ダイナマイト!
2024.10.26晴。仕事。とうとう1ヶ月近くも空いてしまった。こうやって日記はその生涯を閉じていくのだな。しかしこの日記は殺したくない。粘って書き続けたい。とにかく仕事の毎日で体がきつい。肉体のコンディションに自分の全てがひれ伏している。
今さらなんでよと自分でも思うが、BTSのダイナマイトを好きになる。曲もダンスも最高で、イントロを聴くたびに喜びのスイッチが入る。メロディ、歌詞、ブレイクの各フレーズがキラキラと迫ってくる。ドーナツの上にまぶされたカラフルなスプレーチョコみたいに。サビで足を前に振り上げ急停車するフリが真夏の太陽みたいに混じり気のない天真爛漫さできゃー!ってなる。いまの人たちの曲を聴くと、一曲の中の手数が多すぎてついていけないことが多い。それを咀嚼して楽しめてる若者たちを羨ましく思う。矢継ぎ早に起こる曲の小さな変化に振り落とされていくようだ。
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菊地成孔とぺぺトルメントアスカラールの新譜『天使乃恥部』を繰り返し聴いている。前作のような玉手箱感は薄れ、一枚のアルバムとしてのトーンがきちんとある。官能的だけどそこまでネットリしているわけではない。タイトルの昭和ロマンポルノみたいな字面からは程遠く、ある種の軽やかさもある。
それに伴ってプイグ『天使の恥部』を購入。新書で2000円オーバーかと思えど、本に関してはすぐにお金を出してしまう。すぐに読むことはないだろうが、いずれ読みたくなったときすぐ手元にあるという安心感。
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ふと思い立って自転車を買う。アマゾンのポイントが貯まっていたので思い切る。とはいえ安いものしか買えない。俗にルック車という、見たくれだけの中国産ロードバイクを購入した。24000円。命を預ける乗り物をケチるのは恐怖もあるが、整備点検を怠らずに、無理なく走れば何とかなるだろう。これもリハビリの一貫。本来なら、落ちた体力を戻すために走るのが一番だろう。しかしまだ本気の走りができない。びっこを引きながらぴょこぴょこと走るだけ。サイクリングはいい有酸素運動になる。という言い訳。
前に乗っていた自転車を相当気に入っていたが、入院中に無くなってしまった。怪我して救急車、即入院だったからしょうがない。盗まれたか撤去されたのだろうが、仮に撤去されたとしてももう処分されているだろう。ブルホーン仕様のオールマットブラックで、ラメ入りのロゴが光に反射してキラキラと光るカッコいい自転車だった。今回買ったやつを乗り潰したらまた同じものを買いたい。
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通勤途中の駅に、朝から楽器演奏をしている老人がいる。普段はカリンバかハーモニカを演奏しているが、先日はチェロだった。同じ広場にこだまする、『立憲民主党の〜!』『維新公認候補の〜!』なんて呼びかけなんぞ意に介さない低音のレクイエム。2人の候補を墓場に送るための選曲だったとしたら何て痛快なことか。そのうちアコーディオンなんか弾いたりしないかな。秋晴れの早朝にパリ・ミュゼットが流れる。朗らかな気分で一日を迎えられそうだ。
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また部屋の模様替えをする。ベッドという一番の大物の収まりが何とも悪い。たかだか眠るだけなのに、なぜこんな大げさな物が必要なのだろう。ミニマリスト達の意見を参考に、数々試してきた。
・布団
・三つ折りマットレス
・ソファーベッド
・フラットになるリクライニングチェア
・コット
いずれもしっくりこず、結果スノコの上にマットレスを敷いている。もういっそのこと寝袋だけでもいいかもしれない。少しの変化ではなく思い切り、バッサリとカットすること。今までの必要が強制的に廃棄され、新しい必要が目覚めていくこと。
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通勤にバスを利用しなければならないが、いつまで経っても慣れない。道路事情に左右されることのストレスが半端ない。ある日は20分で着き、またある日は50分かかる。平均で25〜35分くらいだが、この幅を許容することが難しい。バスに乗った瞬間から不快になるので、心の中で悪態をついてしまう。
何で一駅で降りるんだよ!とか、距離感を気にせずリュックをぶつけても謝らない高校生に、お前ら俺が暴走老人だったら刺されてるぞ!とか、大人げのない言葉を心の中で投げつける。しかしそれは自分に跳ね返ってくるのだよな。心に余裕が無くなると、人それぞれだもんねという感覚が希薄になり、被害者ムーブが発動する。必要の無い感情を勝手に生み出して自爆している。せめてこうやって書きとめて、そんなの意味ないぜと後から認識するしかない。
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どんな小さなことでも、人の役に立って、軽い感謝の言葉をもらう。それとって!ありがと!。だけでもいいのだ。構えたコミュニケーションではなく、呼吸をするようにあたりまえに人と接すること。その中に小さな感謝がいくつかあれば、一日の終わりに自分を責めなくてもよくなる。風通しの良い職場を作るためにどうすればいいか日々考えているが、確実な答えはない。常に場全体が揺らいでいる。そのつどしなやかに、ナチュラルに気にかけて、みんなが気づかないうちに微調整をかけてしまうこと。今はそれを試している。