(小説)宇宙ステーション・救世主編(五・二)
(五・二)夢
雪の降り頻る何処とも知れない夜明け前の景色が静止画のように続く。その後景色は薄れ、白いチャペルに似た建物が現れる。保育園である。少女は一日の大半を、同じ年頃の子供たちと共にそこで過ごしている。女、少女を川から拾い養女として育てる女が朝と夕、少女を送り迎えしている。その為少女が女の経営するソープランドで過ごす時間はめっきりと減ってしまい、保育園が休みの日曜日だけ店に遊びに行く程度。少女が好きだったソープ嬢たちとの交流も、花街に灯るネオンライトを見る機会も今は少ない。
物心ついて初めて目にしたネオンライトの眩しさは、幾つになっても忘れ難い。そこは丸で七色の光の海であり、光の中を泳いでゆけば何処か見知らぬ遠い宇宙の星に辿り着けるように思えてならない。しかしその眩しさは虚飾であり、そこで働くソープ嬢たちも彼女らと遊ぶ客も皆、その人生が決して幸福ではないことを敏感に感じる少女でもある。どうしようもない悲しさが、雪の日に空を覆う灰色の雲のように、吉原の街全体を支配しているようで、幼いながらも少女は気が重くなるのを禁じえない。
そのうち少女は保育園が休みの日でも、女の店には行かず近所の友達と遊ぶようになる。こうして少女は次第に吉原から遠ざかるのだが、母親である女がそれを望んでいるのは言うまでもない。
ところがである。少女が遊ぶ友達は、すべて女の子。まだ異性を意識するには早過ぎる年頃にも関わらず、男の子とは絶対に遊ばない。なぜか。少女は病的なまでに男を嫌ったからである。保育園内でも同様で、従って男子と手をつながねばならないお遊戯やお散歩の時間を少女は嫌悪する。店の経営に忙しい女は、そんな少女の特異さに気付かない。
人生とは皮肉なものでというか必然として、そんな少女でありながら男子の人気者である。なぜなら既に少女は絶世美少女の片鱗を見せており、お人形のような美しさ、可憐さは他の少女の追随を許さない。
少女が成長するにつれ、女は時間を作って買い物や散歩に少女を連れて出掛けるようにもなる。或る日季節は春、女は少女の手を引いて川を訪れる。女が少女を拾ったあの川であり、それは少女が物心ついて初めてのことである。
女と少女は河原に佇む。少女はその川の流れを目にした瞬間、はっと息を呑む。不思議な感動が少女を襲う。どきどき、どきどきっ、鼓動が高鳴り、切なく胸が締め付けられるような懐かしいような思いが押し寄せる。少女は混乱するも、その感情は抑え難い。川のせせらぎ、川の水の冷たさそしてぬくもりを以前体全身で感じたことがあるような、否それどころでなく、自分はあの川の中で生まれたんちゃうやろかとさえ思える程である。どきどき、どきどきっ、懐かしい、ただ懐かしくてしゃない、何でやろ。幼いながらも少女は答えを求めて懸命に思いを巡らす。
それは、物心ついて初めて雪を見た時の感動にも似ている。あの冷たさ、そしてあたたかさ、何よりも懐かしさ。降り頻る雪の一片一片を掌につかまえてはしゅっと融けてゆく時のそして儚さ。すべてが懐かしい。あの時も自分は雪から生まれたんちゃうやろかと錯覚さえした、と振り返る少女。
けれど女は少女に何も告げない、一言として語らない。お前はな、ここで拾われたんやで。わてがここでな、この川を流れゆくお前を拾ったんや。それは寒い寒い冬、雪の降り頻る朝やったなあ、などと決して口にはしない。何も語らず女は少女の手を握り締め、ただ黙って川の流れを見詰めるばかり。どきどき、どきどきっ、女の手のぬくもりが女の鼓動と共に少女へと伝わる、少女の鼓動を包むように。
その時少女は何も語らない女の横で、川と雪とが自らに与える郷愁の意味を解くのに懸命である。忘却した記憶の海を彷徨い、捜し出そうとしてもがく。もがくけれど、いくらもがいてみても、思い出せはしない。歯がゆさに小さな胸が張り裂けそうになる。それでも少女は、決して泣かない。思い出せ、思い出して、わたし……。
はっと目を覚ます雪、汗が零れている。額の汗を拭った瞬間、夢の記憶は失われ、ただぼんやりとした悲しみだけがまた残される。
桜も散り掛けた月の終わり、お節が宇宙駅のドアを叩く。まだ朝の時刻、驚いて寝惚け眼で飛び起きた雪がドアを開けると、そこにはお節の他に重々しく突っ立つ警視庁の面々。
「何やの、ママ。こんな早くに」
「こちらの方々がな、どないしてもあんたに用があんにゃて」
警察への対応も最早慣れたもので、お節は落ち着き払っている。
「何でっしゃろ」
雪もまたお節に負けず劣らず落ち着いたもの。警察官が答えるより早く横からお節が口を出し、
「こないだのお客さんな、あんたの。大学の先生やて」
「知ってる」
「ほか。その先生が、死にはったそうや」
淡々と告げるお節、もうその声に驚きはない。雪とて同じである。
しかしここは警察の手前、雪は、そこら辺の小娘の姿を演じて見せる。
「ええっ、うっそーっ、ほんまかいなママ。どないしょどないしょ、雪恐っ」
ぷっ、何や下手なお芝居、却って怪しまれるで。お節は内心苦笑い。
「何であんたのお客さん、みんな死にはんやろな。この部屋、呪われてんちゃう。一遍お払いしてもらうか」
そんな母娘の会話には乗らない警視庁の連中。彼らも、仕事だから仕方ないけど面倒なことには関わりたくない、そんな顔をしている。
「雪、今回もちゃあんとお客さんには警告したんです。それでもええから言わはって」
目を潤ませて、といってもお芝居で、警察官に訴える雪。それを見てお節、恐あっ、嘘泣きかい、ほんま女は恐ろし、とまた苦笑い。早速調査班が、指紋、不審物等々、宇宙駅をくまなく調べる。
黒石の死因もまた、桜毒。黒石と接触した際の言動について、事情聴取が再びお節と雪に対して行われる。雪はもうへとへと。警視庁の連中がやっとエデンの東を引き上げた時は、もう既に昼下がり。
宇宙駅に残されたお節と雪の二人。
「あんた、ほんま心当たりないの」
お節の問いにかぶりを振るばかりの雪。それでも心配でならないお節は、続けて問う。
「な、あんた恐ない。もういい加減こないなこと止めよ思わへん」
ところが、
「ちっとも恐ない、雪平気や」
けろっとした顔で答える雪は、余裕の笑みさえ浮かべる程。ほんま、恐ーっ、恐い女になってもた、こないだまで女子高生だったいうのに、もうまったくの別人や。背筋がぞっと凍るお節は、とっとと宇宙駅を後にする。
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