(小説)宇宙ステーション・救世主編(五・一)
(五・一)四人目の客
春、桜が満開である。月が替わりお節は、エデンの東の玄関に桜を飾る。何処ぞやの桜の木からちゃっかり枝を折ってきたのではないかと、店の女の子たちはひそひそ話。ところがそんなのんびりと春の陽気に浮かれている場合ではなくなって来つつある今日この頃。というのも雪の周りが俄かにざわつき、波音を立て始めるのである。
遂に警察この吉原の地に於いては警視庁が動き出し、雪の周辺を嗅ぎ回る。和田の奥さんからぽろりと雪の名が警視庁に伝わったことが発端。では警視庁、その調べの結果は如何なるものか。先ず和田の死因が桜毒であることが判明。しかし肝心の雪は現在も健康であり、念の為雪が普段定期的に検査を受ける毒島性病科医院にも確認するが矢張り問題なし。美人の女医である毒島性病科医院長毒島女史などは、
「わたくしのプライドを掛けて、彼女の検査結果に異常は認められません。これはどうしようも覆すことの不可能な医学的事実ですから」
猛然と主張し、雪の身の潔白を証明してくれる。
これでは雪を疑う根拠も証拠もなし。で結果雪は無罪放免のまっ白とされ、警視庁の捜査も打ち切らざるを得ない。これでエデンの東も雪も営業停止を食らわずに済む。しかしかといって天下の警視庁が雪の逮捕、犯罪立証を諦めた訳ではなく、桜毒を発症させるようなドラッグを所持或いは秘密の組織から入手していないか、雪に殺害を依頼するような人物はいないか等々、雪の身辺調査は密かに継続させるのである。
お節も幾度か事情聴取を受ける。お節とて正直なところ、雪に疑いを持たない訳ではない。確かに雪には何か秘密がある筈や。それでも警視庁に対しては、敢然と我が娘雪を守る。
「そんなん単なる偶然でっしゃろ。よう考えてみて下さい、わたし等商売人でっせ。お客様は大事な大事な神様。お客様なかったら、おまんまの食い上げ。そんな殿方を何で好き好んで殺さなあきまへんの。自殺行為でっしゃろ、そんなん、なあ」
では、肝心の雪の事情聴取。
「雪もどうしてなんか、ほんま、よう分からしませんねん。自分でも恐ろしゅうてな、どないしたらええのんか、いっそ死んでしまいたい位です」
絶世美少女に見詰められ、切々と訴えられては流石の刑事たちも形無し。
「じゃ、兎に角今の仕事辞めちゃえば」
などと無責任に提案するも、
「そらあかん。今迄育ててくれたママへの恩返しやもん」
またたとえ警察官や刑事とはいえども、男は男。雪の魅力には適わない。ついつい手を出したくなるのも男心。ところが幸か不幸か桜毒の疑心暗鬼である。下手に手など出した日には、自分もあの世行きかも知れない。そんな恐怖が彼らの欲望にブレーキを掛け、今の所何とか警視庁の不祥事には至っていない。
こうして運良く雪の問題はまだ世間には知られず、エデンの東はしぶとく営業を続けたという訳。そんな中、雪への四人目の客が現れる。客の名は、黒石慎吾。某国立大学の教授であり、自称ノーベル賞候補にもエントリーされた経験を持つという著名な科学者であるらしい。この黒石、如何にもぶらりとエデンの東に立ち寄ったふうではあるが、実は矢張り三上たちのお仲間、闇の組織の会員である。お仲間内ではどうも都合良く、雪の良い評判だけが耳に入って来るらしい。
職業柄ピチピチむっちり太腿の女子大生との接点も多く、本音はセクハラでもして楽しみたいところではあるが、危険を冒して社会的地位を失いたくはない。何とか我慢して社会の表では真面目な大学教授を演じ、裏ではお仲間たちとしっかりと欲望を満たしている。
どちらかと言えばロリコン、ピチピチの若い娘に目がない。弾けるようなナイスバディに埋もれながら腹上死出来れば、これ以上の至福はないと夢に描いている愚か者である。もう還暦を過ぎた爺さんながら、困ったことに性欲は一向に衰えない。お節との交渉を終えた黒石は、いざ宇宙駅へ。
宇宙駅のドアが開くと、そこには燦然と光り輝き天照大神かと見紛うばかりの我らが絶世美少女雪。初対面の黒石は一目見て、くらっと眩暈を覚えんばかり。その欲望は弥が上にも掻き立てられ、最早爆発寸前。
「おお、お嬢さん、何ともお美しい。そのはちきれんばかりの若さに加え翳り或いは妖艶さといった大人の魅力をも兼ね備えたる例えれば散りゆく桜の花の如き可憐さ。正にわたくし好みで御座います」
ごくんと生唾を呑み込み、にたにたと笑みを隠しきれない黒石に、何や気色悪い爺さんやなと思いながらも「有難う、お客さん」
愛想良く作り笑いの雪。その時雪はお雪さんが例によって『こいつをころして』と発するのを聴く。
「ささ、服をば脱ぎ捨て、その隠されたる美肌をばお見せ下され」
「ええよ。でもお客さん、ひとつだけ警告があんねん」
「警告、それはまた物騒な。では伺いましょう、その警告とやら」
既に雪の腕やら太腿やらをいじくりつつ問う黒石。
「実はな、雪、今迄三人お客さん相手したんやけど。その三人が三人共なあ……」
名前は出さねども今迄の経緯をちゃんと説明する雪。
「成る程。それはまた偶然で片付けるには余りに不可解なこと。この万能の科学の支配する世の中にあって何とも考え難いことでありますな」
腕を組み思案顔の黒石。
「これは何か深ーき理由のある筈。もしもこの謎が解明出来た暁には、遂にわたくしもノーベル文学賞ではありますまいか」
「文学賞でええの」
「ごっぽん。良いから良いから、細かいことは気になさらんように。それはさておき、お嬢さん」
じっと雪を見詰める黒石。
「夜は短し、恋せよじじい。という訳で、ささ、この夜をば思う存分楽しみましょうぞ」
雪を相手にロリコン魂は充分に満たされずとも、腹上死の方の願いなら、もしかしたら叶えてくれるやも知れないと淡い期待を抱く黒石。何しろ雪と関係したお仲間の三人が三人共既に死に、この世を去っているのだから。
「お嬢さん、警告の件は了解しました。しかしながら、わたくしには何ら問題なし、恐るるには至りません。むしろ半月と言わず、どうせなら今この場でわたくしを昇天させて頂きたい位。如何です、昇天というのは比喩でなく、その実際に……」
これには吃驚の雪。
「何言いはんの、お客さん。そんなん無理に決まってますがな」
けれど黒石の顔は真剣そのもの。それに加えお雪さんもまた叫ぶ、『こいつをころして』と。従ってその途端雪の理性は何者かに乗っ取られたかの如くに、自分の感情が制御不可能に陥る、ほな、しゃないなと。
「雪のこと買うてくれはんのは、ほんまに嬉しい。でも知らんで、どないなっても。雪はちゃあんと警告しましたよって、警察にはそう証言しますで」
「警察。ああ、構わんよ。警察など、いざとなったら役に立たぬのは衆目の事実。それより早く二人手に手をとって、ヘヴンへと参りましょう」
何がヘヴンやねん、あほか、このじいさん。雪は苦笑い。
こうして黒石は精も根も尽き果てる程、雪の肉体の中に溺れ遊び、年甲斐もなく幾度となく昇天を迎えたのである。けれど残念ながら肝心の夢、腹上死は果たされず、夜明け前痩せた背中に哀愁を漂わせながら、とぼとぼと宇宙駅を後にする。
ひとり残された雪は、夜明けと共に眠りに落ちる。また夢に沈んでゆく、幼い少女時代の夢へと。
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