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(小説)宇宙ステーション・救世主編(十一・七)

(十一・七)火星ステーション
 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……そこは弁天川の川辺か、それとも銀河の海の岸辺なのか。ふたつの小さな光がそこに佇み、佇んでいたかと思うといつか子犬と少年に化身している。何処とも知れないその大河の岸辺で、少年の目には涙が溢れている。少年の悲痛な叫び声が、宇宙の波間に木霊する。
「おねえさーん、何処にいるのーーーっ」
 にいさん。返事をして上げたいけれど、少年に雪の声は届かない。その代わり少年の胸に抱かれた子犬が、ぺろぺろぺろっと少年の涙に濡れた頬を舐める。少年は幾度となく叫び続ける。
「おねえさーん、何処にいるのーーーっ」
少年の震える声は宇宙船を激しく揺さぶる、今火星ステーションに到着したばかりのメシヤ567号を。

 バビブベブー、こちらは火星ステーション。メシヤ567号殿に告ぐ、今何か激しい、惑星レベルに於いては天変地異に等しき振動が発生し、宇宙全体をば揺さぶった模様。そなた何か心当たりはございませぬか。聞けばそなた、第三惑星へ行かれるとか。はて何もおもろいことありませんでしょうに、一体あげな野蛮未開の星に如何な用の御座いますかい。何でも第三惑星の民どもときたら、我が星をばあたかも兄弟の如く慕っておりまして、やれ火星人探索だ、移民計画だ、などとやたら威勢の良いことをほざいている模様。そもそも火星人という言葉からして誤り、人などという野蛮なる生きものと我々を同類にしないで頂きたい。しかし我らあげな烏賊か蛸かも分からぬような、変てこな生物なんぞでは御座いませんから、悪しからず。
 ま、それはいいとして救世主はんはまだご不在でっか。一体何処においでです。えろう長いこと空席のようで、その間に闇の組織の連中に宇宙をば好き勝手乗っ取られはしまいかと、冷や冷やいらぬ取り越し苦労の、そればかりが気になってなりまへんでして、はい。ま何はともあれ今宵はごゆるりと火星の黄昏酒場などお立ち寄り下さりませませ、思う存分ごくつろぎなさい。以上、バビブベブー。

 ピポピポピー、これはこれは火星ステーション殿、こちらはメシヤ567号。ご指摘通りまだ救世主は不在にて候。いろいろと世の中への不安、不満、お怒り、疑問など御座いましょうが、それも御尤も。なれどすべては大宇宙の計画と法則、並びに運動で御座います。世の中、何分善だけでは成り立たぬもの。そこにどうしても悪が必要となる場合も生じますようで。昼があれば夜があるように、夏が来れば冬が参りますように、光と闇、明暗、陰陽、長短、縦横、強弱、美醜、破壊と創造、戦争と無戦争、そして男と女となる訳です。こうして宇宙は相対関係によりて上手くバランス、均衡をば取りながら、ゆっくりゆっくり運行しておるので御座います。
 それ故とろとろと宇宙の進歩、進化たるものはのろく、時に苛々も致しまするが、どうぞ長き目でお見守り下さいませませ。またなぜ絶対でなく相対かと申せば、ぶっちゃけ片方だけでは詰まらぬ、面白みが乏しゅうなって退屈に陥ってしまうもの。男女にしても互いに互いを補うことで新たなる命をば創造してゆく、そこに生命の芸術活動が宇宙の中に延々と営まれ、喜び悲しみが生活を潤し豊かにしてゆくもので、男と女のどちらが欠けても果たして命は生まれぬような宇宙の仕組みになっております。
 しかしながら何事も度が過ぎてはなりません。度が過ぎますると救世主は大慈によって見過ごしましても、完全なる宇宙の法則が許しません。なぜなら僅か一点の曇りが大宇宙の計画をば狂わせてしまいかねませんから。そこで悪であろうがなかろうが過ぎたるものへの抹消作用、即ち自然淘汰が宇宙の中に発生するので御座います。こればかりは救世主といえども、手出しは許されません。例えば第三惑星に於きまして、生命の発生以来、幾たびか生物が繁栄しては絶滅し、また第三惑星人たちの文明が栄えては必ずや滅亡の運命を辿ったのもその為なのです。生者必滅、会者定離、栄枯盛衰の理……、夏草や兵どもが夢の跡、これらすべて皆、宇宙の法則によるものなり。
 そして今、救世主並びにメシヤ567号は第三惑星にはびこる悪、その度を超したる悪の支配に対する自然淘汰発動の為、彼の地に赴かんとすなり。しかも救世主は一足早く、準備の為既に第三惑星の或る場所へと潜伏しておりまして、先程の振動はその為の……おっとこれはまだ内密のこと。何しろ救世主、第三惑星に潜り込む為、只今いささか不完全なる生命形態にて存在致しております故、それをば闇の組織に見抜かれますると、ちょっとやばい。救世主の存在自体が脅かされかねません。何れははっきりしますことですから、少々ご辛抱をばお願いします。
 ではその第三惑星にはびこる悪とは、言うまでもなく凶悪なる性犯罪及び売春でありまして、例えばこのモニタをば御覧下さい。これが第三惑星Yoshiwara駅にて正に現在行われております、鬼畜外道によりまする雪なる娘への拉致監禁並びに性的暴行で御座います。まったく見るに耐え難き野蛮非道行為、ええ、あれが本来闇を照らすべく作られたる蝋燭と呼ばれるもの、あの熱き蝋をば如何にするかと申せば、ほら、ああやって、娘の柔肌に垂らして喜んでおるのです。あちちちちっと見てる我らも火傷しそうな程。これが宇宙征服をも目論む闇の組織、その名もHill of Golgothaによって操られたる第三惑星人たちの悪の所業のほんの一例に過ぎません。こうして最早Yoshiwara駅は風前の灯、救世主によります最後の審判の時をば待つのみです。
 たとえ如何程救世主がYoshiwaraの街の哀愁、例えば夕暮れのネオン、店を探して通りを歩く哀れ一人身男の寂しき背中、自ら呼び込みをする娼婦たちの似合わないミニスカートの膝の鳥肌、腹を空かしてネオンの路地をうろつく野良の子猫どもの遠吠え等々をばいとおしもうとも、そして何とか助けて上げたいと憂いたところで、所詮そんなものは救世主の単なるセンチメンタリズムに過ぎません。センチメンタリズムで悪をば救済出来る程、世の中甘くはありません。以上、長々とお付き合い、有難うございました。

 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、かくして宇宙船は、いよいよ第三惑星へ後一歩、終着のYoshiwara駅へと迫っているのである。ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。

 少年の空想が途絶え、目を開く雪。ゴロ助は既に雪の肉体から離れ、弁天川のせせらぎも、少年の声、子守唄ももう聴こえない。闇の組織の連中も今はもう帰ってしまったのか、お化け屋敷に彼らの姿は見当たらない。ただ嗚咽の声が漏れるばかり、それは「済まねえな、済まねえな」とゴロ助が泣いているのである。

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