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(小説)宇宙ステーション・救世主編(七・二)

(七・二)夢
 夜明けの吉原は雨に濡れている。雪はまた宇宙駅にひとり、ガラス窓を叩く雨音を子守唄に眠りに落ちる。
 直ぐに夢が雪をとらえる。夜明け前何処とも知れない雪の降り頻る景色。その後に古びた校舎が姿を現し、少女はその中のひとつの教室の窓辺に佇んでいる。中学一年、セーラー服に身を包む少女は正に絶世美少女そのものである。
 従って男子生徒に人気のない筈がない。同学年は元より、上級生の男子たちの間でも直ぐに噂の的。しかし中学に入学当初の少女はまだ相変わらずの男嫌い。だから愛想のないことこの上ない。ただこの年頃の少女にはあり勝ちなことでもあり、特にこれを持って少女を非難する者がいる訳でもない。
 少女はまだ家庭のことで悶々と悩み続けている。現在の母親である女のこと、本当の親のこと。それに加えて何処から漏れたのか、少女の母親が吉原のソープランドを経営していることがクラスに知れ渡る。心ない一部の男子が少女をからかい、女子の間でもひそひそと少女の陰口を囁き合っているようで、少女としては堪らない。
 相変わらず親思いのやさしい娘ではあるけれど、少女もそろそろ人並みに思春期。吉原やソープランドが如何なる場所かも少女なりに理解する。
「昔はあんたもようけ遊びに行ったんよ」
 今更母親に言われても、知ったことではない。小学校から変わらない勤勉振りで折角中学でも成績優秀なのに、ソープランドの件と元々の家庭問題とで、少女は一気に反抗期、不良へと突っ走る。
 中学の不良連中と付き合い出し、勉強の出来る不良、かつそもそも絶世美少女で、加えて家はソープランド、しかも関西弁を使う母親の影響で喋りが中途半端に関西弁という、余りにも特異なるキャラクターとして、少女は忽ち学校内の注目の的となる。
 不良グループの中には男子生徒も勿論いる訳だから、少女としては付き合い辛い筈であるが、しかし少女に異変が起こる。ちょうどこの頃少女は初潮を迎える訳だが、なぜかそれと同時にそれまでの男嫌いが嘘のように少女から消えてなくなるのである。これには本人も吃驚、しかし事実だから仕方がない。兎に角これによって少女は、男子とも人並みに付き合えるようになる。
 といっても少女の精神状態が安定した訳ではない。相変わらず家庭問題、ソープランドの件を引き摺り、同時に将来への不安、女への目覚め等悩みは尽きず、安らぎを求めるように少女は或る場所へと頻繁に足を運ぶ。そこは、川である。
 放課後或いは授業をさぼり、少女はひとり河原に佇む。いつ訪れても、川は少女に郷愁を呼び覚ます。川の流れを眺めていると不思議に心が落ち着き、川のせせらぎは少女の心にやさしい少女を思い出させてくれる。
 川は四季によってそれぞれ異なる表情を見せてくれるが、少女は何よりも冬の川が好きでならない。寒さも忘れ、いつまでも見ていられる。凍り付くよな川の面もそこに映る銀河の煌めきも、寒さも震えも、そして川へと降り頻る雪も、冬の川のすべてが懐かしくてならない。そんな制服姿の少女をみなもに映しながら、川は流れる。
 天から落ちて来る雪のことを、お雪さんと呼び始めるのもこの頃である。
「雪さん、雪さん、お雪さん。もしも本当のママいてるなら、会わせてくれへんやろか。お雪さん、そっと連れてって下さいな、ママのいてはるお家まで。なあ、お雪さん……」
 ふっと目を覚ます雪。
「お雪さん」
 ぼんやりと呟くその声は、ソープ嬢でも魔物や桜毒の使者でもない、紛れもなく十八歳の少女の声である。窓に向かって幾ら呟けど季節はまだ夏、そこに白い粉雪の姿などなく、曇ったガラス窓を叩くのは透明な冷たい雨でしかない。ふわあっと窓に息を吹き掛けるその時だけ、吉原の街が一瞬雪に向かってやさしく微笑んでくれる、そんな気がしてならない。

 まだまだ梅雨の明けない六月の終わり、珍しく雪は宇宙駅ではなく事務所にいて、お節の肩を揉みマッサージの真似事。
「たまには親孝行させてえな」
「ん、有難う。ほんま気持ちええわ、このまんま極楽まで昇っていってしまいそや。まだ殺さんといて」
「まだまだ、ママなら百歳まで生きられる」
「あほか、そんな長生きしとないわ」
 事務所では一日中、TVを点けっぱなし。
「ママ、あんましTVばっか見てると、あほなるよ」
「ええよ、もうとっくの昔にあほやから」
 お節が見詰めるブラウン管に流れるは、昼下がりのワイドショー。突然お節が叫ぶ。
「ほう、山口元死んだんか」
「どないしたん、ママ。そんな大き声出して」
 お節に釣られてTV画面を覗くと、そこには山口の顔写真のどアップ。
「あれま、この人……。もしかして死にはったん」
 ぽかんと口を開けたまんまの雪。
「そうらしいわ、しっかし急やな。あんたこそ、どないしたん」
「うん」
 黙り込む雪。
「何や、気になるやない。あんた、まさか」
 見詰め合う二人。
「そのまさかやねん、この人、こないだのお客さんや。どないしょ、ママ」
「ええっ、どないしょ言うたかて」
 絶句、ただ呆然と雪の顔を見詰めたまんまのお節。
「えらいこっちゃ、あんた。こら、えらい騒ぎなるで」
「そんなこと言うたかて、今更死にはったもんしゃないわ」
 流石の雪もしくじったと肩を落とし、とぼとぼと無言で宇宙駅に戻る。
 夕暮れ、久し振りに雨が止み、宇宙駅の窓から見える空には夕映えが広がっている。ただでさえ物悲しい気分にさせるのに、加えて山口の死、雪はどん底の憂鬱状態。どうしようもなく子犬と少年に会いたくてならなくなる。

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