(小説)宇宙ステーション・救世主編(十一・四)
※過激、不快と感じる表現あります、ご注意を。
(十一・四)ゴロ助
「どうしたら、ええの。お雪さん」
自分が発した寝言に吃驚して、目を覚ます雪。目の前には人影。誰、はっとして恐る恐る見ると、それはゴロ助である。しかも他には誰も見当たらない、ゴロ助ひとり。何や、ほっとため息吐く雪。けど何でこの人、ここにいてんのやろ。
気付くと雪の体には、毛布が一枚掛けられている。ふわふわっとして、あったかくて堪らない。それに体に付着していた筈の汚物類も、いつのまにかきれいに拭き取られている。でも誰が、もしかしてこの人。じっとゴロ助を見詰める雪、ゴロ助も雪を見詰め返す。
「おはよう。良く寝てたから、起こせなかったよ」
それから、小さく謝るゴロ助。
「御免な」
雪を憐れむ気持ちが痛いほど伝わってくるその笑みと声である。返事する代わりに、ううん、とかぶりを振る雪。尤も雪はまだ声を出す気力すらない。
「腹減ったろ、食いもん買って来たから。それに下着やら何やら」
笑い掛けるゴロ助に、腹、食いもん、はっと我に返った如く腹を空かしている自分に気付く、空腹を否食欲を思い出す雪。今は拉致監禁の絶望状態を嘆く以前に、まず飢えを癒すのが先決である。
ゴロ助が買って来たのは、コンビニのお握りとカップラーメン。手錠の鍵を解くゴロ助。
「ったく、ひでえ事しやがる」
昨日は気付かなかったけれど、部屋の奥には小さなキッチンとユニットバスが備わっている。お湯を沸かし、カップラーメンにお湯を注ぐゴロ助。雪はゴロ助の買ってきてくれた下着と元々着ていた上着を身に付ける。上着といっても下はミニスカ。上着といえばゴロ助、
「似合うかどうか分かんねえけど」
白のワンピースを買って来てくれたらしい。お握りにがっつき、カップラーメンをすする雪。余りの空腹に見栄えも味覚もどうでも良い、食する雪の恰好は丸で野生の狼少女である。
「慌てなくていいから、ゆっくり食べなよ」
こんな綺麗な若い娘さんがと、ゴロ助は雪が不憫でならない。
食事を終えると、雪はバスルームでシャワーを浴びる。体中がまだヒリヒリと痛み、充分には洗えない。その間にゴロ助は床の清掃を済ませる。雪がシャワーを終えると、改めて対面するゴロ助と雪、二人は床に腰を下ろし向かい合う。
「おっちゃん」
これが雪のゴロ助への第一声である。
「何だい」
問い返すゴロ助の声はやさしい。やっぱしこのおっさん、ええ人や。この人だけは信用出来る。
「雪、これからどないなるんやろ」
縋り付くよな雪の眼差しに、けれどゴロ助はため息混じり、かぶりを振りながら答える。
「分かんねえ。ただ言えるこたあ」
「うん」
「残酷なようだけど、もうあんた、こっから生きては出らんねえってこった。おいらには、それしか答えらんねえ」
生きては出られへん、ゴロ助の言葉を心の中で繰り返し呟く雪。詰まり、殺されるいうこっちゃ。しかしすべてが他人事のようで実感が湧いて来ない。
「あんた、いや雪ちゃんだったね。おいら雪ちゃんの世話しろって言われてな、それでここにいるんだよ」
世話、丸で犬か猫やな。
「早い話、見張り、監視役いうことやろ」
「ま、そういうこっちゃ。あいつらからは逃げらんねえ、おいらもあんたもな」
「分かってる、おっちゃん。な、あいつらて何なん」
「ん……」
天井を見詰め、
「そうさな、正直おいらにも良く分かんねえ。あんまり余計な事喋ると、おいらだって殺されちまうしな」
そう言うと、ゴロ助は黙り込む。
「そやな、御免」
雪も唇を噛む。
沈黙の間に、お節のことを思い出す雪。
「おっちゃん。ひとつだけ頼みあんねん」
「何」
「うん、雪な、店に年取ったママいてんねん」
「うん知ってる」
「でも雪帰れへんやろ、今頃心配してる筈やねん。な、雪のこと心配せんように、ママに伝えてもらえへんやろか」
「うーん、そうだなあ」
腕を組み、困惑のゴロ助。
「あの店だろ、TVでやってた」
「うん」
考え込み悩んだ末、ゴロ助が口を開く。
「分かった。何とかばれないように伝えてみるよ」
「ほんま」
頷くゴロ助。
「有難う」
雪の顔から笑みが零れる、この場所に監禁されてから初めての笑顔である。
「絶対内緒だぞ」
「分かってる」
そこまで話すと、疲れと痛みでぐったりと壁に凭れる雪。
「じゃ済まないけど、これ」
ゴロ助は再び手錠を雪の両手首に掛ける。その時一瞬、ゴロ助の手が雪の手に触れる。はっとする雪、初めてゴロ助を見た時に感じた懐かしさが再び込み上げる。
「おっちゃん。良かったらおっちゃんの手、触らしてくれへん。ええやろ」
「はあ」
突然のことに戸惑うゴロ助。
「触ってみたいねん」
「そんなに言うならいいよ。こんな汚い手で良かったら、幾らでも触りな」
「有難う」
ゆっくりとゴロ助の掌を片方ずつ、自分の両手で包むように握り締める。
「冷たい」
「そうだろ」
「うん。それに荒れてごつごつしてて、ママとおんなじや」
「そうか」
照れ臭そうに苦笑いのゴロ助。どきどき、どきどきっ。
「くすぐってえ。もういいだろ」
けれどゴロ助の声も今は聴こえない、雪はただじっとゴロ助の手を握り締めたまま。もしかして、咄嗟に悟る。もしかしてこの人ちゃうやろか、あん時の……。目を瞑る雪。このままじっとこうして、この人の手に包まれていたいと願う。
しかし、「奴等だ」とゴロ助の声。
確かに外で物音がする。車が停車する音、車のドアを開け閉めする音、そして近付いてくる複数の足音。目を開きゴロ助の手を離した雪の目は、既に恐怖に怯えている。その目を直視出来ず、視線を落とすゴロ助。
ギィーッ、ドアが開くとそこには、ゴロ助の言葉通り霧下と三人の男が立っている。霧下以外は昨夜と異なる顔である。
「また連絡するからな」
霧下の言葉に従い、後ろ髪引かれる思いでお化け屋敷を後にするゴロ助。雪はまたひとりになる、狂気の野獣たちの中にひとり取り残されたる美しくも哀れな小鳥。悪夢という名の白昼夢の始まりである。雪の美しさを一目見ただけで、男たちは舌なめずりを始めている。
お化け屋敷を出たゴロ助はベンツで最寄駅まで向かい、駅前の駐車場にベンツを入れると電車で移動を開始。尾行されていないか確認しながらわざと遠回り、複数の電車に乗り換え数時間を費やし、辿り着いたのは吉原。雪との約束を果たす為である。けれど直接お節の店エデンの東に出向く訳にはいかない。既に自分と同じような組織の手下が、お節を見張っているに違いないからである。
そこでゴロ助は、嘗てエデンの東に在籍し他店に移動したソープ嬢を捜すことに。とはいっても吉原だけで二百店舗はあるソープランド、いつ巡り会えることやら。それでもやるっきゃないと、こつこつと店を巡るゴロ助。女の子とちょっと言葉を交わすだけ、プレイには及ばないから体力は消耗しないが、料金を払わない訳にはいかないから出費はかさむ。
そんなゴロ助の願いと努力が天に通じたか、ソープ巡りを始めて五日目の五十軒目、遂に元エデンの東嬢のひとりを見つけ出す。ゴロ助はその娼婦に中身は決して見ないでくれと懇願し、お節への手紙を託す。手紙の内容は以下である。
『あなたの娘さんは今身の危険がせまっているので、ある場所にかくまっています。しばらく帰ってこれませんが、心配しないでください。よけいなことをすると娘さんの命が危ないですから、警察には連絡しないように。それからこの手紙は読んだらさっさと燃やしてください。』
果たして秘密裏にゴロ助の手紙は娼婦を通じ、お節の手元に無事届けられる。お節としては雪のことが心配で、警視庁に相談するか否かと迷っていた矢先のこと。何も手につかなかったのか、エデンの東の玄関に飾った秋桜の花はすっかり枯れてしまっている。ゴロ助の手紙を幾度となく読み返したお節は、けれどゴロ助の文面に従わず、そのまま手紙を保存することに。
お化け屋敷では連日連夜、雪への責苦、儀式という名の暴行、虐待が繰り返される。フォクスィズムに於ける生け贄の儀式、洗礼である。鞭で血だらけにされ、蝋燭の蝋によって蝋人形の如く固められ、縄で縛り上げられ吊るされ、聖なるミルクと称した男たちの体液を全身に浴びせられる。夜昼問わず、といっても雪には今が何時か丸で見当も付かない。ただひたすらいたぶられ、責められ、痛め付けられるばかり。これならば死んだ方が遥かにましという酷さであり、最早雪は言葉を発することも出来ず、ただ喘ぎのたうちまわるのみ。その絶叫や、とても人間とは思えない獣のそれである。
彼ら闇の組織にとって、生け贄は美しければ美しい程申し分なく、理想としては絶世美少女或いは絶世美少年が望ましい。その美しさを思う存分汚し生け贄が絶叫し苦しみもがけばもがく程、彼らの信仰は向上し、魂は満たされ、崇拝の的である女狐女王(フォクシークイーン)とひとつになれるのであり、それが彼らにとっての無上の喜びに他ならない。なお女狐女王、こやつこそが人類をたぶらかし、有史以来数々の無慈悲残虐なる凶悪犯罪を行わせてきた、所謂悪魔と呼ばれるものの正体である。従って女狐女王こそが、人類の真の支配者であるとも言えるのである。
本来ならば儀式の一環として参列者全員と生け贄との性交は必須であり、その快楽に酔いしれることこそが最上の信仰向上に通ずる修行ともされているのであるが、残念ながら桜毒の恐怖から雪に対してはそれが出来ない。そのフラストレーションたるや凄まじく、殆ど憎悪の権化と化して更に激しく雪を責め立て、儀式は凄惨を極めゆく。しかも絶世美少女という最上の生け贄を擁した儀式とあって、儀式の司教を務める霧下に案内された組織のメンバーが次から次へと訪れるから、儀式はいつ果てるともなく延々と続くのである。
儀式の始まりに際し、司教霧下はこう唱える。
「どうだ、苦しいか。しかし当然の報いである。なぜならばお前は、我らの同志を次々と死の闇へと葬り去ったではないか。よってお前が同志の受けたと同等の否それ以上の苦しみを受けねばならないのは当然であーる。本来ならば即刻極刑に処すべきであるが、それでは同志の受けたる苦悩を贖うに充分ではない。従ってお前は生きながら、死の苦しみをば味わい続けねばならなーい」
こうして雪は死を除くありとあらゆる苦悩と恐怖を与えられ、女としての恥辱を味わわされ、人間としての人格、プライドをずたずたに破壊されてゆくのである。
加えてお雪さん。雪の内部に於いて雪と同様に否それ以上に苦しみもがき、悔しさをにじませ泣き叫ぶ。ただ憎しみと悲しみとが降り積もってゆくばかり。だから雪にとっては、内と外からの二重の責苦となるのである。
誰しも思うように、雪もまた死んだ方がましやと自殺を考えるようになる。しかし外に出られず毒物も持たない雪は自力で自らの息の根を止めねばならないが、最早それだけの力すら残っていないのである。舌を噛み切る力も、壁に頭をぶち当てる力もなく、死ぬ気力も、死ぬ希望すらも与えられない。
「どないしょ、お雪さん」
お雪さんに問い掛けても、ただいつものように『だれか、こいつらをころして』と哀願されるばかり。
こうして繰り返される雪への儀式、虐待の中で、司教霧下が不可解でならないことがひとつあった。それはこれ程の痛み苦しみを受け絶望に苛まれながら、儀式を開始してから未だ嘗て一度として雪は泣かない、その涙を一滴として零したことがない点である。これには流石の霧下も驚きを隠せない。生け贄の涙こそ儀式参列者の最大の快楽のひとつでもあり、興奮も倍増である。しかし幾ら雪への攻撃の手を強めようとも、矢張り泣く気配はない。それどころか霧下の動揺を見透かしたかの如く、余裕の笑みさえ零す雪である。姿形は絶世美少女でありながら、その精神たるや化け物ではないかと内心恐れおののく霧下である。
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