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笑いと哀しみの関係

年を取ると人の死に感情を揺さぶられることが多くなります。生前の人柄や活躍を知っている人が多くなるからでしょうね。あとひと月半で2024年も終わりますが、今年も多くの方が鬼籍に入られました。

鳥山明先生、楳図かずお先生、西田敏行さん、中尾彬さん、大山のぶ代さん、西田篤史さん、林家正楽師匠…。

こうやって書いていても、確実に自分の血肉となっている多くのものを与えて下さった方々ばかりで、感謝の気持ちと寂しい思いが募ってきます。

しかしですね、ここ数年で、訃報に対する感情も少しずつ変化してきたのです。なんといいますか、ショックを受けても、立ち直ることや前向きになることが早くなった気がします。

おそらく落語との出会いのおかげです。なぜなら落語の世界は、追善という行事にかなり積極的なのですよね。

今年の6月に亡くなった桂ざこば師匠の追善落語会がもう開かれます。故人を偲ぶことと笑うことがセットになっている。考えてみれば、哀しむことと笑うことは対極ではありません。

思い出話で笑顔は出ます。笑いによって哀しみを乗り越えることも出来るし、また哀しみが含まれることで笑いに奥深さが生まれることもあります。ふたつの感情は両立し、密接に関係しているのではないでしょうか。

私は元・演劇ファンですが、笑いが含まれない芝居に惹かれたことはほとんどありませんでした。いつでも物語には笑いがあった。笑いというものは独立して存在するのではなく、人生のあらゆる場面に内包されている。

あらためて落語に出会えて良かったと思います。笑いに真剣な人は、人生にも真剣です。今年もあと一ヶ月と少々。どんなに哀しみが満ちようと、そこに笑いも存在する世の中でありますように。