(小説)宇宙ステーション・救世主編(十三・二)
(十三・二)エデンの東
お化け屋敷の天井を見上げ、うろたえる霧下。
「誰だ、何者だ」
宇宙船から聴こえ来た声に向かって叫ぶ。されど返事はなく、代わりに、
「救世主」
そう答えたのは雪である。ふらふらと立ち上がり、雪もまた天井を仰ぎ見る。
「何だと」
雪を睨み付ける霧下。しかし最早霧下など眼中にない。雪の胸は、救世主、宇宙船、子犬と少年、それだけでいっぱいである。
「とうとう宇宙船、到着したんやね、にいさん。ほな、ここがYoshiwara駅やったの。しもた、雪てっきりエデンの東や思てたのに」
ひとり苦笑いの雪。
黙っていられないのは、霧下。
「ええい黙れ黙れ、何が救世主だ、何が宇宙船だ。愚かな戯言をほざくでない。良いか、この星はな、我ら、Hill of Golgothaが支配する惑星であり、かつ永久にして真なる救世主こそ、我らが崇拝して止まぬ女狐女王様であらせられるのである」
「ん、女狐女王て、誰」
「誰て。ま、無理もない。簡単に申せば、悪魔」
「悪魔」
苦笑いの雪。
「何が可笑しい」
「そやかて悪魔が救世主て、洒落にもならんわ」
「ええい、笑うな」
ここで霧下お得意の説教を垂れる。
「そもそもこの数千年の永きに渡り、この星は宇宙でも比類なき美しく豊かな惑星だったではないか。見よ、人類は未開の大地を開拓し、産業革命を起こし、貨幣制度、科学、医学を進歩させ、輝かしき物質文明をば築き上げて来たであろう。奴隷否市民たちはその恩恵を受け、豊かで充実した幸福な人生を送って来れたではないか。それは一体誰の御陰だと思っておるのだ。愚かなる野蛮人に過ぎなかった人類を陰で見守り支え続け、知恵を授けて下さったのは、誰あろう、我らが女狐女王様に他ならないのである」
しかしまたも雪は反論。
「あほな。それ言うなら女狐女王でなく、神様やろ」
「そっちこそ、あほである。分かったような口を利きおって。よし、ではきさまにひとつ問う。この星に於いて古今東西神と名乗る者共が現れ、それぞれに宗教を創設し、どれも皆異口同音に天国、パラダイスなるものを作ると宣言したが、結果はどうだ。未だ一度たりともそのような桃源郷がこの星に出現したためしはあるまい。これは如何なる訳か、さあ答えよ」
「そんな難しいこと、雪分からへん」
がくっ、聞いた俺がばかだった。
「では質問を変えよう。成る程仮にいつか天国は訪れるとしよう。しかしその天国なる世界、一体如何なるところ也や。果たして人類は天国に暮らして、本当に幸福になれるのか、答えよ」
「そんなん、決まってるやない。幸福になれるから天国言うねん」
「うむ、娘よ、そなたまじで愚かなる子羊である。では聞くが、天国とは醜き者などひとりもおらず、美しく清らか、嘘偽りなく正直で悪を許さず正義に溢れ、周りはみんな善人ばかり。そんな世界で間違いあるまいな」
「そやね」
「てことはだ、このMr霧下なんかから言わせれば、天国とはまことに堅苦しくて窮屈、退屈極まりなき、あーあ詰まんねえって毎日毎日欠伸ばかりしてなきゃなんねえ、そんな世界じゃん、な、どうよ」
「どうよて、そんなん言われてもなあ、雪まだ十九なったばかりやし」
「おっと失礼、しかしよく考えてみよ。酒、煙草、ギャンブル駄目、水商売、風俗、ラブホも駄目。女は古女房一筋、スポーツだって敗者を出すから駄目で、映画、TVドラマだって所詮嘘っぱちだから駄目って、おいおいそんな世界の一体何処が楽しかろうかいな」
「んま、確かにそう言われてみれば、そうかも知れへんなあ」
「そやろ、じゃない。な、そうであろう、娘。不細工がいてこそ美人が引き立つ。ブ男がいてこそのイケメン。面白いのは、あんなブ男に何であんなええ女が、いうようなカップルもいるではないか。要するにみんな同じじゃ詰まらん、個性もへったくれもないわいな、っていうこと。それから嘘も方便と言うだろ。何でもかんでも馬鹿正直にやっとったら、融通は利かんし、おもろないし、何かと角も立つというもの。それに秘密、男女の秘め事などというのも、なかなか色気があって良いではないか。よく色恋は芸の肥やしなどとも言うであろう。そして悪、悪があるからこそスリル、ミステリードラマが生まれる。正義の味方と悪の支配者がいて初めて、芝居が成り立つ。ウルトラマンにはバルタン星人がいるから、ウルトラマンは正義の味方。でなければウルトラマンなんぞただの変なおじさん。恋愛ドラマとて男女を引き裂く邪魔者がいるから、ハラハラドキドキするではないか」
「そやな」
「であろう。こうして見ると、悪もそんなに捨てたものでもあるまい。それを頭ごなしに悪を否定しておったら、それはそれは詰まらぬ退屈な人間ばかりの世界になってしまうのではあるまいか。悪があるからこそ、世の中おもしろ可笑しい人生が送れるのである」
「成る程」
頷くも、ほんまにそやろか、釈然としない雪である。このまま霧下の言う事を肯定していたら、救世主に申し分けない、そんな気がしてしまう。折角遥々遠い宇宙の彼方から宇宙船に乗って来てくれはったのに。
「そら確かに、あんたの言うことも一理ある。けどドラマはドラマや。現実にあんたらの儀式や快楽の為に、玩具にされ責苦に遭わされ、殺される少年少女たちの身になったら堪らん。それに退屈で平凡で欠伸ばっかしの時間の中にも、誰かと一緒に生きるささやかな喜びや切なさ、いとしさいうんは、あるんちゃう。誰かと出会って、平凡な恋愛して、やがて結ばれ一緒に暮らし始め、寄り添い合い、最期を看取る。そんな退屈でしょうもない人生、雪、好っきやな。それがほんまの幸福いうもんちゃうやろか」
「何だと。何がささやかな喜びだ、いとしさだ、何が雪、好っきやなだ、調子に乗るな。ほんまの幸福だと、生意気な小娘が」
むかーっと来た霧下は、雪を殴ろうとして、けれど思いとどまる。今や桜毒に侵され衰弱し切った雪である故、遅かれ早かれ苦しみもがき死んでゆくであろう。案の定、雪は立っていられず再び床に伏し、鼻水を垂れ、咳、嘔吐を繰り返し、全身の皮膚を掻きむしる。呼吸は荒く、鼓動もせわしない。桜毒の末期症状である。野獣の如き呻き声と共に、床をのたうちまわる雪。
「何と、哀れなるかな。これが妖怪変化、殺人鬼の末路である。まっこと女狐女王様のコントロールされる因果応報の鉄則は完璧、僅かの狂いもなくすべての者に適用、遂行さるるのである」
床より手を伸ばし、救いを求める雪。しかし冷酷なる霧下は、その手を払い除ける。
「ほら苦しめ、もっともっと苦しむのだ。よいか苦しみもがき、死んでゆけ」
ぜえぜえ、ぜえぜえと床に伏し、最早雪の命は風前の灯火。そんな雪にまだ罵詈雑言を浴びせねば気の済まない霧下である。
「どうだ、苦しかろう。なぜお前がそのような醜き姿と成り果てて、苦しみのたうちまわらねばならぬか分かるか。それはお前が我らの同志を次々と殺した罪の報いなのだ。しかし一概にお前ひとりが悪いとも言い難い。なぜなら、そもそもそのような罪を犯す魔性と美貌とを持って、この世に生まれて来てしまったことが既に罪悪なのである。然らば悪いのはお前自身ではなく、お前を産んだ母親であり、お前を育てた吉原の女であり、お前を育てる為に女が営んだ売春宿であり、売春によって栄えたる吉原の街、なのであーる」
吉原、売春、エデンの東、お前を育てた吉原の女……お節……、ママ、わたしのママ。ママはなんも悪うない、ママはただわたしを愛してくれただけや。わたしを愛して……、愛、して。雪は最後の力を振り絞り、顔を上げ霧下を睨み付ける。その目には涙が溢れ、滴が頬に零れ落ちる。雪の生まれて初めての涙である。
「ほう、鬼の目にも涙とは、お前のことであったとは、お釈迦様でも知らぬ仏のお富さん也」
そんな戯言の霧下に、雪は桜色の発疹に侵された唇を動かし、何かを呟く。
「何だ、何が言いたいのだ。聞いてやるから言ってみろ」
「あ、い、し、て、る」
「何」
「それでもわたしは、よしわらをあいしている。それでもわたしをそだててくれた、ママをあいしているから……」
「何だと」
雪は手を伸ばし、霧下の手をつかまえ握り締める。どきどき、どきどきっ……。
「そやから、ひとりぼっちのあんたのことも、ゆ、る、し、た、る」
雪は笑みを浮かべ、そのまま力尽き息絶える。霧下はしばらく呆然と立ち尽くした後、雪の手をそっと雪の胸に置くのであった。
お化け屋敷の天井がめきめきめきっと軋み出す。我を忘れた霧下は、されどただぼんやりと雪の遺体を見下ろすばかり。なぜなら死と共にその遺体から、桜毒の症状が跡形もなく消え去ったからである。天井が激しく揺れ、宇宙船が屋根から飛び立ってゆく。宇宙船が去った後、屋根にはぽっかりと大きな穴が開いており、そこから中へと粉雪が落ちて来る。驚いて霧下が天井を見上げている間に、床に横たわる雪の遺体に異変が起こる。遺体は瞬時にして透明化し、そのまま軽々と上昇を始め、天井と屋根とを通過し、遂には空へと消え去るのである。お化け屋敷には霧下のみが残され、やがてそこが雪に埋もれてしまうのも最早時間の問題である。
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