リベンジする
「好きになる」ことは、苦しい感情だった。ひとりよがりだったり、別れがつらかったり、何も手につかないほど自分の輪郭が溶け出したり。だから、何かに入れ込んだり、人を好きになったりするのは怖かった。でも、何かを、誰かを好きになった日々は、間違いなく美しかった。
2024.8.19。自宅療養127日目。4:00起床。寝起きは普通。気持ちの揺らぎ、その幅も少ない。とにかく体を動かしてしまおうと、立ち上がって水を飲む。そのままゴミをまとめて玄関に置く。椅子に座り煙草を一服してから瞑想。5分だけだが、体内時計がシンクロしてきた。ストップウォッチで計る。今日は4:58秒でほぼピッタリ。ご飯を炊いて朝食。今日も外に出れそうだ。
昨日失敗したノートが恋しくなって、再度買いにいく。バインダー化はあきらめて、ノートとして使うことにする。誰しもが愛用している特別なモノがあると思うが、自分の場合は文房具だ。ペンと手帳、ノート。他のどんなモノよりも優先で、これがキマッてないと落ち着かない。例えば男性なら、車や時計、鞄に革小物などが大切な愛用品として上がると思うが、自分にとってはどうでもよい。ギャンブル、酒、女。男連中ばかりで飲むと、大抵はそんな話になる。
これも自分にとってはどうでもよく、むしろ聞いているのが苦痛だ。別に潔癖というわけではないが、あまりに当たり前すぎてつまらない。映画みたいなぶっ飛んだ話なら別だが、大抵は小さな範囲でちまちまと楽しんでいるだけが多く、全然ドラマティックではないのだ。どうせなら、友達の紹介である女性と朝まで飲んで、そのまま彼女の部屋にしけこんだのはいいが、部屋の目立つところにドーンと観音様が鎮座している。あ、これヤバいぞ、あっち系だ、Sか?それ以外か?それ以外だとしたらどこだ?あそこか?ハードなやつなら怖いな、連絡先交換してるし、などと思うが、はやる気持ちを抑えるのは難しく、なし崩し的に致そうとするが、ここから先は来週の会合に参加してからね、と断られる。ほんとかよ、、、。わかったわかったと誤魔化してそのままいこうかと思うが、観音様のデカさがそれを許さない。泥酔した男女を見下ろす観音様。どんなに酔っていても、想像を超えたヤバさの前には最後の最後でためらう機能が備わっている。最後までするのは諦めて、酒臭い息で聞く。触っていい?ダメ。チューしていい?ダメ。じゃあ添い寝は?うーん、まあそれならいいかな。で、1.2時間添い寝して別れた。心も体も限界突破で我慢できたのは、男が彼女に一目惚れしていたからだ。仕事を終えてその夜、二人はまた会う。そしてそのまま一緒に生活を始めるのだ。これは若い時の自分の話。
もっと自分の理解を超えた喜びが、今後の人生に起こることを願う。出生数でいえば僕らの世代はまだまだ多い。前後3年含めても。もう歳をとっているので、無理な要求などはない。どんな個性的な趣味、生活スタイルであろうとも、話し合いの上、お互いの妥協点を見つけて、その場所を楽しく彩る努力をするだけだ。願わくば多少でもお酒が飲める人だと嬉しい。歳を重ねて、死ぬまでできることは食事と散歩だろうから、その2つをまずは楽しむことをベースに生活を組み立てていきたいと思っている。勝手な妄想だが、何となく叶う気がするのだ。