀る。しかし矢張り少年が現われて妨害、鉄砲玉も包丁も虚しく空を斬り、駄目だこりゃと退散。じゃ仕方ないから最後に集団で行ってみますかと半ば諦め気味に、五人組の殺し屋ゴルゴダゴレンジャーをば派遣する。すると今度は分身の術でも使ったか、同じ顔形の少年五人が現われ、各々五人の殺し屋を邪魔する始末。ありゃりゃ、これではどうにもならぬと観念した闇の組織、一先ず様子を見るかと、とうとう雪の暗殺を諦める。その代わり組織のメンバーには、くれぐれも雪に近付かぬよう注意されたしとの警告を発したのである。
こうして自分の身に危機が迫っていたとも露知らず、雪は無事月末を迎える。無事なのは良いけれど、考えてみれば今月はまだ少年に会っていない。それもその筈、結局今月来た客といえば霧下以外になく、その霧下も途中でキャンセルして退散してしまった。詰まりお雪さんの獲物というか犠牲者はゼロ。
これでは今迄のパターンからしたら、少年には会えない。でも会いたい、どうしても。という訳で、少年会いたさに弁天川へと出掛ける雪である。夕暮れ時、ミニスカにハイヒールという定番ファッションで決め、途中いつものようにコンビニで子犬の食糧も買い込む。
弁天川沿いの通りに出る頃は、もう日が暮れて秋の宵。恐る恐るふたつの光を捜す、けれど見当たらない。もう川岸に蛍の姿はなく、辺りはまっ暗。あーあ、がっくしと、ため息が漏れる。季節は移り変わって河原の雑草の中にいるのは鈴虫やこおろぎ、あちこちに彼岸花が群れなし咲いている。
河原に足を踏み入れ、彼岸花に囲まれながら虫たちの音に耳を傾けていると、雪の背後で何かが光る。何やろ、もしかして、さっと振り返ると、雑草の中に小さなふたつの光。
「にいさん」
囁くように呼び掛けると、光はきらきらと明滅を始め、その目映さに雪は一瞬目を瞑る。すると光はさっと失われ、雪が再び目を開く時、そこには子犬と少年。
「ワン」と鳴くが早いか、雪へと飛び付く子犬、ぺろぺろぺろっと雪の厚化粧を舐める。
「くすぐった、子犬のにいさん。でも会いたかったあ」
いつのまに少年も雪の隣りに突っ立っている。地面に食べものを広げると、よっぽど空腹なのか、がつがつと貪り食べる子犬の姿がいじらしい。
穏やかな川の面に銀河が煌めき、虫たちの美声が響き合い、彼岸花は夜風に物悲しそうに揺れている。子犬の食事をにこにこ見詰める少年へと、こわごわ雪が話し掛ける。
「なあ、にいさん。こないだ、変な男店来てな」
霧下のことである。すると、
「うん」
頷く少年の顔から、さっと笑みが途絶える。笑顔どころか、青ざめて怯えているようでさえある。どないしたん、にいさん。予期せぬ少年の反応に、雪は戸惑い唇を噛む。気色悪い男やって、大丈夫やろか。そんな心配を吐露するつもりだった雪。二人の間に沈黙が落ちる。
しばし虫の音と子犬の食事の音ばかりが響く中で、突如少年が沈黙を破る。
「お姉さん、御免なさい」
へ。その表情は思い詰めたように硬く、今にも泣き出しそうである。
「何、どないしたん、にいさん。行き成り」
驚いた雪は、少年の手をぎゅっと握り締める。どきどき、どきどきっ、少年の小さな心臓が高鳴り、激しく波打っているのが手に取って分かる。いじらしくまた哀れに思えて、力いっぱい少年を抱き締めてしまいたい。
「何で謝んの、にいさん。な、訳聴かせて」
「だって、ぼくたちお姉さんのこと、本当に助けて上げられないんだよ」
「ワン」
食事を済ませた子犬も悲しげに鳴く。
「そやから、何で雪のこと助けられへんの。なあ、にいさん」
子犬が雪の足に絡み付き、少年はじっと雪を見詰める。
「だって」
「うん。何で、にいさん」
「明日から神無月なんだよ」
「神無月」
じっと見詰め合う少年と雪。
「それが、どないかしたん。な、にいさん」
うん、と頷く少年。
「だからぼくたちその間、何も出来ないんだ。お姉さんとも会えないんだよ」
へ。そう言われても、何が何だかさっぱりぴんと来ない雪。ただ切迫した思いに駆られた尋常でない少年の様子に、兎に角落ち着かせようと、雪は少年の手を握り締めながら微笑み掛ける。
「な、にいさん。何や分からんけど、雪なら平気やさかい。たとえどんなことあっても雪は大丈夫、なんも心配せんといて」
けれど矢張り泣きそうな目で、少年はかぶりを振る。そのつぶらな瞳から、うるうると今にも涙が零れ出しそうである。堪らず雪は夜空を仰ぎ見る、そこには銀河の瞬き。その中にそしてひとつの光が見える、光はゆっくりゆっくりと星と星との間を移動する。
あれ、もしかして宇宙船やろか……救世主の宇宙船。救世主、と神無月。神無月、何で神無月やと、にいさん、なんもでけへんのやろ。
「な、にいさん。にいさんて、もしかして」
じっと雪を見詰める少年の瞳の中に、確かに宇宙船の光が映っている。
「救世主、ちゃう」
雪の言葉に驚いた後、少年は幽かに微笑む。雪は吸い込まれるように少年の笑みを見詰めながら、じっとそのままでいたいと願う。な、にいさんて、神様やろ。
「ワン」
子犬の声に、少年は空を見上げる。そこには宇宙船の光。
「宇宙船やろ、にいさん」
確かめる雪に、無言で頷く少年。
「今夜は何処、停まりはんの、にいさん」
「今夜はね、木星ステーションだよ」
「ほんま、にいさん」
気付いたら、既に子犬も少年も目を瞑っている。雪もまた後を追うように目を瞑り、少年の空想の中へ。
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