(小説)宇宙ステーション・救世主編(二・四)
(二・四)白鳥座ステーション
ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……我は傷付けり、我が白き翼は底深き傷を負いて羽ばたくことも未だ出来ず、もうかれこれ三千年の昔より銀河を渡ることもままならず、地を這い泥にまみれ来た。いずこより恐らくは太陽系第三惑星辺りから放射されたる邪気、悪気の攻撃に曝され続け、不様にもこの有様なり。飛ぶ夢を奪われ、憎悪の赤き血と罪悪の汚物の中に身を沈めたるまま、我は空しくただ今宵も銀河を見上げたり。救世主はまだか、救世主はいずこ。いつまでも我の絶望を見捨てず、至福の日々を与え給え。
バビブベブー、こちらは白鳥座ステーション。メシヤ567号殿に告ぐ、そなた聞けば太陽系第三惑星へ急がれるとか。ならば今宵ばかりは我が白鳥の翼の中で、安らかに旅の疲れをば癒しなされ。少々傷ある翼なれど、そなたの眠りをお守り致す。何卒第三惑星に行かれたならば、遥かこの白鳥座ステーションにまで及び来る邪気、悪気、その諸悪の根源をば根絶やしに致して下されよ。以上、バビブベブー。
ピポピポピー、これはこれは白鳥座ステーション殿、痛ましきこと誠に遺憾で御座います、こちらはメシヤ567号。只今救世主は不在にて御免なさい。早速ですが第三惑星の件につきまして、我らはYoshiwara駅まで参ります。貴殿の望みに叶いますか分かりませぬが、我々現在彼の星に蔓延したる疾病とも呼ぶべき人身売買、特にも売春について調査中で御座います。
何しろ第三惑星人社会に於いては貨幣制度と銀行なるものが幅を利かせ、悲劇と不幸との諸悪の根源と化しております。かといってこの貨幣制度即ちお金なるものを根絶してしまえばそれで良い世の中になるかと申せば、そうでも御座いません。何しろ第三惑星人の金への依存症たるや凄まじく、金の為なら命も捨てる、金なきは生くるに値せぬ塵芥、命は金で買え、金は命に勝る、とこういった具合。ならば如何にしたら宜しかろうと現在検討の最中、まだまだ旅路はなごう御座いますからして、やがて無事結論即ち救世或いは最後の審判へと辿り着けるものと確信致しておりまする。
さてそのYoshiwara…悪には悪の華栄えるように、夜には夜の花咲く如く、貨幣制度の東の都、即ちTokyo Cityの仇華として建設されたる街でありまして、花は花でも腐れ花。如何様に表面をばけばけばしく着飾ってみたところで、そこで働くソープ嬢、風俗嬢らの魂は金の奴隷。残念ながらそこに実るは狂った果実、地にばら撒かれるは悪の種、性病なるものもこの一種に過ぎません。結局はマフィア共めらが牛耳る悪の森でしかないって訳。それならば迷うことなく、つべこべ申さずとっととばっさりとすぱーっと一思いに伐採、悪の種をば刈り取れば良かろうとお思いなされましょうが、一度Yoshiwaraの街の景色をば御覧下され。さすれば私共の躊躇いも御理解頂けるのではないかと存じます。
例えば夕暮れのビルの乱立したるTokyoの街並みの中に一際鮮やかにネオンの華が咲き始め、そこには第三惑星人や生きものの侘しさ寂しさが弥が上にも醸し出されており、何とも切なく胸詰まる思いに駆られますし、本来ならば夜のTokyo…渋谷、原宿、六本木なんぞと浮かれながら陽気に華やかに闊歩して然るべき娘たちが、借金漬けの暮らしの中でせっせせっせとその美しき肉体をば薄汚れた男共へと売ってゆくその憐れさは見るにも聞くにも耐えず、自業自得とは申せ喩うる言葉も見つかりません。日々起こるトラブル、闘争、殺し合い、情死心中等は、三面記事のねたにも事欠かぬ程。またそれにも増して、静かなる夜明けで御座います。あの夜の狂ったような宴も嘘のように消え失せて、僅かに路地を吹く風や、風に揺れる草花や、腹を空かしてうろつく野良の猫共のいるばかりの、まっこと穏やかなる佇まい。昨夜の罪を清めゆくような朝陽の眩しさ清々しさは、矢張りそこにも第三惑星人らの命の息吹きのある証しなりと申さずにはおれません。
それ故ついつい私共どう致すべきかと決めかねてしまいますのです。然りとていつまでも放置する訳にも参りませんし、あの我らが絶世美少女にも一歩一歩と危機が迫っております。おいおい旅路を辿りつつ決断する所存で御座いますれば、もう後残り僅かばかり、ご辛抱、お待ち下さいませませ。
バビブベブー、成る程話は伺いました、こちらは白鳥座ステーション。恐らくは第三惑星を放射線の如く覆う邪気、悪気が、第三惑星人の魂をも飲み込んで、その貨幣制度とやらを私利私欲のみに使っておるのでありましょうぞ。貨幣も正しく使えば、何ら問題なし。ではそなたの健闘をば心より祈りつつ、我は再び銀河を飛び回る夢を胸に抱きつつ、この地に座して待っております。
ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、まだまだ終着のYoshiwara駅は遥か彼方、宇宙船の旅は続くのである。ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。
少年の空想が途絶える。雪への催眠術も解ける、けれど雪はじっと少年を見詰めたまま。
「にいさんて誰、何者」
恐る恐る問い掛けたところで、少年の答えが返ってこないことも分かっている。案の定ぼんやりと抜け殻のように夜空を見上げ、少年はただ無言で笑っているばかり。それから突然、
「もうお腹いっぱいなんだね」
見ると、子犬が少年の足にじゃれ付いている。しばし子犬の頭を撫でていた少年の目が再び雪を見詰める時、少年はこぼす。
「子犬のご飯、有難う。でもお姉さんの目、悲しそう」
えっ、いきなし何言い出すの。
「丸で、涙の海だね」
涙の、少年の目をじっと見返す雪。まさか、雪泣いたこともあらへんのに、でも。宇宙船のことといい、少年にはすべて自分のことを見抜かれている気がして、雪は何も言い返せないでいる。更に少年はこう語り、雪を驚嘆させる。
「お姉さんって不思議だね。やさしい人なのに、お姉さんの心は憎しみでいっぱい。それが毒になって、男の人みんな死んでしまうんだ」
ええっ。
「何言うてんの、にいさん。さっぱり訳分からん」
やっと雪が口を開くも、それには答えず少年は悲しげに一頻りかぶりを振ると、
「でもその憎しみが、一体何処から発生するのか、ぼくにはまだ見えないんだ」
その言葉を最後に、少年は子犬を連れ雪の前から何処へともなく歩き去る。後に残された雪は思い出したように寒さに震え、ひとり寂しく宇宙駅へと帰ってゆくのである。
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