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(小説)八月の少年(最終章)

(最終章)朝顔駅
 少年のわたしはただひとり、その駅のホームに立っていた。


 朝、空は青かった。
 ホームに朝顔が咲いていた。
 風に笑う朝顔にたずねた。
 この駅の名前は何ですか?
「ヒロシマ駅」
 朝顔が答えた。
 空を見上げると、雲ひとつない青空だった。
 何処からか蝉時雨が聴こえてきた。

 それからわたしは風の中に、朝顔たちのささやきを聴いた。聴いたような気がした。
 1945年8月6日。
 8時15分。
 ヒロシマ駅のプラットホーム。
「わたしたちは信じている。
 わたしたちは信じている。
 これがすべてのはじまりだということを。
 これがそして今が、すべての人と蝉と生命と夏の、本当の望みへと導いてゆくはじまりだと。
 わたしたちは信じている。
 わたしたちは信じている。
 わたしたちは。
 そしてわたしたちは生き続ける。
 雨、風、海、星の中に。
 あなたの中に。
 そしてわたしたちは生き続ける。
 あなたの心の中に。
 だから、わたしたちは死なない。
 だから、わたしたちは、あなたを信じられる」

 何処からかノイズが聴こえてきた。ラジオだ。ラジオが叫んでいた。
「アメリカ軍B29が日本に原子爆弾Little Boyを投下しました」
 Little Boy?
 そうか、小さい少年とは。
 いや、けれど違う。
 小さい少年とは。
 小さい少年とは、八月の、夏の、小さい少年とは。

 蝉のことだ。

 そう、夏の日わたしたち少年といつも一緒にいてくれた、蝉たちのことだよ。
 そうつぶやきながら、わたしはシャツの胸ポケットに手をあてた。わたしの指がポケット越しに蝉の抜け殻へと触れた。

 その瞬間、わたしはそして大人に戻り、止まった懐中時計を握り締めていた。止まった、そう、わたしの夢とわたしの夏が終わった時刻だ。

 目が覚めると、そこは海だった。
 ふと何処からか少年の歌う声が聴こえてきた気がして耳を澄ました。遠くで蝉が鳴いていた。蝉時雨だ。蝉時雨、蝉。胸に何かが刺さった気がした。それはチクリと痛かった。
 何だろう?シャツの胸ポケットを見た。
 それは、蝉の抜け殻だった。抜け殻がピクリと少し動いた気がした。
「小さい、八月の少年」
 わたしは小さくつぶやいた。
 ああ、けれどきみは鳴かなかったね?
 懐中時計を見た。
「8時15分」で止まっている。

 『夏が来れば思い出す
  遥かな尾瀬 遠い空
  霧の中に浮かび来る
  優しい影 野の小道
  ・・・・
  ・・・・
  水芭蕉の花が匂っている
  夢見て匂っている 水のほとり
  まなこ瞑れば懐かしい
  遥かな尾瀬 遠い空』

 「夏の思い出」
 江間章子作詞 中田喜直作曲
 1949年NHK「ラジオ歌謡」で放送。

(了)

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