自分の闘い方

まだしばらくは冬が続くだろう。ともすれば春などもうやって来ないのかもしれない。だが、かまうものか。冬には冬の流儀があるだけの話だ。生きているということ、それがすなわち勝利を意味する---そう書いたのはチャールズ・ブコウスキーだったか。だとすれば、おれは今日も勝利したのだ。

桜井鈴茂「冬の旅」

自宅療養72日目。5:15起床。米を炊く。蒸らす。ネギを刻む。卵をかけてかき混ぜる。鰹節を散らす。醤油をたらす。そんなシンプルな朝食を済ませる。干しっぱなしの洗濯物も取り込んだ。コーヒーも入れた。残りが少ないから補充しなければ。頭にモヤがかかっている。判断する調子自体が消えているかのよう。無味無臭。とりあえず動いてはいるが、いろいろ微妙だ。七尾旅人『ドンセイグッバイ』のゆったりした歌唱に救われる。1/fの揺らぎ。気持ちがさざなみに触れる。


今日はマルケス『百年の孤独』文庫版の発売日。同時にマット・ラフの新刊も発売する。こちらも文庫。2冊合わせて3000円を超えてくるなんてどうかしてるが、どんなに憂いても安くなるわけではない。子供みたいに、お金が無くても平気さなんて言えない。欲しいものは欲しい。

気分に変化をもたらしたくて手帳を替えてみる。ポケットサイズのオリーブグリーン。ジャストリフィルサイズなので、専用の用紙でないと紙がはみ出てしまう。ただ良さもある。ページをめくる時に、文庫本のようにパラパラっとまとめて紙を送ることができる。片手で扱えるのはより身近な感じがして嬉しい。緑の革って経年変化があまり美しくなく、黒ずんでくるのがネック。以前好きで着ていたグリーンの革ジャンも最後は目も当てられない状態だった。

ロロマクラシックとオリーブレザー


丁寧に触れば、世界は『小さな奇跡』を惜しみなく見せてくれるということ。それは『希望』の回路を知ると言いかえてもよい。世界を支える小さな希望を収集することを知ったのだ。

後藤繁雄「新しい星へ旅をするために」

ゆっくり観察すること、丁寧に触れること。ポール・オースターの眼差しで。時間だけはあるのだ。大きな変化を求めて幻滅するのではなく、日々を見つめること。半年前にスーパー脇の花屋で買ったフィロデンドロンブラジルがいつの間にかここまで成長していた。何も考えずに水やりしていたので成長の早さに気づかなかった。小さなポットに入った500円の観葉植物があと一週間も経てばベッドの上にいる自分に触れてくる。成長は希望だ。言葉遊びかもしれないが、つまりこの部屋には希望があふれているということだ。


本屋で『百年の孤独』『魂に秩序を』の2冊を手に入れる。本が欲しくなるのはもちろん読みたいからだが、積読という言葉があるように、買ってしばらく放置するのが常だ。これでいつでも読みたい気持ちが訪れた時に読める、その安心感を買っている。つまり保険みたいなものだろう。持っているだけでは何の役にも立たない。


夜は別の本を読んで過ごす。レベッカソルニットの言葉が響く。強さの中にも詩性が宿った文章に勇気づけられる。結局は闘わないとダメなのだ。いまの弱々しい自分とは真逆の、生き延びるための気迫が知性を携えながら前進していく。塵や埃が宝石のように輝くまで彼女は闘い続ける。その姿は勇ましくカッコいいが、これは彼女の闘い方だ。自分は自分の闘い方を見つけなければならない。







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